ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > ワンネスは実践にあり



ヨガナンダ



ワンネスは実践にあり

すべてはひとつ、つながっている。
ワンネス。
昨日、畠山重篤さんのお話をお聞きして、このことの大切さをより深く感じました。

畠山さんの素晴らしいところは、自然の大切さを大きなマクロ的視座でとらえ、
それをミクロ的に分析し、そして実践に活かしておられるところです。
この実践に活かすというところが本当に素晴らしいのです。

すべてはひとつでありつながっています。
理論というのは実践と結びついて大きな価値が生まれます。
畠山さんはその価値を自らの体で体現しておられるから、
その話は人の興味を引き、心を打つことができます。

昨日は畠山さんと同じく壇上で学者の方も話をされたのですが、
その方の話はまったく心に響くことがなく、
今はその方がどんな話をされたのか、まったく頭の中に残っていません。


ワンネス、すべてのものがつながっているということは、
心の世界を探求している人がよく言われますが、
もし心の世界でそのことに気がついたのであれば、
その気づきを実践の場で活かして、そこではじめて大きく花開くことになります。

すべてはひとつ、つながっているのですから、
心の中の気づきは、体を使った実践と合わさってひとつになるはずです。

ワンネスという気づきを瞑想でより深める、
心の世界こそ現象界、物質世界の本源であるので、
そこさえ極めれば十分だというのでは、
真の意味でのワンネスにはなり得ません。


私は自らの魂の指向として、長年スピリチュアルな真理を追い求めてきましたが、
ここに来て、本当のスピリチュアリズムとは、
実践によってその真価を発揮するものだということに気づくようになりました。

これまでトイレ掃除のことを何度も書いてきました。
トイレ掃除は素晴らしい下座行であり心磨きです。
けれどそれが素晴らしすぎるがゆえ、
それに没入し、他のことが目に入らなくなる危険性があります。

他のことが目に入らなくなるということは、
それらとのつながりを断ち切ることであり、
ワンネスではありません。

トイレ掃除は心磨きの価値ある手段ですが、
本来立ち向かうべきはトイレの便器ではなく、
自らが課題とするコトやモノであり、
そこから目が外れてしまうようでは、
せっかくの価値が半減してしまいます。

トイレ掃除で心に力を付けたならば、
その力でもって真なる課題に立ち向かうべきです。

心の世界、スピリチュアリズムも同様です。
スピリチュアルな気づきでこの時空間すべてのつながりを感じたならば、
その気づきを活かすべく、
心とつながりのある現象界の世界と向き合い、
そこでの課題と取り組んでいかなければならないのです。

目に見える世界と目に見えない世界、
ふたつひとつでワンネスです。


ワンネスを目指すには、すべてのもののつながりを感じるとともに、
そこに内包されているもののバランスを保つことが重要です。

陰と陽、大きなバランスを考えた時、
「人権を守るために」にも書いたように、
私たち日本人は、優しく許すことのできる女性性は強く持っていますが、
正しいもの、信じるものに向かって意志を貫き通すという男性性が欠如しています。

その結果、様々な外圧に屈し、
日本人本来が持つ魂は、ものの見事に骨抜きにされてしまいました。

また女性性は陰であり心です。
我々は心の問題を説くことは得意でも、
それを男性性、陽である物質世界へと反映させていくことが苦手です。

苦手なことを克服し、大きく全体のバランスが取っていかなければ、
調和の取れたワンネスにはなりません。

これから東洋の時代の幕開けを迎え、
今こそ私たちは真のワンネスを目指し、
日本人の魂の復興を志し、
スピリチュアルな精神を持ちながらも現実世界へと目を向け、
実践人としての歩を進めていかなければなりません。

これがこの三十年間スピリチュアルな世界を歩んできた私にとって、
今現在の得られた最大の気づきです。


ここ最近何度か書いてきたように、
今の日本の内部は大変な状態になっています。
どうかこの真実から目をそらすことなく、
それを解決していくため、一人一人力を発揮し、実践してください。

それが日本人である私たちの魂が、
真に望んでいることです。


今日は作曲家のすぎやまこういち氏の
『今の日本は「日本軍vs反日軍の内戦状態」』という文章を読みました。
この文章には、今の日本が抱えている問題点が、
実に的確に述べられています。

すぎやまこういち 今の日本は「日本軍vs反日軍の内戦状態」

 80歳以上限定のオピニオン企画「言わずに死ねるか!」は『週刊ポスト』の名物特集。今回は「ドラゴンクエストシリーズ」等の作曲家として知られるすぎやまこういち氏(81)が、中国・韓国との領土問題に対する政府の対応に苦言を呈する。氏によれば、今の日本は“内戦状態”にあるという。以下、氏の提言と分析である。

 * * *
 この夏、国中を騒がせた尖閣諸島や竹島を巡る中国・韓国との領土問題に関して、政府の対応には憤りを覚える。香港の活動家たちが尖閣諸島・魚釣島に不法上陸した事件では、彼らを逮捕したものの、結局は強制送還して穏便に済ませてしまった。

 こうした対応は世界の“常識”から外れている。どこの国でも領土を侵略されれば、とにかく取り戻しにいく。話し合いで聞かなければ軍事行動に出る。国際法では、領海侵犯され、警告に従わない場合の射撃は認められているからだ。

 例えば韓国政府は、領海侵犯した中国漁船に対して発砲を許可している。人口2万人に過ぎないパラオ共和国ですら、自国の軍隊を持っていないが、警察行動として、中国漁船を射撃して追い払おうとした。

 しかし日本では、海上保安庁による射撃は正当防衛や緊急避難に当たる場合を除いて、原則認められていない。国力はどういう角度から見ても日本の方が強いのに、パラオでもやることをやらないのは、本当に異常なことであると思う。

