ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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0次元<5>

時空について私が想像している世界は、
一般的な常識感覚からはかけ離れたものであり、
紹介させていただくのは少々気恥ずかしい思いがあるのですが、
時空や生命の神秘を頭の中で追い求めていった結果、
自分なりに「こうではないだろうか」とたどり着いたひとつの形です。


先に書いたように、
過去から未来へ流れる時間は一方的で一元的なものではなく、
どんな過去や未来へも自由に飛んでいける、
さながら平面や空間における一本の線(ひも)のようなものであると考えられます。

そして空間も未知なる次元が存在し、
たて、横、高さ以外の新たな方向性があり、
その高次元の宇宙の中に我々の感知する空間三次元の宇宙は存在し、
我々の住む宇宙はより高次の宇宙の中にある膜のような存在ではないか、
これが最新物理学のひとつの見解です。
  (三次元空間において膜という平面は二次元、
   ですから、四次元空間において三次元空間はひとつ次元の低い、
   三次元空間にある膜のようなものだという意味です)

さらに私が想像するのは、
時間、空間により高次なものが存在するのと同じように、
空間における、原子のようなミクロから宇宙のようなマクロまでの尺度というものが、
時間と同様一方的で一元的なものではなく、
自由に行きつ戻りつできる果てのないものではないのかということです。

つまり小さなものの世界はどこまでも果てしなく小さくなり、
大きなものの世界も限りなく大きくなりうるということです。

マトリョーシカでたとえると、
人形を開けて中から小さな人形を取り出すという行為が、
繰り返し永遠に続けられるということです。



これはミクロからマクロへの大きさの流れが、
時間と同じように直線的なものではなく、
もしかした輪のよう循環する構造になっているのではないかとう考えです。

ですから輪の結び目である極マクロと極ミクロの構造はとてもよく似ているのです。
しかし似ているからといってまったく同一ではありません。
それはたぶん輪といってもねじれのある
メビウスの輪のようになっているのではないでしょうか。



三次元空間でのメビウスの輪の面は表裏二通りですが、
より高次の世界では、もっと複雑な構造の輪を作ることが可能です。

人間の体の中にある細胞、その中の分子、その中の原子、素粒子、
そのすべての素粒子の中に巨大な宇宙が内包され、
膨大な数の生命体が存在している。
地球、太陽系、銀河系、果てしなく広がる大宇宙、
この大宇宙もまたより大きな生命体の一構成要素に過ぎない。

こんなこれ以上荒唐無稽なものはあり得ないと思えるようなことを、
私は子ども時代からずっと考えていました。

このスピリチュアル夜話の一番最初のページに「最高の奇蹟」として
今生きていることの不思議さ、生命という仕組みの神秘を書いたように、
私には今この瞬間に命を与えられ、今ここに存在しているということの
とてつもないすごさということがどうしても頭から離れません。

そしてそのことを理屈で納得しようとしたならば、
私たちの常識をはるかに逸脱した超常識的な仕組みで
この時空は成り立っているとしか考えられないのです。
だからといって、
私の想像している時空の概念が正しいと言っているのではありません。

ただこの超荒唐無稽な時空の概念は、
私なりの自然に対する畏敬の念の表れです。


時間と空間が不可分の概念であるのと同じように、
私たちがたどり着く(あるいは戻る)であろう究極の世界は、
時空、真理、生命、構造、エネルギー、・・・
こういったすべての概念の根本はひとつであるということを知ることのできる
世界だろうと考えています。

遺伝子DNA、東西文明興亡図の二重らせん、
太極図、曼荼羅、勾玉、ピラミッド、・・・
生命や時空の実相を表す図形や構造は、
共生・循環・フラクタルという基本法則を何らかの形で表現し、
またエネルギーを持っています。

同じパターンが延々と続くフラクタル図形のひとつである
このシェルビンスキーのカーペットは、
電磁波を閉じ込める不思議な性質を持つことが明らかになっています。

シェルビンスキーのカーペット

フラクタルは時空の構造そのものであり、
だからこそ特別な力を持っているのだと思われますが、
そのどこまでも小さく、または大きく見ていっても同じ構造が続くフラクタル性は、
たとえば木の枝や海岸線、雲といった自然のひとつの造形物においては、
どこかで途切れる限りあるものですが、
最も根本の原子や宇宙のような構造は、
メビウスの輪のように途切れることなくフラクタル性が循環している
のではないでしょうか、
そう考えるのが私には自然に思えるのです。

子供の頃、母が使う三面鏡を覗いて、
延々と続く鏡の奥の自分の顔を興味深く眺めました。
あの時の感覚です。




何年か前、あるMというスピリチュアルな世界では著名な人の本を読んでいて、
子供の頃から抱いていた私の考え方を実証するような
その人の体験を見つけました。

その人がアメリカのモンロー研究所に行き、
ヘミシングという音響効果を使った手法で変性意識状態になり、
体外離脱をし、どんどん意識を拡大し、
行き着いた先、それはまさに「空」(くう)と呼べるような世界でした。

その人が今度は中国に行き、現代の仙人(若い女性)と出会い、
その人に導かれるまま、今度は逆に意識を縮小させ、
体の奥のミクロの世界にどんどん意識が入っていきます。
そしてそこで行き着いた先は、
意識が拡大した時とまったく同じ空の世界だったそうです。


私はそれを読んだ時に全身に鳥肌が立つような興奮を覚えました。
何の確証があることではありませんが、
「これこそ時空の実相であり真実だ」と私の「主観」が判断したのです。

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2011.2.21Monday  
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