ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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自己満足

震災で日本の歴史が変わったように、
自分の中でもこの一ヶ月、これまでにない大きな変化と気づきがありました。

自分の魂の中では、この大きな変化の時を待っていたのかもしれません。
意識のフォーカスは今現在の混乱よりも、
それを乗り越えた先に必ず来るであろう明るい未来に向き、
驚くほど不安や恐怖はありません。

これまで感じ、学んできた想念の力をますます深く信じるようになり、
その結果、自分の持つ想念の力は確実に高まっています。

死や人生における苦難に対する恐怖心も薄くなり、
身の回りのすべての出来事は自らが望み、創造したことであり、
自らの意志で引き寄せた必然的なことであるということが、
より深く心に刻み込まれるようになりました。


私はボランティア精神が旺盛な人間です。
そして涙もろく情に流されやすい、
そんなタイプであるとこれまで信じてきました。

けれどもこのたびのきわめて甚大な災害に接し、
多くの人たちが犠牲になり苦しみ、
周りの人たちが必死になって救いの手を差し伸べている場面を見ても、
「あの人たちはなぜこのような苦難を創造したのだろう」
というところに自分の意識が向き、
常に冷静さを保っている自分に驚きを感じています。

人それぞれ個性や役割があり、
それらに善悪はないということが頭では分かるのですが、
心の中では、初めて接触れた自分の一面に、
少くなからぬ戸惑いを感じます。

本当に正直に自分の心を暴露するならば、
「俺はものすごく非情で冷酷な人間ではないのだろうか ・・・ 」
という思いが少なからずあるのです。


私はバランスということをすごく考えます。
私自身は一人の人間としてバランスの取れたタイプではなく、
生き方も考え方も、個性を強烈に貫き通す方ですが、
周りの多くの人や今の歴史の流れにおいて、
自分の持つ個性や能力をどのように活かすことが、
社会や人々に貢献でき、バランスを調和さす働きができるのか
ということを考えるのです。

ですから今の私の個性や能力を考えた時に、
やはり自分にしかできないこととして、
論理的な男性性を強く持ち、冷静に「時代の理」を見つめることが、
最も求められていることだと感じます。

けれどもそれは理屈の世界、
心の中ではその冷静さに戸惑い、
「初対面の自分の顔」に対し、まだ好きにはなれない自分がいます。


今日は朝から、ホームページに上記のようなことを書こうと考え、
いつも行く定食屋さんにお昼を食べに入りました。
その店の椅子に腰を下ろし、十日ほど前に知り合いからプレゼントしてもらい、
まだまったく読んでいない一冊の本のページを開きました。

作家の五木寛之と京セラ創業者である稲盛和夫が対談している
「何のために生きるのか」という本です。

何のために生きるのか何のために生きるのか
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まずは目次に目を通し、その中で興味を感じた中程のページを開きました。
そうすると、そこにはこのようなことが書かれていました。

稲盛和夫 * * *
私はちょっと不埒(ふらち)な考え方になっていると思うのですが、友人とか身近な人たちが亡くなっても、ここ十年ぐらい悲しくないんですよね。どういうわけか、何ともない。両親もこの十年来亡くなったんですけれど、悲しくなって泣きたい、泣かなきゃいかんような気もするんですけれど、そうはならないんです。

五木寛之 * * *
それは非常によくわかりますよ。

稲盛和夫 * * *
私の場合には、たましいというのが永遠だと思っているものですからね。 ・・・


これにはすごく驚きました。
まるで今の私の心を見通して、慰めるか励ましでもしてくれているようです。

今の自分の個性、考え、感じ方、それを認め、もっと深く愛さなければいけません。


昨日11日、私の大好きな奥野勝利さん(マサくん)のコンサートを、
一昨日に引き続き聴きに行きました。
きれいなホテルの会場には60名ほどの人たちが集まっています。

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ほの暗い会場から一曲目のイントロが流れます。
もう何百回も聴いているアルバム「親愛なる母上様」の一曲目である
「はじまり」のメロディーです。

