ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > サイン



ヨガナンダ



サイン

最近は日々ニュースから目が離せません。
いよいよ時代はその生命リズムの動きの通り、
これまでの社会秩序を着実に破壊へと導いています。

貧困大陸アメリカ、ユーロ圏の破綻はもう現実のものとして目の前に迫り、
アジアのデトロイトと呼ばれるタイは洪水で大きな被害を受け、
変革の波は実にピンポイントで作用しています。

けれどこの大きな波にもまれている中でも、
私たちがこれまで持っていた価値観を捨てるのは容易なことではありません。
なんとかこれまでの体制を維持しようとする働きに対して、
新しい社会の仕組みを作っていこうという動きはあまりにも小さすぎます。

日本でも東日本大震災で大きな被害を受けると同時に、
福島第一原発の事故により、
東電を中心とした政官財、そして学、マスコミを含めた
巨大な利権構造が明らかになりました。

これは私たちの社会が抱える最も醜く最も根深い暗部とも言えるでしょう。
これが表に出ることより、
ネットを中心とした市民レベルでは様々な動きがあり、
私たちの意識は確実に変わっていこうとしていますが、
国や企業、大手マスコミの変化はきわめて小さく、
もうそれらに自浄作用を求めるのは不可能なのかと
諦めの気持ちを持ってしまいます。


時代の変革の波は何人にも止めることはできません。
長いスパンで見れば、
『波動進化する世界文明』の行く末は明るいものだと確信を持っています。

けれどそれに至る短期的な過程において、
今の私たちの社会が見せているこの頑なな動きを見るにつけ、
それがスムーズに行われるのかどうか、
明確な見通しを持つことができません。


明日世界がどのような変化を見せるか予測できないこの時、
自分としては、短期的にどこに思いの焦点を合わせていけばいいのだろうか、
正直迷いを持つこともあるのですが、
やはり今求められているのは過去の知識の集積ではなく、
どんな時にも動じることなく物事を判断できる判断力であり、
直感力だと考えています。

そしてその力を高めるためにも、
自分の心の中を静かに、清らかに保ちたい、
今最も強く願っているのはこのことです。

また世界が、社会が、古い価値観や体制を手放せないのならば、
まずはその世界や社会の創造主である私自身から、
いろんなものを手放していきたい、
それが自分にできる人類を最も望むべき方向へと導く最高の手段だと考えます。


直感は、思いとして内から湧き上がってくることもあれば、
周りから偶然という必然でもって何かに気づかせてもらうこともあります。

周りで起こる何かに気づかせてもらえるような出来事は “サイン” と呼び、
今は時間の流れが異常に速く、そして想念の力がとても高まっていますので、
身の回りで日々数々のサインを感じられる方も多いのではないかと思います。

私もここ数日であるひとつのサインを受け取りました。
サインとは、心研ぎ澄ませて生きていることに対するご褒美のように感じます。
サインは自らが創造した直感であり導きであり、
また励ましのメッセージなのかもしれません。


懇意にしていただいているソルトホームスクールの方から、
インドからの来訪者があり、その方を囲む会があるからということで、
四日前の月曜日、平和公園の中にある会議室に行きました。

そこに向かう途中、自転車に乗り横断歩道の前で信号待ちをし、
青信号になったと同時に前に進もうとしたのですが、
その時突然横から猛スピードで年配の男性が運転する自転車が突っ込んできて、
ほんの少し接触し、危うく転倒しそうになりました。

そのおじさんは転倒していましたが、
この事故のパターンは、昨年二度死にかけた二度目のものと同じです。
昨年の事故で突っ込んできたのは自動車でしたが、
その数ヶ月前、それとまったく同じ形で、ごく親しい親友の近親者が、
この広島市内で事故死しておられるので、
私としては深い意味を感じずにはおれないのです。

深い意味は分かりませんが、
またどこが何かが動き出しているのを感じます。


会場に行くと、そこには二人のインド人の方がおられました。
一人はケララ州で孤児院を運営し、
国際自由宗教連盟の活動をしておられるトーマスさん、
  <S E E D S INDIA>
もう一人は、大都市ムンバイでその活動をサポートしておられるジャンビさんです。 



私が行くインドのホームはインド最南端のタミルナド州、
ケララ州の東隣です。
そのホームはキリスト教(プロテスタント)の運営で、
トーマスさんのホームもキリスト教(カトリック)です。

もしかしたら私の訪ねるホームのこともご存じなのではと尋ねてみると、
なんとよくご存じだそうで、
ホームの敷地内に立っていて、私も見た記憶のあるピースポールは、
  (日本にもある「世界人類が平和でありますように」と書かれた白い木製の塔です)
トーマスさんが作られたものだとのことでした。

インドは人口11億人、世界第二の超大国です。
その大国からの来訪者が知り合いの知り合いだとは ・・・ 、
これは奇縁と言うのでしょうか、とても不思議なものを感じました。


