ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 元はじまり



ヨガナンダ



元はじまり

一昨年、長いスピリチュアルな歩みの中での転機を感じ、
昨年は二度の死に目に遭い、
最近は、自分というものが生命を受けた意味や
残りの人生で為すべき事について考えない日はありません。

身の回りで起こるすべてのことは偶発的なものではなく、
すべてに意味があり、自らが引き寄せたものであるということを
100%確信できる私はとても幸せです。
問はすべて自分の内なる世界から発せられ、
そのすべての回答は内なる世界にあるのですから。


自分の内なる世界を見つめた時に、
スピリチュアルな世界のスタート地点となった天理教の存在は、
私にとってとても大きなものです。

ここが心の旅路の元はじまりであり、
今振り返ってみると、天理教を熱心に信仰していた数年間に、
その後様々なスピリチュアルな世界の人と出会った時の物の見方、尺度、
自分の心の置き所、そういったものを学んだような気がします。

その私にとっての『元はじまりの理』というものを
今一度心に深く刻むため、
ここに当時の思いを書いてみたいと思います。
  原点<3> もご参照ください。


私の天理教の先生である福本純子先生は私より14歳年上で、
まだ三十代前半の若かりし頃、乳飲み子を背負い、
一人、人生の立て直しのために京都の伏見に布教師としての第一歩を記しました。
  (そのすぐ後に、上の二人の子どもさんも引き取られました)

先生が挑んだのは単独布教という形態で、
見ず知らずの土地にただ一人で布教に出かけ、
その布教の中で出会った人のお与えだけで日々生活するというものです。

先生は赤ん坊と一緒だったので、
小さなアパートの部屋だけは最初に借りられたのですが、
それ以外の衣食はすべて与えていただいたものだけ、
たぶん食事を一切口にすることのできない日も多かったのではないかと思います。

これは己と神との真剣な一対一の対峙です。
命がけで神(究極的な存在)を見つめ、
その理(法則)を信じ切り、実践すれば、
必ずその結果が現われてくる、
そのことを己の生き様で体現する最も苛酷な行です。

こういった行は天理教に限らず、
他の宗教にもあるものだと思います。
インドの日本山妙法寺の石谷政雄上人、
いつも積極人間の集いでお世話になっている広島キリスト教会の植竹利侑牧師、
同じくクリスチャンである小野春子さん、・・・
身の回りで尊敬できる宗教家の方たちは、
みな何らかの形で、
自らの信じるものに対して『命を懸けて信じ切る』という体験を積んでおられます。

これは宗教の持つ『絶対性』の為せる技でしょう。
自分の信じるものを『絶対』だと思えるからこそ、
命をも投げ出す覚悟ができます。

これから時代は絶対から相対へと移りゆくということを何度も書いていますが、
その絶対と相対というものに善悪はありません。
ただ役割があり、
それに対して時とともに光が当たったり影になったりするということです。


自ら苛酷な行を課し、真剣に神と対峙するから、
神とのメッセージのやり取りができ、真理というものを体で理解することができる、
これは至極もっともなことだと思います。

天理教の基本原理は因果応報です。
『蒔いたる種はみな生える』、『人を助けて我が身助かる』、
『因縁なら通りゃにゃならん、通って果たさにゃならん』、
こんなふうな言葉で表現するのですが、
これらの言葉の意味するところは、今スピリチュアルな世界で最もポピュラーな
「引き寄せの法則」とまったく変わることがありません。

ただ引き寄せの法則は頭でイメージすることが中心となっていますが、
天理教(たぶん他の宗教も同じでしょう)では、
自らの日々の生き様を変えることを強く求めることが異なっています。

私が流行のスピリチュアルワークの中で、
頭の中だけで楽をして我欲を満たそうとするのは危険であり、
陰と陽、観念と実践をいい具合にバランスさせることが大切であると
考えるのは、この宗教体験が大きく影響しています。


