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道筋<5>

私は理という言葉が好きです。
理とは “り” であり、また “ことわり” とも読み、
物事の道理や道筋、条理といったものを表します。

物理を専攻し、心理学に興味を持ち、
天の理を説く天理教によって精神世界に導かれ、
理は私にとって大切な言葉であると同時に、
この時空の仕組みを解く鍵なのです。


二十歳前のまだ若かりし頃、
縁あって天理教に導かれ、
その世界に強く惹かれるようになったのは、
そこで説かれている因果律という理に対し、
完全に納得し、信じることができたからです。

それとともに、その理に則り、
全身全霊をかけて人助けの道(これが己を救う道に通じます)を生きようとする
先生の生き様に感銘を受け、
私も同じような生き方をしたいと強く願ったからです。

あれだけ懸命に人助けの道を歩んでいる人が幸せになれないはずはない、
正直者が損をするような世の中であるはずがない、
どんな些細な行動でも、それが結果として返ってこないはずがない、
当時の私はその因果律の法則を絶対ととらえていました。

もしそれが間違いであり、この世の中が、正直に生きるより、
ずる賢く立ち回る方が幸せになれるような仕組みの上に成り立っているのなら、
今この瞬間に命を落としても構わない、
そんな世の中にはまったく未練はない、・・・
そこまで思うほど、この世の仕組みを純粋に理詰めで考え、信じていました。


特定の神名を拝することのできない私は、
結局宗教の世界から遠ざかってしまうのですが、
若かりし頃理の世界を追い求めていた情熱は、
今もあの頃以上に燃え続けています。

私の追い求めている理、この時空を律している理というものは、
深く突き詰めれば突き詰めるほどシンプルであり、
この素晴らしい時空の根底が、きわめてシンプルで美しく、
かつ理路整然とした『生命の法則』によって成り立っているという事実に、
深い感銘を覚えます。

この時空の真理、生命の法則は、
どんな時代、国であったとしても、また学があろうがなかろうが、
お金持ちであろうが貧しかろうが、
そんな条件には一切関係なく、
ただ自分の内を真摯に見つめ、まわりの自然を素直に感じ取っていくならば、
誰にでも感じ取れるものだと信じています。

これが理を追い求めてきた今現在の私の結論であり、信仰です。


ある世界的大宗教を信仰する知り合いが、私にこのようなことを話しました。
「自分の内を見つめたり、自然を見ているだけでは、
 この世の真理をつかむことはできません。
 真理をつかもうと思ったら、
 ○○(その人の信仰する宗教の教典)を読まなければなりません」

これは私にとってはきわめて情けない言葉であり、
人をこのように宗教に対して絶対視させてしまうのは、
致し方ないこととはいえ、宗教の持つ大きな罪です。

私はその人にこう言いました。
「もしこの時空が、その○○(教典)を読まなければ真理が分からないような
 仕組みでできて、それが真実であるとするならば、
 私は今すぐこの場で命を絶ちます。
 そんな世界にはまったく何の価値も魅力も感じません」

その人とは親しい間柄であったからこそ言えた言葉ですが、
これは100%私の本音であり、
このように理を追い求め、それを信じる生き方は、今も昔も変わることがありません。


因果律というのは、物理における作用反作用の法則と同じです。
因、あるいは縁ががあり、そこから果が導かれる、
原因があって結果がある、
これは仏教をはじめ多くの宗教が説いていることです。

陰と陽という相対の世界において、
原因と結果という相対の関係は根本であり、
これがあるからこそ、人は自らの行動と結果を省みて、
己を律し、高めていくことができます。

これは「鏡の法則」とも同じです。
自らの行動や思いが鏡のように外世界に現われて、
それによって自らを知る、究極の自浄法則であるとも言えます。


宗教では、正しい思いと行動をとることを求めます。
思いが自らの世界を創ると同時に、
過去の行動の蓄積が因、業(ごう)、カルマとなって、
その人の未来に起こる事を引き寄せるのだと説いています。

これが因果応報の法則であり、
悪行を行ったものは悪果を導き、
善行を行ったものは善果を得ることができるのです。


現在主流となりつつあるスピリチュアリズムでも、
この因果律は、時空を律する基本法則として捉えられています。

潜在意識活用法、引き寄せの法則、原因と結果の法則、・・・
心の中の因が、外世界の果となって現われると説いていますが、
その中で、善行を積み、善因縁を作りましょうと説く言葉には、
ほとんど出合ったことがありません。


私たちの運命である “果” を導く “因” とは、
思いのみで作ることができるのか、
それとも行動という形を伴わなければならないものなのか、
この違いにはとても大切な要素が含まれていると思います。


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2011.9.22 Thursesday  
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