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言葉の役割<2>

ホームページに文章を書いていく時は、
最初に内容やタイトルを考えてから書く場合と、
書いた後にしかるべきタイトルを付ける場合と二通りあります。

前項の「言葉の役割<1>」は後者でした。
最後まで書き終わった後に、
言葉についてこれまでどんなことを書いてきたかをサイト内検索で調べると、
かなりのページで言葉をテーマにしていることを知り、
我ながら驚きました。

これまではどちらかというと
言葉の否定的側面について多く書いてきているようでしたので、
今度は少しいい面を考えてみようと思い、
「言葉の役割」というタイトルを付けました。


言葉には大きな力があります。
けれど言葉によって、真理や思いを100%正確に伝えることは不可能です。

これは歴然たる事実ですが、
この事実をどうとらえるのかは、人によって、またとらえ方によって様々です。


前項で、思いとそれを表現する言葉は、
ハンマー投げの選手とハンマーとの関係と似ていると書きました。

完全に思い通りにならないものでも、
その思い通りにならない不完全さを知り、
その上でそれを利用し、手なずけていくのは、
一種の喜びであり、味わいです。

自転車に乗っている時、
右に曲がろうと思えばハンドルを右に、
左に曲がろうと思えばハンドルを左に切ります。
人間よりもはるかに重量の軽い自転車を、
左右に自在に操っていくのは実にたやすいことです。

私は若い頃に大きなオートバイに乗っていました。
車重が百数十キロもあるオートバイは、
走っている時にハンドルを曲げるだけでは方向は変わりません。
無理に手でハンドルを切ろうとすると、その逆方向にひっくり返ってしまいます。

走っている大きなオートバイの向きを変えようと思うと、
右に曲がる時には右に、
左に曲がる時には左側に体の全体重を移動させ、
その一瞬後にオートバイが体重の移動に合わせて傾き、
その結果として走っているオートバイの進路が変わります。

このほんの少しのタイムラグ、
乗っているというよりもまたがっている、
操作しているというより手なずけている、
そして無理やりにオートバイを引っ張っていくかのような感覚、
これがオートバイに乗る大きな魅力であり味わいです。


楽器の演奏でも同じです。
楽器を我がもののように完璧に演奏しているのは魅力的ですが、
ちょっと演奏者が楽器の力に振り回されているような演奏も、
心のワクワク感を引き出すまた別の魅力を持っています。

もう三十年も前の曲ですが、
学生時代によく聴いた渡辺貞夫のこの曲は、思い出深い一曲です。



今聴いてもまったく古さを感じさせないですね。
ナベサダの演奏技術は本当にたいしたものだと思います。
サックスをまるで普通に息をするかの如く完璧に操っています。


こちらは同じサックス奏者である宮沢昭の「Beyond The Flames」、
とても美しいセンチメンタルな曲と演奏です。



宮沢昭のサックスの音は、
ナベサダのそれとはまったく対照的なものです。
演奏者がサックスを吹きこなしているというよりも、
サックスという楽器自体が音を出そうとしている表現に任せ、
演奏者はただそれをほんの少しコントロールしているだけといった印象を受けます。

音の “ため” とでも言うのでしょうか、
ちょっとテンポがずれたような感じがしますが、
そこがすごく魅力的で、胸の奥の情緒的な部分が、
ちょっとつまずき、前のめりになるような感じで引っ張られます。

大きな力のある犬を散歩させ、引っ張られながら、
そのロープを握る飼い主がほんの少しロープを操り、
犬も飼い主もともに機嫌よく散歩しているといった雰囲気にも似ています。

演奏者と楽器は、人の思いとそれを表現する言葉の関係と同じです。
どう関わっていくかによって、魅力もまた多彩に変化します。


昨夜ページをアップした後、
いつも見ているソルト・ホームスクールのブログを読みました。
       業務連絡 ・・・ ブログののコメント欄に文字が打ち込めません。 どうしてかな?
                     優人くん、試験ガンバッテネ!


