ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



比較<2>

まわりのものと比較をし、その中でしか喜びを見いだせなければ、
いつまでたっても心の中にある輝きを見つけられず、
永遠に幸せを手に入れることはできません。

これは個人の考え方である以前に、
社会がそういったシステムを基盤として運営されているということに
問題の根本があります。


環境破壊、地域紛争、気象異変、・・・地球、人類は様々な課題に直面し、
今まさに存亡をかけた危機的状況に直面しているというのは、
誰しもが抱く共通の認識でしょう。

そして多くの人がその状況を回避しようと努力を重ね、
国レベル、個人レベルでの改革を実行しようとしていますが、
それは生半可なことではありません。

私たちの直面している危機は、
何か画期的な技術開発があれば回避できるといった段階はとうの昔に通り過ぎ、
  「他のものとの比較の中で喜びを見いだし、
   ものが豊かになることのみが幸せに直結する」
という社会の根本原理である「幻想」から抜け出すことを求めているからです。

この根本原理そのものを変えず、
小手先のテクニックだけでは人類の明るい未来はないでしょう。

そして生命を持った時代のリズムは、
今がまさにその時であることを告げ、
そのための準備も少しずつ着実に進められています。

もう近々確実に訪れるであろう時代の大変革が、
どのようなシナリオの元で行われ、
その過程で多くの血が流れるのか、あるいは平和裏にすべてが進んでいくのか、
私には予測することはできませ。
またそれは、いまだ決まっていないものなのかもしれません。

その大変革のシナリオについて、
一日たりとも頭に思い浮かべない日はないのですが、
どう考えても私の頭の中には、
これまでの改革や革命のように、志のある民が決起したり、
傑出したリーダーが社会を新たな方向に持っていくといった
“通常の” 改革のシナリオは見えてきません。

アセンション(次元上昇)を唱える多くの人たちと同様に、
大きな天変地異、地球外生命とのコンタクト、時空のあり方の変異、
こういった人類史上未曾有のことでも起こらない限り、
社会の根本は変ることができないでしょうし、
またきっと、そういうことが起こるのだろうと考えています。

これは私の想像であり予測であり、また強い願望でもあります。


生きるとは、幸せとは、・・・
今は私たち一人一人の生き方が問われている時代です。
これまでの時代と同じ価値観を持ち続けていては、
きっと幸せになれないであろうということは、多くの人が感じていることです。

これは社会でも同様で、
自分一人の力で直接的に社会を改革することはできなくても、
  (本当はそれも大きな力となりますが)
まずは、自分の暮らす社会が、
どのようなシステムでもって運営されているのかを、
深く考え、知ることだと思います。

これまでは当たり前だと教え込まれ、
まったく振り返ることのなかった土台をしっかりと見つめることです。


時間、今この瞬間を生きる、ということから話が進んできましたが、
今この瞬間を生きるということは、
物事の本質を見つめるということと同じ意味なのですね。
私もここまで書いていて、そのことに気がつきました。


ここで平和ということを考えてみましょう。
平和は人類が末長く存続していくためには絶対に必要な条件のひとつです。

平和を妨げる最も大きな要素として戦争があります。
戦争は自ら(自国)の正義や論理、信条を守るために行われるというのは幻想で、
実際には自らの権益を拡大するためという経済的理由が第一です。
そしてそのために罪のない多くの人の命が犠牲になっても構わないのです。

日本では代議士たちが地元の利権を確保するために、
地元の田舎に大きな道路や建物、飛行場を作って地元企業を潤わすように、
アメリカの巨大な軍需産業は意図的に紛争を起し、
兵器という商品の消費拡大を図り、
石油や地下資源という貴重な物資を略奪してきました。

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こんな原理で世界の超大国が動いているという現実がある限り、
世界に恒久的な平和が訪れるわけがありません。

この原理が続き、人類が滅亡するのか、
あるいはこの原理が滅び、新たに人類社会を律する素晴らしい価値観が生まれ、
それが私たちの間に浸透するのか、
大量破壊兵器を膨大に抱えている私たち人類にとって、
選択の道はこのふたつしかありません。

そしてその人類存続の道に進もうとする時代の流れは、
私たちに9.11テロはアメリカ政府自作自演の陰謀であるという真実を
明らかにしてくれました。

これは少し前の時代だったら、歴史の陰に隠れ、
絶対に表に出ることはなかったでしょう。
アメリカを中心とした西洋社会は終わりを告げ、
新しい精神文明が生まれようとしている時だからこそ、
いろんな偶然、必然が重なって、真実が明るみに出ることとなったのです。

9.11テロをキッカケとしてアメリカは、
「対テロ戦争」と称しアフガニスタン、イラクへの侵略の道を進めてきました。
今日のニュースでは、
ウィキリークスという告発サイトがアメリカの軍事機密文書を公開し、
その中にはイラク市民15,000人の殺害とともに、
アメリカ軍の行った非道な行為の数々が明らかになっているとのことです。

9.11テロの真実を知り、それを公にしていくということは、
これまでの時代長らく続いてきた戦争という非情な経済原理の問題的を
明らかにすることであり、
旧来の社会が抱える問題点を改革していく大きな一歩となります。

是非このこのとを多くの人に知っていただきたいです。

  <きくちゆみのブログとポッドキャスト  911についての項目>




競争原理や比較というものを最重要基盤とする私たちの社会は、
これから確実に変っていくでしょう。

これは変わっていくというよりは、変らざる得ないことであり、
これが変らなければ、
人類は地上で生き残ることはできません。

競走や比較がすべて悪というわけではないのですが、
季節が時とともに移ろっていくように、
競走、比較を超えた、そのもの本質を見つめ、
一人一人の心の中に幸せを見いだす社会へと変っていくはずです。

