ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



苦労

心の壁を打ち破る、苦手なことを克服する、
そんなことができた時は、幸せいっぱいな気分になり、
「よし、これからやってやろ〜」という思いが湧き上がってきます。

これは誰にでも共通したものものだと思いますが、
問題は、その思いがそれ以降も継続していくかどうかです。

ホームページにはいつも偉そうなことを書いていますが、
私は人一倍心の弱い部分を持っています。
それがあるからこそ、それを克服しようと努力をするのです。

これまで何度も同じ問題にぶち当たり、
そのたびに悩み、苦しみ、
それをその場で克服できたこともあり、負けてしまったこともあり、
そしてその時は絶対に二度と同じ過ちを繰り返さないでおこうと誓うのですが、
いつもズルズルと元と同じ状態に戻ってしまいます。

本当に賢い人とは、一度した失敗を繰り返さない人、
人の失敗を我が事として学ぶことができる人、
こんなことをいつもいつも思っています。
それは自分にはなかなかできないことだからです。

心の弱い部分が表に現われる時の行動欲求は、
先に書いた情動という心の奥深くから湧き出てくるものであり、
頭の中の理論で納得させようと思っても解決できるものではありません。
これは思考や感情以前の、業(ごう)やカルマのようなものです。

けれどもこれは絶対に克服することのできないものではありません。
私自身の拙い経験から言っても、
常日頃から自分の心に目を向け、
それを磨いていく努力を続けてならば、
いつか必ず心は新たな成長に向けての一歩を踏み出していくものです。


苦労を重ねてきたから立派な人になれた、苦労は買ってでもしろ、
そんなことがよく言われますが、
それはなぜなのでしょう。

それは苦労を経験することで、心が磨かれるからです。
ではなぜ苦労は人の心を磨くのでしょうか。

この時空にあるものはすべてが共生していて、連動しています。
何かのことで苦労をし、それを克服する過程で、
周りのこれまで当たり前と思っていたことが、
とても有り難いもののように感じられることがあります。

あるものに対して苦労をし、それに対する見方、取り組み方が変わったら、
それと同時に他のすべてのものに対するものの見方や取り組み方も変化します。

すべてのものは共生し、連動しているのですから、
自分の中のある一部分の変化は、
他のすべてのものに影響を与えるのは当然です。

苦労とは自分がマイナスの状況に落ちること、
それを克服するとは、そのマイナスの状況をゼロ、もしくはプラスに持っていくこと、
その数値の上昇は、全体の数値の上昇につながるのです。

精神的に落ち込んでいる時は、
体を酷使し、肉体を疲れさせることです。
疲弊した肉体は、食事や休息でもって必ず回復していきます。
その肉体が回復する過程で、精神も同時に上向きになるのです。

部屋のガラクタを捨てれば心がスッキリするのも同じことですね。
素晴らしき時空の摂理です。


けれども苦労をしたからといって、
それが必ずしもその人にとってプラスになるとは限りません。
嫌な思いをたくさんし、心が歪んでしまうことだってあります。

その人にとって何がプラスでありマイナスなのかは、
評価するのがとても難しい問題ですが、
運命的に見れば、苦労をはじめとする様々な経験がその人のプラスとなるのは、
その人の徳分だと思います。

徳分とは抽象的な表現ですが、
それまて自分の心を磨いてきた積み重ねとでも言えるでしょうか。
これは私が感じていることです。

もっと現実的な見方をするならば、
その苦労が、その人にとって許容範囲内のものであるかどうかということです。
体を酷使することで肉体は鍛えられますが、
限度を超す負荷が与えられた場合、
怪我や病気でその人の肉体を傷つけてしまうことにもなりかねません。

苦労という人生における負荷も、
許容範囲という適切な量があるのだと思います。
けれどもこれは肉体的な負荷とは違い、
たとえ一時は心が深く傷付き、歪んでしまったとしても、
それが将来の糧となり、その人の運命を大きく花開かせる要因に
なるかもしれません。

人間万事塞翁が馬、人生何が幸いし、何が不幸の元となるかは分かりません。

やはり苦労というものに対する価値付けも、
その苦労の種類、その苦労から直接的に影響を受けた現象だけでは、
簡単に判断することはできません。

いつも結論は同じです。
その苦労というもの自体には価値はなく、
それをこれからどの様に活かしていくか、
そこに価値が生まれてきます。

何度も苦労をし、挫折をし、
だからこそまたそれを新たな知恵と方法でそれを克服しようという
思いが湧いてくるかもしれません。
物事はすべて考えようです。


大きな苦労を経験すると、
他の小さな苦労は、苦労と思えなくなってきます。

嫌なことと直面すると、それを拒みたい気持ちが湧いてきて、
その思いを正当化しようと考え、
他のどうでもいい用事を片付けたくなってきます。

学生時代、試験勉強をしなければならない時に限って、
部屋の掃除をしたり、小説が読みたくなってきたりしたものです。
私はほとんど家で真面目に勉強をしたことがない人間ですが、
それでも試験期間中は一応プレッシャーを感じ、
勉強以外の用事をやたら集中して取り組んでいた記憶があります。

このたびもやりたくないことと何日間か対峙したお陰で、
それまでなかなか進まなかった英語の学習が、
以前よりもスイスイとできるようになりました♪♪
これは思わぬ副産物です。

英語の学習に対する「めんどくさい」という拒否感など、
今となってはほんのささいなものに感じられます。


そしてこのたびは、
この『他のものすべてのモチベーション(動機付け)がアップする』という副産物が、
これまでと違って持続していけるような感覚があります。

これは前項で書いたように、
やはり心を見つめ、感情を解放するといった、
心に対する最近の取り組みの成果だと思われます。

苦労するような事柄に限らず、
人生生きていれば様々なことと出合います。
その出合ったこと、ひとつひとつをいい経験として積み上げ、
その度に成長し、己の糧とできる、
それが心磨きの最も大きな効能でしょう。

普段地味なものほど、いったん光りが当たると大きく輝きます。


二度あることは三度ある、
これまで何十回同じ過ちを繰り返し、
自分の中の業やカルマに負け続けていたとしても、
その経験がいつか別の形で活かせる日が来るかもしれません。

何十回負け続けていても、
コップの中に少しずつ溜めていた水が、
いつか一気にあふれ出る時があるように、
ある時何かの大きな変化を得て、
成功への道へと踏み出せるかもしれません。

そのためのキッカケとなる一番大きなものは、
地味で表ではなかなか見えてこない「心磨き」だと思います。

地味で目に見えない、地中に蒔かれた種は、
少しずつ土の中で根を伸ばし、いつしか一気に芽が現われ、
グングンと天に向かって大きく成長していきます。


私もそんなふうになりたいですね。

心の弱いところをたくさん持ち、
いつも低次元のところであくせくしている私が感じている
今日今現在の思いです。

最も地味で日の当たらないトイレ掃除
これが楽しくてたまらないと感じる私は、
もしかして最高の幸せ者かもしれないですね♪♪

2011.5.20 Friday  
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