 国家が国家の体をなすためには、自国の安全保障が第一であることは論を俟たない。国防がきちんとなされ、国家の安全が保たれて初めて、我々国民の生活が成り立つのだ。然るに、最近、結党された「国民の生活が第一」という党名には、椅子から転げ落ちるほど驚いた。この政党の国防意識がどの程度のものか、推して知るべしだろう。

 なぜこんな状況になっているのか。その理由について私は、今の日本国内が「日本軍vs反日軍の内戦状態」にあるからだと考えている。

 一部のメディアを中心とした「反日工作」は、着実に進んでいる。例えば、公教育の場で愛国心を育てるため、国家斉唱・国旗掲揚を行なおうとすれば、思想信条の自由を盾に、自国を愛する行為に「右翼」のレッテルを貼り付け、否定的に報じる。

「脱原発」も同様である。有効な代替エネルギー案を示さずに、その運動だけを大きく取り上げる行為は、産業立国である我が国の国力を削ぐキャンペーンだ。それに日本には、他の国では見られない、自国を貶める「反日」の政治家がいる。それも与党・民主党内に少なくないのだから、嘆かわしい限りである。

 だが、一部の輩やメディアがいくら「反日」を洗脳しようとしても、希望の光はある。それは、若い世代が新聞を読まなくなったことだ。嘆く有識者は多いが、私は逆だと思う。

 新聞やテレビといった既成メディアでは、真の「愛国者」たらんと発言すれば、「軍国主義者」や「右翼」とレッテルを貼られ、攻撃の的にされるため、怖々しか発言できない。一方、ネットでの言論では国を憂いた「日本軍」の方がやや優勢である。今後はこうしたネット世代の台頭が日本の政治を動かし、国を変える力となると感じている。

●すぎやま・こういち/1931年、東京都生まれ。東京大学卒。『亜麻色の髪の乙女』『君だけに愛を』『学生街の喫茶店』など多数のヒット曲を手がける。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの全作曲も担当している

※週刊ポスト2012年10月5日号



島国日本に暮らす私たち日本人は、自分たちの持つ常識や良識が、
世界中どこででも通用するとつい考えてしまいがちですが、
それは大きな誤りです。

また日本政府が行う施策も、
必ずしも日本をよくするためのものではないというのが、残念ながら実情です。

日本の対外的な問題も、意図的なものを含め、
日本自身の対応のまずさから来ているという面が多々あります。

今から四年前、竹島のある島根県の青年会議所が、
「わたしの竹島ですが、何か?」という動画を作りました。
その中で、「竹島問題は国内問題です」と明確に述べられていて、
そのことが強烈に印象に残っています。




この日本の現状を正していくのは、
政府でもなくマスコミでもなく、私たち一人一人です。

マスコミが真実を伝えないというのはネットの世界では常識です。
これは最近読み出したネバダブログ9月23日の記事です。

日本では報じられない反中国デモ

現在、パリに滞在しており、フランス語のユーロTVを見ていましたら、日本と中国の尖閣問題を取り上げておりましたが、この番組の中で、反中国デモの取材画像が流れていました。

ここでは、中国と断交せよ、とか尖閣は日本領土だ、等々のプラカードが映され放映されていましたが、日本の主要報道機関でこの反中国デモを報じたところは確認できませんでした。

日本の報道機関は流してよいニュースと流してはいけないニュースを選んでおり、これはある意味どこの報道機関もそうかも知れませんが、今の状況下において、反中デモが行われていることを報道規制するということは、中国と同じことであり、果たして妥当な判断かどうか。

今はネット社会でもあり、報道規制・制限をすればするほど、国民は知ることを求めて情報を探すもので、ニュースを隠すことはかえって煽ることにもなりかねません。

中国のように、デモが暴動にも発展せず日本国民の意思として反中国感情があり、それがデモに発展しているという事実だけを淡々と伝える方が、より健全な報道だと思いますが果たしてどうなのでしょうか?

この中国問題ですが、政治・経済界が中国に「遠慮」している間に、国民は冷静に反中国を実践しており、
中国向け旅行をキャンセルしはじめており、JAL・ANAの中国路線は大幅な減便や機材の小型化に踏み切っており(もちろん、中国も減便・運航停止等も実践しています)、日中間の旅行者が激減してきており、現場段階で影響が出てきており、また、日本では中国人経営者の店にはいかないということも起こっており、これがさらに激化すれば、中国国内の理性のある実業家は、政府に対して「我々の生活を脅かす政府はけしからん」として中国政府に対して圧力をかけることになります。

これが更なる紛争を防ぎ、日中政府の暴走を止める唯一の方法だと言えます。

中国国内にも良識ある経済界の人間も一般実業家も多くいます。
自分の生活を犠牲にしてまで、日中間の紛争を拡大しても良いという、過激な思想を持つビジネスマンは殆どいないはずです。

意見は意見として述べ、意思は意思としてもち、されどビジネスは公平にする。

お互いの政府を動かすには粛々と中国を追い込むしかなく、『チャイナフリー運動』を国民一人一人が実践していけば、必ず中国に打撃を与え、正当な声が出てくるはずです。


このようなマスコミの偏向報道の事例は数え上げればキリがありません。


私の求めているのは政治でも思想でも宗教でもありません。
求めているのは、真に正しい道に至る実践活動であり、
それがスピリチュアリズムの完成形であると考えています。

今この時代に生を受け、時代の大転換期というターニングポイントに立ち、
己の使命をまっとうしていきたい、願うのはそのことです。

使命とは命を使うこと、
三次元世界に生きる私たちにとっての命とは肉体に宿るもの、
その肉体を使い、実践すること、
それが使命を果たす唯一の道なのです。

2012.9.25 Tuesday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.