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金子みすゞ
前項で、これからは当たり前のことが当たり前となる世の中になると書きました。
ですから今は逆に、
不思議なことが不思議と思われず見過ごされてしまっています。
何度も同じことを書いていますが、
私は今こうして命をいただき、生きているということが不思議でなりません。
こんな偉大としか言いようのない素晴らしい生命システムを
この肉体に宿しているということは、
どんな超常現象にも勝る神秘であり驚異です。
この生命に対する驚異と畏敬の念が、
私をスピリチュアルな世界に目を向けさせる原動力です。
そんなことを考えながら、
ふと金子みすゞの「不思議」という詩を思い出しました。
〜 不思議 〜
わたしは不思議でたまらない
黒い雲から降る雨が
銀に光っていることが
わたしは不思議でたまらない
青いクワの葉食べている
蚕が白くなることが
わたしは不思議でたまらない
たれもいじらぬ夕顔が
一人でパラリと開くのが
わたしは不思議でたまらない
たれに聞いても笑ってて
あたりまえだということが
私はたまたま縁あって、昭和の時代から金子みすゞの全集を
手元に置いて読んでいるのですが、
このたび久し振りに金子みすゞの詩に目を通し、
以前よりもより深く心に響くことに驚きました。
長年注目されることなく埋もれていたみすゞの詩が、
十数年前にようやく脚光を浴びるようになり、
さらに今という時を得て、その輝きはより一層眩しいものとなっています。
みすゞの詩に、時代がやっと追いついてきたのでしょう。
みすゞの詩はすべて、これからの時代、アセンションの詩ですね。
この意味がお分かりでしょうか?
みすゞの詩を何度も繰り返し読んでみてください。
その詩が自然と心の中で響くようになった時が、
新しい時代の当たり前の感覚を身につけることができた時です。
〜 わたしと小鳥と鈴と 〜
わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい
〜 大漁 〜
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
〜 こころ 〜
おかあさまは
おとなで大きいけれど
お母様の
おこころは小さい
だってお母様はいいました
小さい私でいっぱいだって
私は子供で小さいけれど
小さい心の私は大きい
だって大きいお母様で
まだいっぱいにならないで
いろんなことを思うから
〜 星とタンポポ 〜
青いお空のそこ深く
海の小石のそのように
夜がくるまで沈んでる
昼のお星は目に見えぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
散ってすがれたタンポポの
川原のすきにだぁまって
春のくるまで隠れてる
強いその根は目に見えぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
2011.4.15 Friday
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