ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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旅_110602

旅の二日目、昨夜は教会のみなさんに
私のノートパソコンに入っている写真を披露し、
その時に一人の女性が私の肩をずっと揉んでくださっていたせいか、
午前2時半に目が覚め、眠れないので昨日の旅日記を更新しました。
寝不足が続いています。

それが原因かどうかは分かりませんが、昨日の日記で、
「広島県外に出るのは一年ぶり」、みたいなことを書きましたが、
よく考えれば半年前の昨年12月、愛しのゆーちゃんの結婚式で、
ここ天理に来ていたのでした。
超うっかりです。 (>_<)

早起きするといろんなことがでますね。
普段なら寝るぐらいの時刻に起きたのだから当然でしょう。
ちょっぴりリッチな気分です。

教会では朝は6時、夜は6時半から「お勤め」という祈りの時間です。
朝のお勤めを終え、食事をすまし、
8時過ぎに娘と二人で車に乗って両親の墓に向かいます。

両親の墓は生駒市の生駒上町というところにあり、
偶然私の出た高校のすぐ近くです。
この辺りは茶道具の茶筅(ちゃせん)の産地としても有名です。

今朝は雨が降ったり止んだりの空模様でしたが、
お墓に着いた時は幸い雨は上がっていました。



お墓の掃除、草取りをし、花を供え、線香に火を付け、
朝パソコンからプリントアウトした般若心経を唱えながら手を合わせます。
娘は私の両親の墓に参るのは初めてのことです。
亡き両親もきっと喜んでいることでしょう。

お墓はこの坂を登った途中の右側にあり、
この坂をあと少し登り、100メートルほど左に行ったところが母校、
奈良県立北大和高校(現 北高校)です。



この坂は、歩いたり、自転車に乗ったり、バスに乗ったりして
何千回通ったことでしょう。

ある時スポーツタイプの自転車に乗り、この坂を下りました。
前だったか後だったかのブレーキが故障していて、
片ブレーキで走っていた時、
残りのもう一方のブレーキーワイヤーが切れたことがありました。
「ブチッ!」、あの時の感触は今でも忘れません。

だんだんとスピードが増していく自転車、
坂を下りきったところには大きな道路が横切っています。
坂を下っている途中、その道路を大きなトラックが横切りました。

選ぶべき道はふたつ、転倒して怪我するのを覚悟で自転車を停めるか、
このまま突っ切って、前の道路を車が横切らないことにかけるか、・・・
まさに究極の選択です。

結局は運を天に任せ、そのまま突っ切ってしまったのですが、
幸い車は横切らず、今もこうして駄文を綴っています。
この坂に立つと、いつもその時のことを思いだします。


娘はお世話になった大越俊夫先生という方の学校で催し物があるので、
阪急岡本駅へと向い、私は彼女を近鉄生駒駅まで送りました。

岡本は私が学生時代に乗り降りしていた駅です。
車の中で娘がケイタイをガチャガチャやって、
「ここから一時間ちょっとで岡本まで行ける」などと言っていました。

今は便利な時代ですね。
私はパソコンは得意でも、ケイタイはサッパリです。
それと今は近鉄奈良線で神戸まで直接行けるようになったみたいで、
あっち方面に行くのが劇的に速くなりました。
私が通っていた頃にそうなっていれば ・・・、そんなことを思います。

娘を生駒駅で降ろし、握手をし、手を振って別れました。
なんだか不思議すぎて少し現実感が湧きません。
けれども私にとっては大きな一歩です。


私はこれから一人天理の教会に戻るのですが、
ちょうどその途中の大和郡山にある天理教郡山大教会に寄ることにしました。

今回の旅の目的のひとつは、自分自身を振り返るということです。
郡山大教会は、私が熱心に天理教を信仰している時に神殿の普請があり、
私も “ひのきしん” という無料奉仕活動で、その工事のお手伝いに何度も通いました。

また父が胃がんになった時、
神一条と自らの命を捧げるお誓いをしたのは、
この郡山大教会と天理にあるご本部の神殿です。

当時住んでいた生駒の家から自転車に乗り、
片道二時間ほどかけて郡山、天理と三日間続けてお参りさせていただきました。
今回はその原点を振り返るため、絶対に行っておきたいと考えていたところです。

昔通った富雄川沿いの道を走り郡山に向かいますが、
道は以前とすっかり様変わりし、
三十年前の記憶はあやふやで、かなり道を迷ってしまいました。
けどそんな迷いながら目的地に向かうというのも楽しいものなんですよね。
私はそんなのが好きなのです。
けど考えてみれば、これは私の人生の歩き方そのものですね!

