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仮想交流

この時空において、究極的には善悪は存在しません。
どんなものでもみな役割、意味を持っており、
無駄なものなど何ひとつ存在しないのです。

これは私の東洋哲学に基づくものの見方ですが、
そんな中でも、危険で気を付けなければならないものは存在します。

そのひとつが、すべてが相対的な世の中において、
あるものを絶対視すること、
またはもののひとつの側面だけを見て、それをすべてと判断することです。


魅力あふれるものこそ人を盲目にする危険性を秘めており、
また疎んじられるものの中にこそ、
深い気づきを得るヒントが隠されていることがあります。

逆説的な表現ではありますが、
すべてが相対の世の中は、こういった逆転の構造で成り立っているのです。

この時空の構造を表した太極図を見てください。
黒と白、陰と陽が互いを追いかけるように渦巻いているではないですか。




インターネットは、世界を変える力を持った偉大なツールです。
人々に広くあまねく情報を行き渡らせ、
名もない民衆に大きな力を与える、
まさに水の時代を象徴する情報ツールだと言えます。

けれどもこのインターネットであったとしても、
すべてが絶対的に善なる存在であるわけではありません。

インターネットによってウイルスをまき散らしたり詐欺を働く人間が現われ、
非合法な取引の場に利用されたり特定の人間を誹謗中傷したり、
様々な悪を生み出す原因となっています。

いつも言うように、価値とはそのものやことの中に存在するのではなく、
それといかに関わるかという関わりの中、
自分自身の中にのみ存在します。

ですからインターネット自体をいい悪いと論評することは意味がありません。
その価値を高めるためには、それとどう関わっていったらいいのか、
それを一人一人が判断することが大切です。


負の側面が大きく露呈するのはいいことです。
そのことによって、
私たちはそのものを正しく判断しようとする思いが芽生え、
判断力も鍛えられます。

価値は自分を中心とした中に存在するのですから、
正しい判断力は、周りの多くの情報を集める力よりも大切です。


私の周り世界では、
急速にツイッターやフェイスブック等SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)
の輪が広がっています。

直接的に交友関係のある友人、ネット上での友人、
そしてその友人の友人、または同じ考え方を持った者同士、
そういった何らかの関わりのある者同士の交流の輪を、
SNSはネットの力によって急速に広げていくことができます。

インターネットによって人と情報との距離が劇的に縮まり、
SNSによって人と人との意志や情報のやり取りの方法が大きく変わろうとしています。

今の文明の流れがこのまま進むとするならば、
    (そういうことはあり得ませんが・・・)
このSNSによってもたらされる人間同士の交流革命は、
今の延長線上をさらに前方へとひた走っていくでしょう。

スマートフォンの普及がさらに進んでいくならば、
それこそ特定のSNS仲間との交流は、
24時間フルタイムということになっていくはずです。


インターネット上での情報発信は、
HTMLを作成することができる技術やソフトを必要とするホームページから、
掲示板に書き込む感覚で発信できるブログへと発展し、
さらにそれよりも簡易に意見をつぶやくことのできるSNSへと
その中心は移ろうとしています。

これは広くあまねくを旨とする水の時代の正常進化であり、
この流れは誰にも止めることはできません。
また止める必要もないことです。

ただその中で危惧するのは、
あまりにも速い情報、交流革命の流れの中で、
その光の部分のみが大きくクローズアップされ、
その影の部分をほとんどの人が見ることがないということです。


フェイスブックで何百人の「お友だち」を作り、
何気ない生活の一断面を写真とともにアップし、
それに何十人ものお友だちが「いいね!」ボタンを押して評価してくれたら、
それを嬉しいと感じるのは、人間として当然の感情です。

嬉しいと感じることは悪いことではありませんが、
その喜びの陰にはどんな危険性が潜んでいるのでしょうか、
やはりそのことは考えていかなければなりません。


私もフェイスブックに登録しています。
自分から多くの人とお友だち関係になることはありませんが、
たまにインドからメッセージが来たり、
またインドの近況が分かることは大きなメリットです。

