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ハイファイ

日々ページに文字を綴り、そのページをアップした後に、
「自分の書いたことを読む人はどのように感じられるだろうか」、
「書いたことをきちんと理解してもらっているだろうか」、
と思うことがよくあります。

昨日アップした「調和」の中に書いた、

「個というものの理想を追い求めても全体との調和が取れないとダメで、
 理想的な力を持っていても、あえてそこから一歩後ろに下がることにより、
 全体としてのバランスを取り、トータルパワーを高めることもあります」


という貝崎さんの言葉を、
ごく当たり前のことと受け止められる方もいるかもしれません。
そのことが少しだけ気になりました。

この言葉をごく当たり前のことと感じ、
普段からそのようなことを心に留めておられるのであれば、
それはそれでとても素晴らしいことです。

けれども音を扱うオーディオの世界に関していえば、
これは少なくともすこし前までは、常識的なことではありませんでした。


オーディオ機器によって音の傾向があり、
相性というものも存在しますが、
基本的にいい音を追い求める手法は、
マイクロフォンで拾った音をスピーカーで響かせるまでの間で、
いかに情報の損失を少なくし、物理特性を高めるのか、
これが最大の課題です。

音の善し悪しは、ある面、機械で計測することが可能です。
音が歪んでいないか、
低い音から高い音までいかに原音に近いバランスで出力されるか、
こういったものを数字で表し、
それが元の音の状態に近いものがいい音であるとされてきました。

このこのとをハイファイと言います。
ハイファイとはHi-Fi、High Fidelity、高忠実度、高再現性という意味です。
  <Hi-Fi - Wikipedia>

二、三十年前、日本が高度経済成長はなやかな頃、
オーディオもブームとなり、
その頃によく「ハイファイオーディオ」という言葉を耳にしました。

ところが今はハイファイという言葉を聞く機会は少なくなりました。
それは物理的に元の音の状態に近いものが、
必ずしも音楽の感動をより多く伝えるものではないということが
分かってきたからです。

たしかに何百万円もするような立派なオーディオセットは、
迫力のある素晴らしい音を鳴らします。
腹に響く低音から可聴限界を超えるような高音まで、
原音を忠実に再現し、そういった意味ではまさにハイファイオーディオなのですが、
その音が必ずしも人に感動を与える素晴らしい音楽を奏でるものなのかというと、
それはまた別の問題です。

以前聴いた古い蓄音機から流れる音楽は、
歪だらけで低い音も高い音もほとんど出ていない、
物理特性でいえばAMラジオのようなひどい音でしたが、
音や音楽が現代のステレオとは比べものにならないぐらい大きな力を持っていて、
その力で胸をわしづかみにされるような感覚を覚えました。
  <SPレコードのリアリティー>

「赤い屋根」のオーディオセットは、
スピーカーはダイヤトーンの2Wayで三十年物、
CDプレーヤーやアンプは、ミニコンポのようなどこにでもある装置です。

オーディオ機器という観点からすれば、
まったく取るに足らないおもちゃのようなものですが、
そこから流れ出る音楽は、あの最上の赤い屋根の空間とマッチし、
聴く人の体と心を包み込むような優しい響きを奏でます。

数百万円、数千万円もするオーディオセットと数多く触れ、
調整してきたあの貝崎さんが、
「赤い屋根ほど素晴らしい音楽を奏でるステレオは他にない」
と断言するほどです。


機械的に物理特性を追い求め、
数字としての忠実度の高いハイファイな音と、
音楽の感動を伝えるという意味での
「音楽的感動」の忠実度、ハイファイとは、異なる存在であるのです。

機械としてのオーディオ機器は、
物理的には限界いっぱいと思えるとこまで進歩をしましたが、
それでもまだ満たされないところが多々あるということに
オーディオマニアたちは気がつくようになりました。

物理的に最高の『音を忠実に伝達、増幅する装置』というのは、
『音楽の感動を忠実に再現する装置』とは異なるのです。


心の世界を最も深く反映する音の世界で、
ハイファイの世界から少しずつ離れていくようになったということは、
他の世界でもそういった現象が現われてくるということです。

数字で表される幸福の尺度、
お金であったり健康であったり学歴であったりその他諸々、
それらひとつひとつの尺度がよりいい状態で満たされているのは、
それはそれで価値あることです。

けれどもそれらすべてが最高の状態で整うことが、
必ずしも最高の幸せであるとは限りません。
またそれが幸せの絶対条件でもありません。

なにか満たされないものがあったとしても、
他のものがそれを補おうとし、
より上質なバランスを得る場合もあります。

第二次世界大戦終了後、
急激に豊かになった私たちの暮らしは、
まさにこの暮らしにおける “ハイファイな世界” を目指してきたように感じられます。

目指すべきはものの豊かさ、
他人から数字で評価できる豊かさ、
そしてそれらをより多くかき集めることではありません。

本当に目指すべきものは、
自分の心が満たされ、幸せだと感じられる豊かさです。
そしてそれは、自分自身で見つけていかなければならないものだと思います。



2011.5.10 Tuesday  
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