ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



ともに

人生における己の生き方、考え方、感じ方に
大きな偏りがあった場合、
それに目を向け、直していこうと努力し続けられる人は偉い人です。

ほとんどの場合はその偏りに目そらすか、
あるいは偏りがあるということにすら気付かないまま過してしまうものです。

そしてその偏りが長年自分の中に深く根を下ろしている場合、
自らの力でそれに気付くことができないだけではなく、
人から言葉で指摘されてもそれを理解することすらできなくなってしまいます。

音は人生の縮図、音は人の内面をも表す、
そういったことをこのホームページでずっと書き続けてきましたが、
今日はその偉大なる音の導きで、
自らの力や人の言葉だけでは気付くことのできない大切なことを、
心に深く刻ませてもらうことができました。


私はすべてを隠すことなくオープンにするのがモットーです。
それはそれがいい悪いではなく、
自分にはそういう生き方しかできない、ただそれだけの理由です。

このホームページに顔写真や名前等の個人情報をさらし、
自分が感じ、信じたことだけを書いています。

そして自らを卑下することもない代わりに、
実体以上に立派に見せるようなことも書いたことはありません。

けれどここで生命や真理、生き方を説くことには大きなプレッシャーを感じ、
立派なことを説いても恥ずかしくない自分であらねばならないという意識は、
常に持ち続けています。

ですからそれにふさわしくない自分を見つけた場合、
いくら私がオープンだと言っても、
そのことをここに書くのには勇気がいります。

それはこれまで書き続けた自分の言葉が
薄っぺらなものであると告白することであり、
読んでいただいた方の信頼を裏切ることに通じるからです。

だからといって自らを偽り、
きれいな言葉で自分を飾ることはできません。
一度ついた嘘はそれを正当化するために、
一生嘘の上塗りをし続けなければならないのですから。


今日は久し振りに広島に戻られたローゼンクランツの貝崎さんを我家に迎え、
ステレオの音を診ていただきました。

自分としてはかなりいい音になったという自信があったのですが、
貝崎さんからは酷評を受け、
それを調整してもらう過程で、
言葉で言われても分からない自らの心の偏りを音を通して教えていただき、
あまりの情けなさに不覚にも涙してしまいました。

その音についてのことは、近日中にオーディオレポートに書きますが、
私は常々
「素直な心で真理を見つめなければいけない」、
「部分にとらわれるのではなく、大きく全体を捉えることが大切である」
「物事にはすべて大きな流れ、リズムがある」
と説いてきましたが、それは頭で考えて言葉にしているだけで、
自らの生き方やものの考え方にはまったく反映されておらず、
その反映されていないということにすら気づいていなかったのです。

そしてそれを私のステレオの音を聴いた貝崎さんから言葉で指摘されても
まったく理解することができず、
貝崎さん自らの手でステレオを調整していただくことにより、
ようやっとその言葉の意味を知ることができ、
自らの生き方、考え方の偏りを直視することができました。


気が長いのか短いのか、心が優しいのか冷たいのか、
一人の人の心の中には様々な属性があり、
それを定規を当てるように一元的に判断することはできません。

私は知的な論理的思考能力は人より優れた面があり、
それを活かし、これまでの体験の中から導いた生命の真理と感じるものを
ここに書き綴ってきました。

そしてそのいい面とは対極なものとして、
深い思い込みと近視眼的なものの見方があるということを、
自らが愛するステレオの音から教えてもらいました。


私は愚かな面が多々あります。
けれど言い訳をするようですが、
ですから私はいろんなページの末尾に「ともに」という言葉を書き添えています。

弱いところがあるから強くなりたいと願い、
愚かだからこそ賢くなることを望みます。

下から這い上がっていくからこそ、
その経験を活かし、苦しみをともに分かち合うことができます。

愚かな私に人を導くことはできません。
できるのは ともに 歩むことだけです。

こんな私でよかったら、これからも ともに 歩みましょう。

2012.2.17 Friday  
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