もちろんインドだけではなく、
日本国内での交流もあり、
知人の投稿した記事には、
たまにコメントを書いたり、「いいね!」ボタンを押すことがあります。

それでも私の性格として、
あまり頻繁に儀礼的なアクセスをすることはありません。
けれどそうすると、なんだかその人を無視しているように捉えられはしないかと、
少し心配になることがあります。

また逆に、ご挨拶のつもりで「いいね!」ボタンを押したりすると、
馬鹿正直な私は、自分の存在価値が希薄になったように感じ、
軽い自己嫌悪に陥ったりもするのです。

そんなことを続けているうちに、
単なる独り言のような投稿に、何十個もの「いいね!」ボタンが押される
『交流関係の広い人』の存在やその交流のあり方が、
なんだか異様なものに思えてくるようになりました。


まったくうまく言葉で言い表すことはできないのですが、
このバーチャル(仮想)な交流世界は現実のものときわめて似てはいますが、
やはり似て非なるものです。
このバーチャル世界に深く関わっていくと、
人間が最も必要とする大切な何かが失われていくのではないか、
そんな恐怖心が強烈に湧き上がってきます。

フェイスブックに代表されるSNSは強大な魅力を持ったツールです。
それだけに、SNSの持つ魅力は人を虜にし、
正しい判断力を失わせ、
今後さらに大きな求心力でもって人を引き込んで行くであろう危険性を感じます。

人はひとつのものに引き込まれれば引き込まれるほど、
正常な判断力を失っていきます。
また仮に、どこかの地点でその危険性に気がついたとしても、
後戻りすることができなくなってしまいます。

バーチャルな経済は、バブルという形で崩壊の時を迎えました。
バーチャルな交流関係も、それが肥大化しすぎると、
いつか必ず大きな音とともに崩れ去る時が来るでしょう。


先日ネットでSNSの危険性を説いた記事を見ました。
中国発ですので、どれだけ信憑性があるかは疑問ですが、
参考としてみてください。

私の感覚としては、こういうことは十分あり得るだろうと思います。

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フェイスブックから離れろ!「SNSをやればやるほど人は不幸を感じる」
                                   ― 米研究報告

2012年1月19日、北京晨報によると、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にかける時間が長い人ほど「自分は人より不幸だ」と思う傾向が明らかになった。

米ユタバレー州立大学の社会学者ニコラス・エッジ氏は425人の大学生を対象に幸福感と友人関係について調査した。対象の大学生に対し、SNS上の友人数、その中で現実世界で知りあっている友人数などSNSのフェイスブックの使用状況についても聞き取りをした。結果、大学生の95%がフェイスブックに登録しており、平均2.5年間、登録を継続している。SNS上の近況や写真の更新、友人の動向を確認するなどに平均週5時間を費やしていた。

調査結果から性別、宗教、婚姻状態など影響のある要素を排除してわかったのは、「フェイスブックに費やす時間が長ければ長いほど、自分は他人よりもよい生活ができていないと思う傾向が顕著」だということ。フェイスブック上に現実世界では知り合いではない友人が大勢いる学生ほどこの意識は強烈だ。また、フェイスブックを長年利用しているユーザーほど不公平感が強かった。オンライン上の交際を好む人に比べ、現実世界で多くの時間を友人との交流に割いている人は生活の不公平さを感じにくいという。

英紙デイリー・メールは18日、研究者の話として、この種のSNSによりもたらされる生活に対する不満は心理学で「対応バイアス」と呼ばれる結果だと伝えた。「対応バイアス」は心理学の用語で、「根本的な帰属の誤り」ともいう。すなわち、人は限られた知識の中で他人の行動を誤って説明することがある。フェイスブックでにっこり笑っている他人の写真を見ると、「他人はいつも楽しく暮らしている」と思ってしまう。現実世界で知らない人ほどその傾向が強いという。(翻訳・編集/渡邊英子)

レコードチャイナ  配信日時:2012年1月21日 0時8分

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SNSとはどの様に関わっていけばいいのでしょうか?
その答は何でしょうか?