その変わっていくスピードは、
今の私たちの社会の巣くう閉塞感を見ていると、
もしかしたら急激なものになるかもしれません。


テレビでグルメ番組がよくあります。
美味しいものを追い求め、それを楽しんでいる姿を見るのは、
なんとも楽しく微笑ましいものです。

けれども中には、その美味しいものに順位を付け、
どれがNo.1かということを競っている番組があります。
先日はご当地B級グルメの日本一を競うイベントがあったようです。

なぜ美味しい料理に順位という優劣を付ける必要があるのでしょうか。
美味しさの価値基準は多様にあり、
なにを美味しいと感じるかは人それぞれです。

それを一定の基準に乗せて優劣を判断するのは、
価値観の貧困さの表れであり、
高い順位のものにしか価値を見いだせないのであれば、
それは自らがものを判断する力を持っていないことを示すことに他なりません。


以前、西日本と東日本のうどんの違いを比べ、
西日本のうどんの方が薄味で塩気が少なく健康的だということを
テレビで放送していました。

身土不二という言葉があるように、
その土地の気候風土とその土地の食べ物は切っても切り離せない関係です。

東日本のうどんの出汁が濃くなっているのは、
東北などの寒い地方を抱え、身体を温める塩分がより必要だからです。

そんな条件など考慮せず、
あたかもどこかに絶対的な価値基準があるかの如く
ひとつの物差しでものの優劣を判断しようとするのは、
没個性化、平均化という効率第一主義の大きな弊害です。


比較というのは、比較できると考えるから存在します。
自分の外の形ある何かに価値の重きを置こうとするから
比較を重んじる文化が生まれてくるのです。

比較文化からの脱却とは、
比べることのできない自分というものを大切にすることです。


スポーツの頂点であるオリンピックは、
多くの人や国を熱狂させ、人々に多くの感動を与えてきました。
私ももちろんオリンピックは大好きなイベントで、
四年に一度のこの時期は、いつも寝不足になっています。

身体を使ってひとつの競技に打ち込み、
自己の限界に挑戦しようとする姿は美しく、
その真剣さ、鍛え抜かれた技や力に多くの人は心ひかれます。

けれども毎回オリンピックを見るたびに、
心の中に少しずつ違和感のようなものが広がってきているのを感じます。

ひとつの競技に打ち込むのはいいけれど、
なぜそれを他の人と競い合わなければならないのか、
そしてそれに順位を付け、その順位で一喜一憂するのか。

それともうひとつは、各選手が国の代表として、
国同士が自国の名誉をかけて争う(競う)というところにも大きな違和感を感じます。

比較や競走を超え、
もっとただその技の美しさ、素晴らしさのみを披露する方法はないのでしょうか。

各国がその独自の文化を活かし、お互いの価値を認識し、
すべての文化が、人類全体にとってかけがいのない財産であるということを
知らしめるようなイベントにはできないのでしょうか。

私の感じていることはまったく個人的な思いかもしれません、
また理想論かもしれませんが、
時代の大きな流れは、確実にその方向に来ていることは確かです。

昨今のオリンピックでは、水泳の水着、ドーピングの問題などが話題となり、
一人の選手をメダリストにしようとすると莫大な費用がかかり、
本来はアマチュアリズムの発露の場であるオリンピックが、
今は国の威信や企業の巨大な利益をかけたショービジネスの場と化しているのは、
周知の事実です。
こういったことが明らかになってきているのも、けっして偶然ではないでしょう。


私の住む国際平和都市広島では、
現在2020年のオリンピック誘致に向けての運動が続けられています。
  <ヒロシマ・オリンピック構想 - Wikipedia>

私の知る限り、広島市民は反対意見を持つ人の方が多いように感じます。
そして私もその一人です。

原爆が広島と長崎の頭上に投下され、今年でもう65年になります。
その間、そしてこれからも、
広島、長崎の平和に対するメッセージの尊さは色あせることはないでしょう。

けれどもなぜ、その平和に対するアピールがオリンピックなのでしょうか。
たくさんの選手や国が比較、競走する場であり、
莫大なお金が動く商業主義の象徴ともいえるオリンピックというイベントは、
これからの時代の恒久平和を訴えていく義務のある広島の役割とは、
180度かけ離れたものの様に思えます。

広島の役割は、こういった比較、競走、商業主義といった旧来の価値観から離れ、
新たなる協調、融和の道、
水の時代の価値観を世界中に示すところにあるはずです。

この問題は一言で語ることはできませんが、
広島は原爆の被害があまりにも大きかったため、
“原爆被害者” という立場から、いつまで経っても抜けきれていないように感じます。

マザーテレサの有名な言葉です。
  私は反戦活動には参加しないわ。
  でも、平和賛成という活動ならば、喜んで参加させてもらうわ。
  いつでも声をかけてちょうだい。


広島は「戦争反対」の立場から、
一日も早く「新たな平和を創り出す」立場へと転換してもらいたいと
いつも願っています。
それが広島に課せられた役割でしょう。

河内正臣先生は、
  『広島の偉大なる天命は、原爆投下を許すことである』
と述べられました。

やはり広島にしかできないことが必ずあるはずです。
それを実現するためには、
これからの時代が何を求めているのかを知ることから始めなければなりません。


個人でも、国でも、広島でも、進むべき方向は明確で、
これまで基盤としてきたものを見直し、いったんフォーマットし、
新たなるものを築いていくことが求められています。

そしてそれらはすべて共通していて、すべてがつながっています。
私が変ればあなたが変る、そしてすべてが変るのです。

まずは自分自身を見つめ、内なる輝きを見つけること、
自分を深く愛すること、
それが世界平和実現、人類存続への最短距離でしょう。

2010.10.23 Saturday  
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