昔懐かしい郡山大教会の神殿は、さすがに堂々としたものです。
この神殿建設のほんの端っこでも関われたことは、
やっぱり有り難いことです。



立派な神殿の周りにはたくさんの建物があり、
きれいに改築されたものはあるものの、
建物の配置は昔と変わっていません。



右奥に見えるのが食堂で、
肉体労働のご奉仕をした後は、
ここでみんなと食べるご飯が最高に美味しく感じられました。

そう言えば、今いる天理の教会でいただくご飯もすごく美味しいんですよ。
おかずは質素でも、やっぱりみんなで喜びを分かち合ってする食事は何よりです。
ここに長居していると、絶対に体重は増加するでしょう。

それと私を見た教会の人たちは、みんな
「ノブオさん、スリムになりはったね〜♪」と口を揃えて言ってくださるのですが、
実際は体重は減るどころか少し増えたぐらいです。

不思議だな〜と思って考えてみたのですが、
これはたぶんパタカラの効果なのではないかと思われます。
以前よりも明らかに胸を張ったように姿勢がよくなりましたから。


ということで、郡山大教会で参拝を終え、
天理に戻ります。
天理の教会に戻ると、先生のお孫さんの一人が来ていました。
めちゃくちゃよく笑ってくれる可愛い女の子です♪♪♪



教会に来ると、たいてい赤ちゃんやちびっ子たちと出会えるので、
それがとても楽しみなのです。 (*^・^*)
そしてそんな子たちがいるお陰で、大人同士のコミュニケーションも上手くいきます。
『子はかすがい』♪


教会では、自分たちでできることは自分たちでやるようになっていて、
そのための道具や材料もふんだんに揃っています。

寡黙で真面目な隆之くんは、先生が使っている松葉杖が少し長いので、
その長さを調整していました。



こちらも無口な経平くんは、浴場作りを担当していて、
作業はいつも一人でやっています。



男女別、シャワーが各二カ所にあって、
なかなか立派な作りです。
後は設備屋さんが入ると、今月中に完成します。
次回行った時には使わせていただけるでしょう♪



タカオさんは、襖の桟(さん)を直していました。



老けて見えますが私よりひとつ年下、外見通りユニークな人柄です。
教会はいろんなタイプの方がおられます。


連日の寝不足で少し疲れ気味だったのですが、
行かなければならないお誓いの場所、天理教教会本部へと向かいます。
宗教都市天理は風光明媚で、きれいな建物や、花や樹木が目を楽しませてくれます。



教会(平成講)から歩いて約15分、
“おぢば” と呼ばれる天理教の教会本部があります。



かなり大規模な木造の建物は、
日本建築として有数のものだと思われます。

天理教の神様の鎮まりになっている神殿、
教祖様(おやさま)をお奉りしている教祖殿、
信者の方たちの御霊を奉る祖霊殿、
長い回廊を歩き、この三つを回るのが定例のコースです。

その回廊は信者さんたちがピカピカに磨き上げていて、
汚れた靴下で歩くと、かえって靴下がきれいになるほどです。


ご本部に参った後は、私が天理教の布教師になるのを断念したキッカケとなった
典日(のりのひ)分教会に行こうと考えていたのですが、
先生から病院に行くのについていって欲しいと電話があり、
急遽教会に戻ることにしました。

ご本部の行き帰りは、天理の商店街を歩きます、
日本でこんな古くさい商店街があるのだろうかと思えるほどの
古くさい商店街なのですが、
天理教の法被(はっぴ)を着た信者さんたちとこの商店街はよくマッチします。



教会に戻り、車を運転して天理よろず相談所病院という
天理教運営の立派な病院に行きました。

高校、、大学あり、病院あり、博物館あり、
巨大宗教の力はすごいものです。


再び教会に戻り、4時過ぎから自転車に乗って典日分教会に向かいました。
自転車だと典日までは5分ほどです。

ここが私が大学を中退し、すぐに布教師になるという思いを諦めさせてくれた、
恩師である村上忠雄先生が当時会長をしておられた教会です。
サムシンググレートの村上和雄先生の育ったところでもあります。



神殿には、亡くなられた村上先生のご両親の遺影も飾られていました。
ここの応接室で何度も忠雄先生のお話を聴きました。
夏休みには泊まり込みで信者の子どもさんのお世話をしたこともあります。
その時に神殿で和雄先生のご講演もお聴きしました。

