ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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キリストと偽キリスト

完全にひとつの大きな時代が終焉を迎えようとしている今は、
多くの人が救世主キリストのような存在を待ち望み、
実際にその出現を予言したものもいくつかあります。

また閉塞感を打破したいと望む人々の強い気持ちは、
正常な判断力を失わせ、
それを欺き利用しようとする力によって、
偽キリストを生み出す危険性をもはらんでいます。

私の友人は若い頃霊感があり、三十年ほど前、
太陽系の惑星が直列した時に黒い十字架が地球の上を覆い、
偽キリストが現われ、地上は暗黒の時代を迎え、
一部の地球人は飛来してきたUFOによってピックアップ(空中携挙)されるという
ビジョンを見たそうです。

彼はその後、それに類する予言が実際にあるということを知り、
とても驚いたと語っていました。


宗教的な意味でのキリストということについてはあまり詳しくはありません。
けれど救世主という意味におけるキリストが、
人類に大きな方向転換を求められている今という時に現われるのは、
必然性のあることのように感じられます。

これからは陰の時代、水の時代です。
主体というものを何より尊重し、
すべてを溶かし込み、ひとつとなり、自らが率先して変化していく時代です。

キリストという変革者も、
その役割はこれまでの時代とは異なり、
あくまでも変革という気づきを各自に与える導き手の役割となるでしょう。


新しい生き方<5>にも書いたように、
レデイー・ガガが日本で行ったパフォーマンスをYouTubeで見て、
その迫力に度肝を抜かれました。



すべてにおいてパワフルであり、
与えられた命を燃焼させ尽くしている姿には、
見ている者は無条件に激しく心揺さぶられます。

私は音楽が大好きですが、
音楽以上に、その音楽を構成する音に深い興味を感じます。

音楽を構成するリズム・メロディー・ハーモニー、この三要素以前に、
音自体に力がこもり、そこに人の心を打つ要素がなければ、
音楽が人の心を動かすことはないと考えています。


女性ボーカルではPinkが好きでよく聴きます。
彼女の太く力のあふれるボーカルは、
それを感じること自体が快感です。



けれどもPinkよりもはるかに年齢の若いレディー・ガガのヴォーカルは、
Pinkに勝るとも劣らぬ強靱さを持ち、
リスナーの耳と心をわしづかみにするかのようです。

その力強い声に比例したパワフルなパフォーマンス、
リズミカルでシリアスな素晴らしい曲、
彼女は世界のトップスターに登り詰めるすべての要素を兼ね備えています。


私は英語の歌を聴いて、
その歌詞の意味することを理解できるほどの英語力は持っていないのですが、
彼女が日本のライブで披露した二曲の歌詞の意味を知り、
そのメッセージ性の深さに再び度肝を抜かれました。



The Edge Of Glory(この世を去る直前の最後の瞬間) と BORN THIS WAY 、
The Edge Of Glory の動画は、
ホームページへの埋め込みコードが取得できないようになっています。
上記のリンクをクリックしてください。
  (動画をアップした RINMCU01C さんの訳が素晴らしいです)

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レディー・ガガ

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生命の偉大さを感じさせる曲、パフォーマンス、
そしてこれからの時代性を感じさせる素晴らしいメッセージ、
彼女こそ今の時代に求められている救世主キリストであると感じました。

彼女にはそれだけの十分な資質があります。


昨日、世界一のオーディオ職人であるローゼンクランツの貝崎さんと
電話でお話をしました。

前日に貝崎さんに送ったメールの中に、
男性の中にある女性性としてのアニマ、
女性の中にある男性性のアニムスについて書いたのですが、
貝崎さんはオーディオの音を探求する過程で、
松山千春、さだまさし、小田和正、こういった人たちの声に潜む女性的な部分を
いかに再生するかということを徹底的に追求したそうで、
アニマ、アニムスのことがとても腑に落ちたのだそうです。

そこで私がレディー・ガガのことを話題に出しました。
「彼女の声には強烈な男性性を感じますね ・・・ 」

そうしたところ、貝崎さんからの返事は、
「ボクはまったくレディ・ガガには興味がないんよ。
 彼女の音楽はボクは生理的に受け付けないんだよね」
という意外なものでした。

貝崎さんにとっては、レディー・ガガよりもマドンナの方が、
よっぽど偉大なアーティストに映るらしく。
彼女には偽善性のようなものを感じるとまで言われました。

彼女が東日本大震災への義援金募集のためにリストバンドを販売し、
その収益金を着服しているという内容の訴訟が起きたというニュースが
一昨日流れました。
もちろん着服のことは本人は否定しているとのコメントが出されましたが、
貝崎さんからすれば「さもありなん」と感じられたようです。


私はレディー・ガガのことを現代のキリストとまで書いたのですが、
不思議かと思われるかもしれませんが、
着服訴訟のこと、貝崎さんの言葉、
それらに対してまったく反論する気持ちが起きませんでした。
逆にそういったこともあるかもしれないなという感覚を持ちました。

善というものを表現するには、
自分の中にある程度悪の部分があった方が、
より客観的に善を捉えることができます。

本当の善人よりも、善を演じている詐欺師の方が、
善人ぽく見えるということがよくあります。

坂東玉三郎や早乙女太一といった女形が、
女性以上に女性の美を表現できるのは、
男であって、女性というものを外側から見ることができるからだと思います。


私はレディー・ガガの真の姿は知りません。
けれど彼女がどんな本質を持っていたとしても、
彼女が人を新しい時代に向けて力強く導いていけるならば、
彼女は立派なキリストです。

キリストとは、人を救うことができる人。
偽キリストとは、一見人を救うことができるように見えても、
実際はそんな力を持たない人、
あるいは人を救うような格好をして、実際は逆の方向へと導く人のことを言います。

キリストであるには、絶対的な善人である必要はありません。
太陰の中にも小陽あり、太陽の中にも小陰あり、
これからは相対の時代、絶対というものは存在しないということを知る時であり、
人に対して絶対性を求めること自体が誤りです。

たとえ内なる悪を抱えていたとしても、
その発露の仕方さえ誤らなければ、
誰にでもキリストになることは可能です。

相対の時代は、価値というものを主体であり自分の中に置くことが求められます。
キリストの存在は自分の中、
あるいは自分と外との関係の中に見出すべきものです。

自分を救うのは結局は自分自身です。
自分の思考、判断、価値観、・・・
そういったものが自分の幸不幸を決めるすべてです。

自分の外なるものに絶対的価値はありません。
たとえどんな素晴らしい人であっても、
その人から何も感じ、学び、活かすものがなければ、
自分にとっては価値がないに等しいことです。

その人が極悪な犯罪者であり、
自分に危害を加える者であったとしても、
その経験から大きな学びを得られたとしたら、
その人は自分にとっての救世主キリストであったと言えるでしょう。


より厳密な言葉で表現するならば、
レディー・ガガは、私にとって、またたぶん多くの人にとって、
その人の中にある『キリスト性』を導くことのできる存在だと感じるということです。


いつも何度も同じようなことばかり書いている気がしますが、
これはシンプルであってもきわめて大切なものの見方、考え方です。

またこのことは頭で分かったつもりでも、
体に染み込ませるように理解させるには、
現代人として身に付いている様々な思考の囚われ(執着)を
手放さなければなりません。

何度も繰り返し同じようなメッセージを目に入れることで、
その世界から脱する一助になればと願います。


真のキリストは、自分の心の中、ものの見方の中に存在します。
それを自分の外の世界に求めようとする、
その気持ちそのものが偽キリストを創り出す源です。

2011.6.30 Thurseday  
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