録音された鈴や太鼓の音をバックに、
マサくんが透明なオカリナの音を生で響かせてくれます。

私にとってマサくんの音楽はいい悪いという範疇を超えた、
限りない懐かしさと安心感を与えてくれる心の故郷のようなものです。

その音をただ胸の奥で受け止めていると、
自然と熱いものがこみ上げ、頬を涙が伝ってきます。

昨日11日は震災からちょうど一ヶ月目、
この日の涙は、震災以来私が初めて流した涙です。

こんなことを書くと誤解を受けるかもしれませんが、
「俺にも人並みの感情が残っていたのか ・・・ 」
これがその時感じた正直な思いです。


マサくんは東京での映画やCMの音楽を制作する仕事を捨て、
三年前から機材を車に積み、
全国を放浪しながら音楽を通してメッセージを伝える旅をしています。

そして思い出のある東北の地がこのたびの震災で大きな被害を受け、
「自分も被災地に行って何かの役に立ちたい」
という強烈な思いが胸にわき上がってきたそうです。

けれども周りの人たちにそのことを話すと、
ほとんどの人が今ボランティアに行っても足手まといになるだけだからと
反対したそうです。

そんな中マサくんは、加藤秀視さんという元ヤンキーで、
現在非行少年たちを更正の道に進ませる活動をしている人の存在をネットで知り、
その加藤さんが独自で東北に赴き、行政の目の届かない人たちに
物資を提供し、支援を差し伸べている様子を見て、
自分もその一員に加わりたいと願い、
近日中に被災地に行く思いを募らせています。

その加藤さんや、実際に被災地に行こうとする人たちがみな共通して言うことは、
「自分たちは自己満足のためにやっているんだ」
ということだそうです。

この気持ちはとてもよく分かります。
人の為(ため)と書いて偽りと読みます。
最も自分の行動を大きく促す力は自分のため、自己満足です。

世のため人のため、そのベクトルが「自分のため」と一致するからこそ、
一見大きな自己犠牲を払っているかのような奉仕を、
嬉々として全力を傾けて行うことができます。


私はたまたま一年半ほど前、
加藤秀視さんの講演会をここ広島で聴き、本を読み、
頼まれて、加藤さんを紹介したテレビ番組をまとめたDVDを作ったことがあります。

加藤さんの悲惨な幼少時代、半端ない非行、
そしてそこからつながった現在の命懸けの活動の原動力は、
自分自身へのあくなき可能性の挑戦と探求心でしょう。

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加藤さんの言葉として印象に深く残っているのが、
『使命とは命を使うこと』というものです。

自分自身の命、役割を思いっ切り悔いの無いように使い、燃焼させたい、
それが自分の望むことであり、自己満足であり、
社会や多くの人たちに貢献できることであると考えておられるのでしょう。


私も公衆トイレを磨いたり、路面のガム取りをさせてもらう第一の目的は、
『そうすることが自分にとって得になる』からであり、
世のため人のためというのは二の次、三の次です。

人のためになることだから自分はものすごく嫌でも我慢します、
というような気持ちでは絶対に長続きしません。

人間は究極的にはみなわがままなものです。
自分は自分の自己満足、他の人はまたその人なりの自己満足できることをやり、
それがそれぞれ違ってもそれを認め、尊重していくことです。


これまでの時代は、人間と自然、そして人間同士の間でも、
お互いを認め、活かし、個性を尊重した共存社会という仕組みができていませんでした。
けれどもこれからは、そのような形では地球上で生命を存続していくことができません。
今はその新たなる仕組みを形作ることが早急に求められています。

その中で自分にできる役割は何なのか、
自分は本当は何を望んでいるのか、
それを知り、その上で真の自己満足への道を歩んで行けばいいのだと思います。

私も新たなる時代に向け、新しい自己満足への道を進みはじめたばかりです。

2011.4.12 Tuesday  
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