ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > アンバランス



ヨガナンダ



アンバランス

天空に広がる宇宙を大宇宙と呼び、
私たち一人一人の心と体を小宇宙と呼びます。

この心と肉体には、時空のすべての要素が含まれています。
けれどそれを感じ取る器官である五官のうち、
全体を統合する触覚、内に向けた感覚器官(骨導聴覚)を持つ聴覚を除く三官は、
すべて自分の外の刺激のみを感じ取るようにできています。

己を知るというのは、最も簡単なようで最も難しいことであり、
己の鏡の存在である外の世界を知ることによって、
自分の姿がよく分かることがあります。

肉体を持ってこの世に生まれ、
外に向けての感覚器官を持つ私たちは、
制約ある物質世界で様々なことを経験し、
それによって起こってくる外の世界の現象から、
己を知ることを望んでいるのだと思います。

けれど外の世界は正しい目で見つめ、
それに囚われないようにしなければなりません。
その塩梅が肝心です。


一ヶ月前、我家のステレオの音をローゼンクランツの貝崎さんに診ていただき、
自分では気付かなかった音の問題点を指摘され、
そこに表れている己の生き様の課題を感じ取って涙しました。

それほど音の世界は深遠であり、
ステレオは人生を凝縮した存在でもあります。

本来なら、そのことを含めたステレオレポートを
すぐにでも書かなければならないのですが、
ステレオが持ち主の人生を凝縮したパートナーであるならば、
そのふたつは二人三脚で歩むべきものであり、
片方だけが先走ることはできません。

ステレオが音によって私の生き様を伝えてくれたなら、
今度は自分自身が生き方をあらためることによって、
少しずつ進化していっているステレオの音に追いつき、
再び冷静な意識でステレオの音に耳を傾けられるようにならなければなりません。

実際に一月前から、私の周りではこれまでにない変化の兆しが現れています。
あともう少し、自分に対して納得できる生き方ができるようになったなら、
ステレオに対して新たな取り組みができるだろうと感じます。


貝崎さんの指摘によって私のステレオの音と己の意識を “知り” 、
その翌日、「オーディオの旅・伊万里」に書いたように、
貝崎さん一緒に佐賀県伊万里市に行きました。

そこで新たに設置した素晴しいステレオの音を耳にするとともに、
私と対極の個性を持つ陶匠 高麗誠さんと出会いました。

その時のこと、私を伊万里に同行させてくださったことについて、
貝崎さんが自身のホームページに書いておられます。
  <伊万里焼き窯元・瀬兵窯へRK-AL12-Gen2を納品>

伊万里焼CD音質改善器(瀬兵音鏡)の製作者である、高麗(旧姓吉永)誠氏のところへ、ローゼンクランツ・スピーカーRK-AL12/Gen2の納品に伺いました。当日はヨガナンダのN.S氏と高麗氏を引き合わせるもう一つの目的もありました。その理由は、二人を足して2で割りたいからです。

S.N氏は180数センチもある大男のわりに、知的・柔和ですが、方や高麗氏はカイザー寸法(自称157.5cm)の男と言ってはばからない、小男ながら肝っ玉の据わった空手有段の猛者であります。この二人が並んだ写真を撮りたかったのですが、残念な事に撮り損ねました。

多分高麗氏はS.N氏の脇の下から乳首の間位だったろうと想像します。この二人は何から何まで対極を描いたようなもので、S.N氏が普段から口を酸っぱくして言っている陰陽の関係が、この二人ほど端的に表している例は無いと思っているからです。そこから、両者が何かを感じ取って貰えたら言う事はありません。


N.SとS.Nと表記が混在していますが、それが私のことです。
今気がつきましたが、N極とS極は対極ですね。関係ないですが ・・・ 。

高麗さんはローゼンクランツのホームページを通して
私のことを知ってくださっていて、
またそのとてもフレンドリーな人柄から、
初対面ながらすぐに打ち解ける関係になりました。

伝統に基づく匠の技の世界に生きる高麗さんを見ていると、
私にはない素晴しい面を多々感じます。
言葉で言うならば、たくましく厳しく深い部分です。

自らの体を使った技を磨く修練を重ねている高麗さんは、
やはり私とは見事なほど対極の存在です。
高麗さんを見ていると、自分がどんな個性を持っていて、
何が足らないのかがよく分かります。

