しあわせの青い鳥通信
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幸せな死


 去る三月九日(日)に、大和ミュ-ジアム主催の「平和コンサ-ト」が開催されました。そのゲストとして出演されたソプラノ歌手、村上 彩子さんは、志半ばにして夢や命までも奪われてしまった戦没者学生の慰霊の歌を、自らの人生体験を語りながら歌い上げます。その情感あふれる歌声に涙し、感動しながら、命の大切さというものを頭で理解するのではなく、心で感じさせていただくことができました。
 その余韻のせいか、CL研修で「死」について考えたせいか、時々「死」について考えるようになりました。「死」はすべての人に必ず訪れます。私たちは全員いつか死にますし、誰一人として死からのがれることは出来ません。それならば、せめて「幸せな死」を私は迎えたいと思っています。
 では「幸せな死」とはどのような「死」なのでしょうか。今の私が考える「幸せな死」とは、次の2つのことがポイントだと思っています。
 その一つ目は、「自分が生きたという満足感」が持てることです。例えば、一生を一日に置き換えてみますと、一日をただ何となく過ごした時の寝る前のけだるさではなく、朝早く起きて、仕事にしろ趣味にしろ、今日一日やるべきことをすべてやり切った時のここち良い疲労と満足感。自分が死を迎える時は、そういう気持ちで目を閉じたいと思います。 
 もう1つは自分が生まれてきて、「何か役に立てたという自己存在感」です。死ぬ間際になって、自分は何のために生まれてきたのだろうと悩むことなく、小さなことでもいいから、自分は何かの役にたった、生まれてきたその存在意義を見つけることができれば、安心して死を迎えることが出来るような気がするのです。 
 結局、「幸せな死」とは「日々を人のために大切に生きる」ということかなと私は思っています。幸せな死を迎えると言うことは、今この一瞬一瞬を、大事に積み重ねて行く事と同じ事です。皆様は一日一日に充実感が持てていますか。自分の存在意義が見つけられますか。私も村上 彩子さんのように、小さくてもいいから、夢に生きることが出来れば幸せだと思います。

 ありがとうございます。    

 佐々木 一幸 拝

     呉掃除に学ぶ会

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