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2017年1月31日 ・・・ 愛とはすべてを受け入れること

現代人の持つ最も深い心の病、
それは自分を愛することができないということです。

これは今の社会全体が、
そこに暮らす人々に不全感を抱かせ、
もっともっと ・・・ と常により上を目指すことによって
発展する仕組みで成り立っているのですから、
そうなってしまうのは致し方ありません。

本来ならばモノの豊かさと心の豊かさは正比例するのが理想ですが、
現状では反比例と言っていいほど経済大国日本人の心は貧しくなっています。

アジアの国を見ていても、
貧しい人たちほど心が豊かであるとまでは言い切れませんが、
その暮らしぶりの中のイキイキとした表情は、
貧しい暮らしをしている人たちの中にこそ多く見て取れるように感じます。


文明の発展は止めることはできませんが、
時にはその発展のあり方を振り返ってみることが必要です。

最近最も深く心に響いた言葉、
それはヘレナ・ノーバーグ=ホッジというスウェーデンの女性環境活動家が
提唱した 『懐かしい未来』という言葉です。

この言葉を、『里山資本主義』という本の中から知りました。

彼女の伝えようとしているメッセージを、
Amazonの紹介ページから引用します。

ヒマラヤの辺境ラダックにおけるつつましくも豊かな暮らしと、そこに襲い掛かった近代化と開発の嵐。貨幣経済に頼らずに、ほとんどすべての生活を自給自足によってまかなっていた理想郷に突然入り込んだグローバリゼーションの弊害。
「わたしたちの中に貧困はありません」と胸を張っていた青年が、わずか数年後に「貧しいラダックにはあななたちの助けが必要なのです」と援助を懇願する。ここには近代化、西欧化の根本的な問題点が、まるでむき出しになった地層のようにあらわにされています。
貨幣経済が貧富の差をもたらし、グローバル経済が本来不要なものへの欲求を生み出し、人々から時間と幸福を奪う。
著者は失われた幸福を惜しむだけではなく、グローバリゼーションの本質と、それを超える道を実証的に明らかにすることを決意。ラダックに息づく深い伝統的な智恵が、その新たな道を進む鍵であることを示唆しています。


日本に於いては、
里山資本主義で説いている自然に根ざした生き方こそが、
懐かしい未来への回帰なのだと感じます。

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最近ある女性と話をしました。
彼女はものすごい頑張り屋さんですが、
幼い頃に虐待された経験があるからか、
自分を責める感情がとても強く、
その自分に対する不全感、何ものかに対する恐怖心、
そういったものが彼女の行動を突き動かす原動力となっているようです。

けれどそんな感情が行動原理になっていては何事も上手くいきません。
彼女はある面最も典型的な現代人としての特徴を持っているとも言え、
彼女には、是非ともそんなに頑張っている自分自身を深く愛し、
もっともっと自分を労ってもらいたい、そう強く願いました。

では、自分を愛するにはどうすればいいのでしょう。
まずはどんな方法があるかと考えてみると、
やはり第一に頭に浮ぶのは、
いつも心身の健康法で最も大切だと説いている「身体との対話」です。

お風呂の中で、
・身体に直接手のひらを当て(手当て)
・感謝の言葉を声に出してかける(声がけ、肥えがけ)
・その時に視線と意識をその身体の場所に傾ける
というものです。

この時に感謝の言葉で「愛してるよ♪」と唱えれば、
その言葉は言霊となって身体と心の奥へと染み込むでしょう。


ところが、そのことを思ってふと自分を振り返ってみると、
「ありがとう」という感謝の言葉はいつも身体にかけているものの、
「愛してる」という愛の気持ちは、
あまり身体に語りかけていないように思えてきました。

これは自分自身反省しなければなりません。
またそのことに気がつけたのは彼女のお陰、
『情けは人のためならず』、有り難いことです。


けれどさらにしばらく経ってよく考えてみると、
「愛してる」という言葉はホ・オポノポノの四つの言葉の中にあり、
これはいつも身体に唱えていることを思い出しました。

ホ・オポノポノの言葉は、
「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」の四つですが、
「許してください」という言葉は日本人の自然観にそぐわないように感じ、
今はそれ以外の三つの言葉を唱えています。


ではなぜ、「愛してるよ♪」、「愛してます」、
こんな言葉を毎日何十回も身体に唱え続けているのに、
その言葉を発していないと感じたのでしょうか。
このことを思案してみて、あることに気がつきました。


言葉の概念というのは人によって様々です。
愛という言葉も、人それぞれ様々な意味で捉えているのだろうと感じます。

ありがとうとは、有り難いこと、
本来なら有り難いものがある、
そのことに価値を見出し、そのことに対して感謝する言葉です。

ごめんなさいは謝罪の言葉、
そのものに対してもっと深く心をかけるべきでした、
これからもっと深く心を傾けるよ、そんな意味合いだと感じます。

ですからこの二つの言葉の続きで“愛”を唱えると、
その愛は、価値があるから愛する、
謝罪すべき対象だから愛する、
そんな条件付きの愛になってしまうように感じます。

これは自分の中で本当に感じている愛の概念ではありません。
愛とは条件など必要なく、
そのもの、その存在自体を丸ごと受け入れ、認め、慈しみ、労ること、
有り難いから、謝罪すべきものだから愛するのではなく、
ただすべてを受け入れる、これが真の愛なのだと感じています。

自分の愛という言葉の捉え方は、
有り難いものだから感謝をする「ありがとう」よりも、
はるかに尊い上位概念としてあるのです。


心の中でそんなふうに愛を捉えているからこそ、
いつも愛の言葉を口に出してはいるものの、
それは本当の愛ではないということに、このたび気づくことができました。

丸ごと受け入れる無条件の愛、
それは至上の愛、無償の愛、
あるいはキリスト教で言うところの神の愛、アガペーということであり、
これは自身で体現したり、身をもって感じることはなかなかできません。

自分の中では母からもらった愛がこれに最も近いと思われますが、
そう思えるものをひとつでも持っているのは何よりも幸せです。


そこでお風呂の中で唱える言葉を変えてみました。
これまで通り「ありがとう、ごめんね、愛してるよ」
こんなふうに唱えるのと平行し、
ただ単に「愛してるよ♪」、この言葉だけを身体に唱えてみるのですが、
まだ自分自身への愛が十分ではないのでしょう、
その言葉が深く身体と心に染みこんでいく感触が得られません。
これは今後の自分に対する楽しい課題です。

けれど少しだけ変わったと感じられることがあります。
それは他人に対して、その受け止め方が
ほんの少しだけ寛容になれたことです。

愛とはすべてを受け入れること。
そして人間誰しも、他人より自分を可愛がり、愛するものであり、
自分に注ぐ以上の愛情を他人に捧げることはできません。
つまり自分を愛せない人間は、他人を愛することはできないのです。

自分を愛すること、それは他人を愛することにもつながります。


『自分を愛する』、
とっても素敵な言葉だと思います。
これを生涯かけて追い求めていきたいです。



2017.1.31 Tuesday  
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