高麗さんは、大切なもののためなら鬼神になれると言われますが、
そこは私にはまったくないところです。


伊万里で初めて高麗さんと出会ってから、
もう何十通もケイタイメールを交わしました。
そんなふうに親しくできるのは、
対極の部分とともに、その根底に相通じる面があるからです。

世間の常識から外れていても自分なりの価値観を大切にする、
真実を求める、
考えていることをオープンにする、
こんなところが互いの共通点です。

当然同じスピーカーを持つ仲間ですので、
音や音楽が好きだというのも共通です。
高麗さんは空手の有段者ですが、
私も空手や武道にはとても興味があります。

高麗さんは私同様とてもインドに惹かれるのだそうです。
インド人だった過去世があり、そこでもやはり空手をやっていて、
もしかしたら私のボディーガードだった気がすると語っておられます。
もしホントなら心強いですね。


私にはないものを持っている高麗さんは、
今の私には手の届かない存在です。

高麗さんが納品されたスピーカーについての感想を書かれています。
その文章がアップされる前、貝崎さんから電話をいただき、
「素晴しい魂のこもった文章だから、しっかり目を通すように」と、
メールに文章を添付して送ってくださいました。
  <瀬兵音鏡の制作者(高麗誠)とRK-AL12-Gen2>

さすが伝統の世界、体を使った職人の世界に生きている人です。
私にはこんな深いものの見方、表現の仕方はできません。
特に同じスピーカーを使っているだけに、
その表現には目を開かされる思いです。

すぐに高麗さんの真似はできないものの、
自分に欠けているところであり、
目指さなければならないものを見せつけられた感じがします。


貝崎さんにステレオを診ていただき、
高麗さんと出会い、
自分というものが以前よりもよく分かるようになりました。

自分の個性、アンバランスさを知り、
課題を突きつけられました。

私はやはりきわめて個性的なアンバランス(不安定)人間です。
この個性でもってこれまで何十年も生きてきたのですが、
今はその部分に一石を投じる時期が来たことを感じます。


バランス(安定)が善であり、
アンバランス(不安定)が悪だというわけではありません。
バランスとアンバランス、このふたつも陰陽ワンセットの調和の取れた関係です。

そのことは、この小宇宙である人間の体を見ても分かります。
左右の脚を少しだけ開き、背筋を伸ばして直立している姿勢は、
安定の取れた素晴しいものです。

けれどもその直立姿勢が安定していて美しいからといって、
人類全体が日中ずっとその姿勢で突っ立っていたら、
生命体としての営みができません。

その安定した姿勢を崩し、活動をするからこそ物事を循環させ、
生命を保つことができます。

不安定は動きを導き、
循環サイクルを築くためになくてはならないものなのです。

両脚を揃えた直立姿勢では、前に進むことはできません。
その安定の状態を崩し、
どちらかの脚を前に出し、体全体の重心を前に傾け、
体が倒れる直前にもう一方の脚を前に出すからこそ、
一歩ずつ前に向かって進んでいけます。

私にとっては、ステレオの音という脚が前に出ているので、
次は逆の脚である自分の生き様を前に向けて進まさなければなりません。

また高麗さんの持つ世界を見せられたことにより、
一歩後に下がっている脚の存在に気が付くことができました。
それに気が付いたなら、次にすべきことは明確です。


不安定な人間は、その不安定さゆえに自滅してしまう危険性を秘めています。
けれどその不安定さを活かしたならば、
大きく脚を広げて思いっ切り前に進んでいくことが可能です。

なにがいい悪いではなく、すべてが個性です。
要は己の個性を知り、
それを知った上でそれを活かせるかどうかです。

順境は人を堕落させ、逆境は人を強くすると言われますが、
それもすべてケースバイケースであり、
それをどう活かすかにかかっています。


今日たまたまYouTubeで、
私の行く南インド タミルナド州チェンナイのミュージシャンたちが、
日本を励ます歌を歌っていることを知りました。

今の不安定さを乗り越えて成長する、
それが励ましてのメッセージに応える最高の感謝の表わし方だと思います。



2012.3.15 Thurseday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.