自らの信じるものを『絶対』だと信じる宗教は、
己の信念を貫くために徹底した行に挑むことができます。

「宗教とは心の病を治す病院である。
 だから尊い宗教ほど重病人を引き受けるのです」
という言葉の元に、町で最底辺の暮らしをする人たちに声をかけ、
布教所に連れてきては話を聞かせ、
当時の布教所は、さながら心の野戦病院といった有様でした。

普段は愛想のいい小児麻痺のおじさんは、
色情狂で、怒り出すと台所から包丁を取りだして暴れていました。
その人の弟さんは重度の鬱病で、一日中コタツに入ってうつむいたままです。

住み込んでいたのは左半身不随の元やくざの頑固爺さん、
ケンカが三度の飯より大好きというおじさん、
そのおじさんの奥さんは長年寝たきりで、身動きひとつ取れません。

世話好きの爺さん、ほら吹きの人、おしゃべりなおばさん、
本当にいろんな人が集まっていましたが、
それらの人たちを若い女性の身で一人で受けることができたのは、
やはり信仰の持つ力です。

私もボランティア精神が旺盛ですので、
そういった人たちと賑やかに関わりを持つことがとても楽しく、
そこでどんな苛酷な運命を持つた人でも、
その運命を自らが背負い、自らの力で建て直していけるのだということを知りました。

今は公衆トイレ掃除の活動の中で、
あの当時以上にすさまじい人生を歩んできた人たちと親交を持っていますが、
その人たちも自らの力で運命を変えていこうと努力をし、
私もただそれを淡々と見守っているだけです。

やはり経験は宝です。


運命は自らが創り、己の力でのみそれを建て直すことができるという
強い信仰的信念の元、私の先生が歩んできた信仰の道は、
想像を絶する苛酷なものです。

京都の伏見からはじまり、大阪の高槻、滋賀県の瀬田、石山、
いろんなところで命がけの布教を続けてこられましたが、
どこでも『赤貧洗うがごとし』を地でいくような、
現代日本では通常考えられない悲惨な生活でした。

部屋が一間か二間しかないボロアパートに、
子どもさん三人、布教をして家に連れてこられた住み込みさんが何人か、
合計八人ぐらいが、寝る隙間もない家の中で押し合って生活しておられました。
水浴びも外にシートを張ってその中でタライを置いて ・・・ みたいなことで、
すさまじいの一言です。

けれどもそういった生活だからこそ見えてくるものがあります。
私はあくまでもたまに訪ね、子どもと一緒に遊ぶだけの人間だったのですが、
我が身を削り、極限の中で、
『己の幸せのベクトルと他人の幸せのベクトルをひとつにする』
ということを徹底して行い、
『他人の幸せの中に己の幸せを見つける』という姿は、
当時の私の目には、何ものにも勝る輝きを放っているように見えました。


『どんな道も喜んで通らせていただく』
先生の口からこの言葉を何度も聞かせてもらいました。
すべては自己改革の道であるならば、
道は苛酷であればあるほど価値があるはずです。

よくあんな暮らしの中で、あれだけの強い信仰を貫けたものだと思うのですが、
それが信仰の持つ力であり、
私の先生の素晴らしいところなのだと思います。

苛酷な道、いろんな苦難との出合い、
それらはすべて自分の心や運命を磨く道具であるのですから、
本来ならば、それらすべてに感謝し、慈しむことができるはずです。
そして私の先生は、それを我が身を通して実践してこられました。

先日の「引き受けの神髄」というページの中で、
こんなことを書きました。

この世の中に必要のないものなど何ひとつありません。
忌み嫌っているものを含めて、すべてのものに感謝の念を持つこと、
また持てるような自分になること、
それが引き受けるということ、手放すということの神髄です。


このことは今になって知ったのではなく、
「もうすでに三十年も前に先生の体を通して教えてもらっていたことなのだ」
ということに、今このページを書きながら気が付きました。

すべての答は身近なところ、自分の内にあります。

2011.2.1 Tuesday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.