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幸せの条件

幸せになるために本来条件は必要ありません。
ただ、今この瞬間に、自分が満たされている、
幸せであるということに気がつけばいいのです。

とは言うものの、
日々の生活の中で幸せを感じる瞬間というのは、
様々な条件の下に成り立っています。


「見えない世界<2>」で書いた赤い屋根での一時は、
まさに異次元空間での体験とでも呼べるような至福の一時でした。
すべてが最高である赤い屋根という喫茶店、
日が少しずつ落ちていくトワイライトゾーン、そして満月、
やはり今考えても、あの慈愛に満ちた満月の輝きは特別でした。

こういった条件がすべて揃い、
あの日は心に残る素晴らしい一時を過すことができました。

けれども満月を見ることができなくても、
日中の日が高い時であっても、
赤い屋根はやはりいつ行っても魅力的です。

四季折々、飾られている花も、
窓から見える外の草花も、
外壁に絡まるツタの葉っぱも、
すべてが移ろい、すべてが同じということはありません。

『みんな違って、みんないい』ということですね。

赤い屋根は特別な場所ですが、
他の喫茶店、たとえファーストフードの店であっても、
気の合う仲間同士、愛し合う二人が一緒にお茶を飲んだなら、
忘れられない楽しい一時を過すことができるでしょう。

幸せを感じる条件は様々です。


山に登り、汗をかいて頂上にたどり着いた時、
大きな達成感と喜びがわき上がってきます。

ガスでお湯を沸かし、お弁当を食べ、
遠くの景色を眺めていると、
ただこの豊かな自然の中で生きているということに、
限りない、そして深い喜びを感じます。

そして山頂でこの一瞬を過すことができたことに、
感謝の思いを抱きます。

それはこの頂上まで来ることができたのは、
様々な恵まれた条件があればこそだからです。

季節がよく、天候に恵まれ、
休日で時間的余裕があり、頂上まで歩いて登るための健康と体力、
山の麓に来るまでの交通機関、
これらがどれかひとつ欠けても、
頂上で最高の一時を過すことはできません。
そのことを思うだけでとても幸せを感じます。

幸せは得ることが難しければ難しいほど、
得た時の喜びは大きいものですが、
それは日常というケがあって感じる、非日常、ハレの喜びです。

それに大自然のまっただ中である山の頂上そのものが、
際立った非日常であるハレの場なのですから、
多くの山好きの人はそれを求めて頂を目指すのでしょう。

私は今でも山登りは大好きですが、
幸いなことに、日常の生活の中で心にストレスを溜めることがなく、
いつもささやかなものの中にでも
ハレを感じることができるようになったので、
以前のように熱心に山に登ることはなくなりました。

何かすごく心ひかれるものがあったとしても、
そこから得られる喜びは、
必ずしもそれでなくてはいけないというものではなく、
いくらでも代わりのきくものです。
私はそのことを山登りから学びました。


私がまだ二十代だった頃、
たくさんの子どもたちと一緒に山の中にある自然の家に研修に行きました。
夜は楽しいキャンプファイヤーがあり、そのための準備をしていたのですが、
あいにく雨が降り出し、
キャンプファイヤーは講堂の中で行われることになりました。

そこで自然の家の指導員の方が、
「今日はせっかく野外でのキャンプファイヤーの準備をしていたのに残念でした。
 けど自然というのは、自分の思い通りになるものではありません。
 今日はその大切なことを学びましたね」
と語って聞かせてくださいました。

何と素晴らしいメッセージでしょうか。
本当にその通りですね。
自然、あるいは人生と置き換えてもいいかもしれませんが、
私たちの身の回りは、自分の頭で考えた通りにはならないものです。
その中から工夫をし、喜びを感じていく、
これはまさに生きることそのもののような気がします。

私はこの言葉を聞いてから、
山に登ったり、自然と触れ合ったりする時、
どんな条件であったとしても、
その中から喜びを見つけ出そうとするのが当たり前の習慣になりました。

キャンプファイヤーを外でするのは感動的です。
けれども講堂の中でしても、それはそれ、また違った喜びがあり、
後になればそのこともきっと楽しい思い出になるに違いありません。

どんなところにでも喜びを見出すことができるということ、
それがその人の持つ知恵であり、心の豊かさなのだと思います。

それには条件は必要ありません。

少し考えてみてください。
私たちは大人になるまで、様々な条件を自らに課し、
たくさんの知識や教養、分別を身につけてきました。
そしてその結果どうなったでしょうか。

そういったものとはまったく関係のない、
まだもの心がついたばかりの子どもたちは、
朝から晩まで、起きている間中、どんなところでも好奇心いっぱいで
はしゃぎ回っているではないですか。

子どもたちにできるんですから、
私たち大人にも、日常すべてを喜びで満たすということが必ずできるはずです。


幸せになるために条件は必要ありません。
どんな条件の下でも幸せを感じることはできるはずです。
そしてそれができるかどうかは、すべて自分の心が決めるのです。

幸せは自分の外にあるものではなく、自分の心の内側にあるものです。

だから幸せは得るものではなく、感じるもの。
手に入れるのではなく、あることに気づくものです。

幸せであるかどうかは、自分の外にある条件が決めるのではなく、
自分の心の内にある自分自身の思いが決めるのです。


美しい花を見て、美しいと思えるあなたの心が美しい。

あなたの心に美しい一輪の花を。



2011.4.20 Wednesday  
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