ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



自然の達人

二十代の若かりし頃、山陰の小都市松江市に住んでいて、
海沿いの国道9号線を車で走りながら、
また山陰本線を特急出雲号に乗りながら、
いろんな形で四季折々美しい日本海の景色を堪能させてもらいました。

学生時代に読んだサイクリングの雑誌に、
日本一周をした青年サイクリストの手記が載っていて、
その中に「日本海の景色は最高に素晴らしかった」
ということが書かれていて強く印象に残っていたのですが、
私の見た日本海の景色もまさにその通り、
荒々しさと優美さが合体した自然そのままの本当に美しい姿でした。

夏の青空の元に映える紺碧の海はまるで宝石のようです。
重苦しい雲に覆われた日の鉛色の海は、
限りなく深く大きい生命の源である海の存在を感じます。


十年ほど前は山に登ることに熱中していて、
休みの日には必ずと言っていいほどリュックを担いで山に出かけていました。

抜けるような青空が広がった日は、
山を歩いていても本当に気持ちがいいものです。
山全体が私のすべてを包み込んでくれているような気になります。

曇りの日はほんの少し残念ですが、
それでも時折顔を覗かせる青空に心躍らせ、
そんな中でも、そんな時にしか感じられない自然のよさを探そうと、
心と体、両方の目を自然に向けて歩くように心がけていました。


海も山も自然の一部です。
屋内のレジャーセンターとは違い、
その環境を人間の意のままにコントロールすることはできません。
できないからこそ自然であり、そのできないところに自然の自然たるよさがあります。

いつもお日様が輝く晴天の日ばかりだと、
きっと青空に有難みを感じることはなくなるでしょう。
そもそも気象環境や景色がいつも同じでまったく変わらないのであれば、
自然としての魅力はほとんどなくなってしまいます。

私たちが命を持って生きているのと同じように、
自然もまた生きています。

海には潮の満ち引きがあり海流があり、
山の木々も呼吸をし、雨を養分として吸い取っています。

山で強い風が吹いた時、
森の木々はその風に耐えながら、
たくさんの二酸化炭素を吸い、酸素を排出して呼吸しています。

雨は森の木々にとっては大いなる恵みです。
水をたっぷり吸った植物は、その緑の色をより一層濃いものとし、
葉っぱや幹は精気を得たように生き生きと輝き出します。

強風や大雨の後で山に入ると、
自然のエネルギーが普段よりも高まっていることを体で感じ取ることができます。


自然と触れ合うということは、
その自然という大いなる生態系の一部に触れさせてもらうということです。
そこには人間の都合というものが介在する余地はありません。

自然を楽しむということは、
その自然のありのままの姿を、そのままの状態で受け入れるということであり、
たとえ自然がどんな状態であったとしても、
それをそれなりに受け止め、その中に喜びを見出していかなければ、
本当に深く自然を楽しむことはできないのです。


三日前の11月8日、
このホームページを通して知り合ったニュージーランドの知人と、
二人で安芸の宮島に行き、弥山に登ってきました。

宮島の紅葉は有名で、毎年11月中旬頃が見頃なのですが、
今年は秋に入ってから気温が下がらず、
紅葉がかなり遅れている様子です。



一部のモミジは葉が色づく前に枯れてしまっていて、
たぶん今年の紅葉はあまり期待できないのではないかと思われます。



それでも美しいところはいろいろとあるものです。
特に同行した知人は宮島が初めてだったので、
その彼の様子を見ているだけで、私としては新鮮な気持ちになれました。



天気は花曇りといった感じでしたが、
そういう天気にはそういう天気なりの景色の美しさがあります。
瀬戸内の島並は、遠くがちょっとかすれているぐらいが美しいのです。



弥山頂上からの下山ルートはいくつかあり、
豪雨による土砂災害で長期間閉鎖され、
数年前に再び開通した大聖院ルートは、
本来最も好きなコースだったのですが、
その災害現場の復旧具合が痛々しく、
復旧してからほとんど歩いたことがありませんでした。

けれど知人がこっちの方が距離が短いから、と言われたので、
久し振りということで大聖院ルートを歩いてみることにしました。





久し振りに歩く大聖院ルートはやはり海や神社が見えて景色は抜群です。
災害復旧現場も痛々しいことには痛々しいですが、
その前に歩いた数年前と比べて随分と自然が勢いを増し、
石やコンクリートで固められた斜面を自然の中に溶け込ませています。





ここは国立公園ですので、
植林をすることによって自然の姿を擬似的に戻すことができません。
それでも自然の持つ「自然治癒力(復旧力)」はがんばってますね。
そのがんばりに少しだけ心打たれました。


このたび宮島に行って思いました。
モミジが少し枯れてしまっていてもいい、
空に少し雲がかかっていてもいい、
土砂崩れの現場が痛々しくても大丈夫、
それらすべてを含めて自然なんですね。
それが自然の生きる姿なんですね。

私たちはその自然の生きる姿を体で感じる、
それが最高の自然との触れ合い方なんだろうなと。

そんな自然のすべてを受け入れられる人こそが、
自然の達人とでも呼ぶべき人なのでしょう。


そしてさらに思ったのは、
私たちの人生という数十年の旅もまた自然と同じであり、
「人生山あり谷あり」と言いますが、
そういった生きる上での風雪に耐え、それをまた楽しみ、
そのすべてを喜びでもって受け入れること、
これが人生の達人の技ではないのでしょうか。

これはひとつの考え方ですが、
人生も自然と一緒、晴れの日もあれば雨の日もある、
それを気楽に楽しむこと、
こう考えると少しは気持ちが楽になりますね。


このホームページのトップに掲げているアントニ・ガウディの言葉を
最後のメッセージといたします。

自然にあるものこそが素晴らしい、我々はそこから学ぶだけである。

                〜 アントニ・ガウディ (建築家) 〜



三日前に宮島で撮った写真はおまけです。
よかったらご覧ください。 (^o^)v

























ここから下、もみじ饅頭までの写真は大聖院です。















しゃもじは宮島名物です。











銭儲け地蔵(?)





もみじ饅頭は種類豊富です。







インドでもハロー・キティは人気があり、
インドの友人はこの写真が気に入ったようでした。 ^^☆



一緒に山登りを付き合ってくれたHさん、ありがとう。 (o^∇^o)ノ





2011.11.11 Friday  
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