そこでも言葉をテーマにしたことが書かれていて、
そこで紹介されているなでしこジャパンの優勝を祝う新聞コラムが
素晴らしい名文で心を打ちました。

 缶コーヒーのCMで宇宙人が内心つぶやいていたのを思い出す。「この惑星の住人は上を向くだけで元気になれる」と。明察ではあるが、上を向くのもそう簡単ではない。気がつくと、うつむいて手を見つめていたり、靴の爪先をにらんでいたり、心の沈みがちな時はそういうものだろう
◆被災者の品格ある振る舞い、国内外から届いた激励、詩『雨ニモマケズ』、唱歌『故郷』…震災以降、日本人の目を上に向かせてくれたものは幾つもある
◆スポーツもそうだろう。頂点をめざす競技者は「上を向く」ことを習性として身につけた人々である
◆サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で日本代表「なでしこジャパン」が初優勝の快挙を成し遂げた。準々決勝の直前には全員で被災地のビデオ映像を見たという。被災者の懸命に生きる姿が選手たちに上を向かせ、選手の躍動が被災者に上を向かせる。きれいに通った心のパスに酔いしれている
◆目も心も、きのうは上に向けた人が多かろう。米国との決勝戦でなでしこがPK戦を制した朝、物の輪郭がいくらか滲(にじ)んで見える目で仰いだ夏空を忘れまい。


    <7月19日付 編集手帳 社説・コラム YOMIURI ONLINE(読売新聞)>

その缶コーヒーのCM、これも本当に素晴らしいなあ。 ( ノД`)・゚・゚・



言葉ってやっぱりすごいですね。
簡単な文字の配列で、人の心を大きく動かすことができるのですから。

けれどもこの文章を読んで感じたのは、
ここに書かれているのは、100%正確な事実ではないということです。

日本人の多くがなでしこジャパンの優勝に歓喜し、勇気をもらったことでしょう。
しかしだからといって、生でテレビを見、その後で家を出で、
まだ潤んでいる瞼で空を見上げた人が何人いるでしょうか。
ここに書かれていることは、悪く言うならば誇張であり虚構です。

それでも人はこの文章を読んで心動かされます。
なぜでしょう ・・・ 、そこで気がついたのは、
人は言葉、特にこのような個人の思いを綴った短文には、
事実を求めているのではないということです。

求めているのは事実そのものではなく、
事実に基づく心象風景です。

言葉だけではなく、音楽でも絵画でも、芸術と呼ばれるものすべてに対しても、
私たちは客観的事実ではなく、
より美しく、そしてリアリティーのある心に描いている風景を求めています。

私たちは目の前で起こった事を
100%すべて正確に記憶しているわけではありません。
記憶の中に残っているのはそこで受けた印象であり、
その印象が宝物であり、
その宝物に花を添えてくれるものに心動かされ、価値を見出すのです。


誰の心にも、幼い頃の記憶は甘く美しい大切なものとして残されています。
その記憶はたとえ薄ぼんやりとしたものであったとしても、
忘れることのできない宝物です。

長い年月記憶の中で育まれてきた幼い日の思い出は、
その多くが失われると同時に、自分の思いで誇張したり、置き換えたり、
たぶん本当にその時体験した事実とは大きく異なっていることでしょう。

ですからその当時の思い出は、
写真や実物として目の前で見せられるよりも、
心象風景として、甘く誇張された抽象的なものとして示される方が、
懐かしさを感じ、心動かされるのです。

 


言葉は、それを事実を伝える道具として考えたなら、
限界を持っていますが、
まったく別の機能を持ったメディアとしてとらえ、
その機能を十分に活かしたならば、
現実や事実を超えた大きな働きをすることができます。

大切なことはすべて同じです。
孫氏の兵法、「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」、
まず自己をしっかりと確立し、その上で言葉の持つ特性を知り、
それをどのように活かすかを考える。

言葉は、自分や人の心を大きく動かす力を持っています。
それを活用しながらも、それに溺れることなく、
いい関係を築いてください。

「上を向いて歩こう」、こんな言葉、キャッチフレーズも大切ですね♪

2011.7.22 Friday  
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