トイレ掃除は心磨き
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トイレ掃除と山登り

酒井伸雄


昨年(09年)3月、二葉中学校と袋町公園のトイレ掃除ダブルヘッダーに参加したのが私のトイレ掃除実践のスタートです。
あれから9ヶ月、なんだかとてつもなく長い時が過ぎたような気がします。
「トイレ掃除は奇跡を生む」と言いますが、偶然とは思えない奇跡的な出会いや導きが次々と現れて、驚くと同時に心が大きく揺れ動きました。
そのすべてがトイレ掃除が原因で生み出されたものかどうかは分かりませんが、トイレ掃除が私の人生観を大きく変えたことは間違いのない事実です。
そのお陰で、まさに “魔物に魅せられた” かのように、今はトイレ掃除にすっかりはまってしまいました。
人に「公衆トイレを掃除しています」と言うと、ほとんどの方は「地域の人が喜ばれるでしょう」と言われますが、掃除をする私には、ほとんどまったくそんな意識はありません。
地域のため、ではなく、自分のため、自分の心と格闘するため、完全にそういった心境です。

山や自然が好きでよく山に登るのですが、トイレ掃除と山登りは似ている点が多くあるように思います。
山登りを始めた頃、とにかく休みの日になるとしゃにむに山に向い、大汗をかくことを喜びとしていました。まるで何か心の不安をかき消すように・・・。
その頃ある人から言われました。
「酒井さんは山に入って瞑想しているんだね」
たしかにそうだったかもしれません。当時、それが己の心を落ち着かせる唯一最高の方法だったのですから。
山に入り木々に囲まれ、心静かに自分を見つめ、体を使って汗をかきながら頂上を目指す。
公衆トイレでホーローの便器と向かい合い、ただ無心に便器を磨く、何百回、何千回、ひたすら便器がきれいになることを願いながら・・・。
この二つは、今の私にとってまったく同じことのように思えます。

山を大勢の仲間とワイワイ言いながら、喜びを共有して登るのは楽しいものです。
また一人、ただ自然の声に耳を傾けながら登る単独行も別の趣があります。
脚力、自然観の一致する少数の仲間と行く山登りでは、いろんな発見をすることがあります。

トイレ掃除の会で、みんなとする掃除は、笑顔と笑い声の絶えない喜びの一時です。
一人で道具を担いで出かけるる公衆トイレ掃除は、ひたすら己の心を見つめる行のようで、「心磨き」という言葉が一番しっくりくる貴重な時間です。
少数の仲間とするトイレ掃除は、お互いいい意味で刺激と緊張、やる気を与えてくれて、将来に向けてのパワーをもらうことができます。

一人もよし、みんなともよし、山登りは脚の筋肉を鍛え、トイレ掃除は心の筋肉を鍛える。
「そこに山があるから登るのだ」の如く「そこに便器があるから磨くのだ」、こういった心境にまで至りたいものです。

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