翌日、トーマスさんにインドのことについていろいろとお聞きしたいので、
ソルトホームスクールに出向き、一緒に食事をしました。

私のパソコンに入っているいろんなインドの写真や動画を見てもらい、
それについて解説もしていただきました。
ケララ州はタミルナド州のすぐ隣ですので、
どうやら私はトーマスさんのホームの近くを通ったことがあるようです。

また私をインドへと導いてくださった日本山妙法寺の石谷政雄上人も、
以前会われたことがあるということも分かりました。

インドの話をし、写真や動画を見ていると、
胸の中から強烈な懐かしさと憧れが湧き上がってきます。
私は生まれも育ちの日本国内で、
インドはただ旅行で行ったに過ぎないのですが、
インドに対する強烈な思いは、まさに郷愁と呼ぶにふさわしいものです。

なぜなんでしょう。
やはり過去世でインド人だったからでしょうか、
この感覚は理屈を超えています。


震災を経て、日本は確実にそれ以前の日本から変化しました。
世界も明日どんなことが起こるのかまったく想像がつきません。

そんな中、インドのボランティアだ、魂の故郷だと言って、
自分がインドへ再び行くことを願うのが、
本当に真っ当なことなのだろうかと、ここ最近ずっと頭の中で悩んでいました。
英語もコツコツと学習を続けているのですが、
本当はもっと他にすることがあるのではないかという思いを、
わずかですが持っていたことも事実です。

けれどこのたびトーマスさんと出会い、インドについて思い起こす機会を持ち、
自分が心の底からインドに行くことを望み、
その思いが知り合いの知り合いであるトーマスさんとの縁を導いたのだということを
ハッキリと感じ取ることができました。

このサインは自らが創り出したものであり、
私はこのサインという導きを大切にしたいと思います。


そしてその翌日(一昨日2日)、車に乗って九州に出かけました。
九州に行くのは本当に久し振りで、
4年半前、インドからの一行6名とともに車を運転し、
東京〜熊本〜広島を二週間かけてドライブした時以来です。

それが縁でインドとは切っても切れない深い結び付きができた、
とても思い出深い旅なのです。
  <英会話学習MEMO インドの人たちと東京〜阿蘇を行脚>

九州に入る手前、関門海峡のすぐ目の前に壇ノ浦パーキングエリアがあり、
そこで車を停めて目の前に広がる景色を眺めると、
あのインドの人たちと一緒に過した楽しい旅行の日々が思い浮かびます。



今はネット、メール、そしてここ最近はTwitterやfacebookが登場し、
インドとの心理的距離が劇的に縮まりました。
関門海峡のことを写真付きで英文のコメントとともにfacebookに載せると、
早速インドからコメントが入りました。

このタイミングで思い出の地を訪ねるというのも不思議なご縁です。


九州から日帰りで広島に戻り、
家でパソコンを立ち上げると、
見知らぬ女性から一通のメールが届いていました。

十数年前、私の訪ねたインドカンニャクマリのアンブマナイ・ボーイズホームを訪ね、
今年再びインドに行きたいと思い、ネットで私のホームページを見つけ、
詳しい連絡先や最近の事情を知りたいとのことでメールをくださった方でした。

私は三年前と昨年インドに行き、
その都度その時の様子をホームページにアップしてきましたが、
それを見てホームのことをメールで尋ねてこられたのは今回が初めてです。

またまた立て続けにインド、これは何の意味があるのでしょうか。


そしてサインはまだ続きます。
今日4日、今度はインド在住の女性の方からメールをいただきました。
是非チェンナイ(マライマライナガル)にあるホームでボランティアをしたいので、
情報を提供して欲しいとのことです。

ここまで来るともう言葉がありません。


サインに出合えることは喜びです。
そしてそれが立て続けに起こるということは、その喜びもまたひとしおなのですが、
半分冗談ではありますが、
「こんなにサインが続くとは、俺はよっぽど感度が鈍いと思われているのかな ・・・ 」
と思ってしまいます。

サインに出合った時、その時点ではそのサインが示す深い意味が分からなくても、
そのことを心の中で問い続けていれば、
いつかそれが “応え” となって返ってきます。

サインに意味を付けるのは、自分自身の役目です。
サインに答はありません。
応えを受け、それを活かしていくところに価値が生じます。

また活かしていくからこそ、
次もまた新たなサインが現われてくるのです。


これまでの経験から、サインが現われるのは、
自分の心が研ぎ澄まされ、純粋にひとつの方向に向かい、
何かを求めている時であるように感じます。

私は己の内側からの直感とともに、
この尊い恵みであるサインというものを大切にしていきたいと考えています。


判断力、直感力、サイン、
混沌とし、明日をも知れぬ今の社会の中で、
これらこそが暗闇を照らす道標となるのです。

2011.11.4 Friday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.