当然ながら答などはありません。
自分はSNSとどう関わっていけばいいのか、それを感じ、判断する、
そのことが大切であり、
そこから導かれた結論がどうであろうが、人と異なっていようが、
そんなことは問題ではないのです。

この世の中に絶対というものは存在しない。
どんなものにも負の側面がある。
そのことを素晴しいと感じるものの中にこそ見出さなければなりません。


バーチャル世界はどこまで行っても仮想であって現実ではありません。
現実(リアル)が主であり仮想(バーチャル)は従である、
この真理は変わることがありません。


<追記> ・・・ 2012/2/12

イギリスでフェイスブックにまつわるこんな事件が起きました。

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娘がフェイスブックの「友達」外され、父親が殺人



 イギリスのデイリー・メール紙(オンライン版、2012年2月9日付)によると、アメリカ南部テネシー州で、娘がフェイスブック上の「友達」から削除されたことに、父親が激怒し、削除した若いカップルを銃で殺害するという事件が起こった。父親のマーヴィン・ポターは殺人容疑で逮捕された。また、娘に好意をもっていた父親の友人ジェミー・カードも同じく殺人容疑で逮捕された。

 殺害されたカップルは、ビリー・ペインとビリー・ジーン・ヘイワース。2人は自宅で、頭部を銃で撃ち抜かれ、ペインにいたっては喉も切られていたという。ペインの交際相手ヘイワースの生後8ヶ月の子どもは、無傷の状態で発見された。

 殺害された2人は、フェイスブック上の「友達」からポターの娘を削除して以降、娘から執拗な嫌がらせを受けており、警察に相談していた。「なんとも馬鹿げた事件だ」。事件を担当している保安官マイク・リースはこう述べている。

 この殺害事件に対して、ネット上では、

「こんなくだらない事件がおきて頭を抱えざるをえない。赤ちゃんが可哀想だ」
「もうフェイスブックなんてないほうがよっぽど良い」
「しっかり考えてから、フェイスブックの『友達』を外さないといけないね」
「だから顔出し実名は怖いんだよ」


といったような声が世界中から上がっている。

デイリー・メール紙(オンライン版、2012月2月9日)

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フェイスブックのユーザーは世界中に何億人とおり、
この事件ひとつをもってして
フェイスブックがよくないものだと言うことはできませんが、
仮想世界の交流に深く身を置きすぎると、
実社会での人間関係の感覚が麻痺してくる危険性があることは事実です。

感覚の麻痺は、自分が麻痺していると気付かないところに恐ろしさがあります。
よく酔っ払いが「俺は酔っちゃいない」と叫んでいるのと同じです。

いい人間関係を築くためには、
周りの人たちと常に頻繁に連絡を取れる状態にしておくことが必要でしょうか?
周りの「お友だち」の人たちがどんなことをしているのか、
常に把握しておくことが必要なのでしょうか?
自分のことをよく知ってもらうため、
いつも自分の日常をトピックスとして発信しなければならないのでしょうか?

コミュニケーションツールの急速な発達により、
コミュニケーションのあり方が劇的に変わろうとしている今だからこそ、
人との関わりにおいて大切なことは何かを真剣に考えなくてはなりません。

便利、快適、情報量が多い、これらが絶対善であるという妄想は捨ててください。
誰しもが内に持つ素晴しい命の輝きは、
通信手段のまったくない太古の時代も今もまったく変わることがありません。


日常の生活に追われていると、
その最も大切である命の輝きに、なかなか目を向けることができません。
私がインドに憧れるのは、
インドの子どもたちからその最も大切なものを気付かせてもらえるからです。

子育て、仕事、趣味、スポーツ、ボランティア活動、・・・
なにかひとつ、これをしている時、これを通して自分の最も深い部分が見つめられる、
そういうものを持てることは何よりの宝物です。

幸せは得るものではなく気づくもの ・・・ ですね。 ^^☆



2012.2.4 Saturday  
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