三十年近く前のあの頃の思いは、今も私の胸の奥で生きていて、
今回の旅は、一通りその思いのすべてを振り返ることができ、
本当に意義あるものだと感じます。

けれどもその本当の意味は今は分かりません。
きっと近い将来そのことは分かってくるでしょう。
また分かってくるような生き方をしなければならないのだと思います。


典日を出て狭い歩道を自転車をこいでいると、
目の前を若い女性の乗った自転車が走っています。
後ろが気になるのか、チラチラと私の方を振り返っています。

その女性を見ると、着ておられる白いカーディガンの右の裾辺りに、
大きなダグが付いているのが目に入りました。
あれっと思ってよく見ると、どうもカーディガンの裏表を逆に着ておられるようです。

「あの〜、カーディガンの裾からタグが見えてますよ。
 もしかして、服が裏表じゃないですか♪?」

「えぇ〜っ、あっ、本当だ〜♪」

言ってあげてよかったのかどうか、
私はこういう時、黙っていられない性分なのです。

けどこれは私に対するサインではないのでしょうか、
過去のいろんなことに区切りを付け、
人生これから裏街道から表街道に ・・・ 、
そうであることに期待しましょう♪ (^o^)v


そんなこんな、いろんな些細な出来事も教会にいる人たちに話をすると、
結構熱心に耳を傾けてくださいます。

私は先生たち家族と古い付き合いがあり、
布教の当初からのいろんなことを見てきましたが、
精神的なこと、運命的なことをいつも天理教の言葉ではない
自分なりの解釈でみんなの前で講義をするので、
天理教一筋の人たちとはまったく異質の存在なのですが、
みなさん私のことをパンダを見るような目で温かく接してくださっています。

私もまた、まったく天理教の教理とは離れた生き方、思想を持っていても、
それが思いの根底でつながっていれば、
それがどれだけ純粋な信仰者の方たちに通じるのか、
ここはそれを自分に試し、見つめる場所でもあるのです。


教会には、少し前まで先生のお母さんが住んでおられたのですが、
今は大和郡山にある老人ホームに入っておられます。
私の亡くなった父と同い年の大正10年生まれですが、
まだまだお元気で、とても真面目で凛とした信仰姿勢を持つ、
娘である私の先生とはまた違ったタイプの尊敬できる宗教者です。

私が今でも大切にしている「神のご守護」という考えを教えてくださったのは、
このお母さんです。

今日は教会に来ておられたのですが、
夜の「お勤め」を終え夕食をすました後、
老人ホームに帰られるということで、
私が車でお送りすることにしました。

私はお母さんとももう三十年以上のお付き合いです。
私もお母さんの信仰の歩み、
またタイプの異なる母と娘の葛藤というものを長年見てきて、
そこから学ぶことが多くありました。

すべてはものの見方です。
そしてその見方が多様であることが豊かさです。

信仰のこと、教会のこと、昔おられた信者さんのこと、家族のこと、村上家のこと、
お母さんが募る思いを懸命に語られて、
気がつけば老人ホームのお母さんのお部屋で三時間、
時計の針はすでに夜中の12時を回っていました。

奈良にめったに帰ることのない私は、
お母さんとなかなか長い時間話す機会がありません。
お母さんがいつまでもお元気でおられることを願います。


すっかり遅くなってしまいましたので、
戸締まりされた玄関のドアを開けるため、
下の階までお母さんに付いてきてもらいました。

一緒にエレベーターに乗っている時、
突然メガネの右側のレンズがポロリと床の上に落ちました。
レンズを固定するネジが緩み、外れてしまったのです。

幸いネジは見つかりましたが、ネジを締めるための精密ドライバーがありません。
お母さんと別れて車に乗り込んだ後も、
メガネにレンズを固定することができず、
いろいろ道具を探しに建物の周りを回るのですが、
どうすることもできず途方に暮れてしまいました。

片目で運転することはできないので、
仕方なく、右手で右側のレンズを押さえながらゆっくりと車を走らせることにしました。
10分ぐらい走り、ようやく見つけたコンビニに立ち寄り、
セロテープを買い、応急処置でレンズをメガネに固定します。

教会に帰るとすでに夜中の1時でした。
毎日盛りだくさん、いろんなことが起こる刺激に満ちた楽しい旅です。

2011.6.2 Thuresday  
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