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利他的な愛<3>

自分の中に神性を見いだし、しっかりとした主体性を持つ、
そしてその上で周りの様々なものから学び、感じ、
感謝の思いや行為を周りに向けていく。

世の中はたらいの法則です。
『宇宙はたらいの中の水である。
 その水を向こうに押すと、こっちに返ってくる。
 こっちに引くと去っていく』


感謝の思いや行為を周りに向けると、
それがほんの少しの時を経てこちらに返ってきます。
これが循環です。

この循環をくり返し、人類の精神文明が進化してきたのと同様に、
すべての物事は循環によって進化、発展してきています。
そのことは生命の設計図である遺伝子DNAの二重らせん構造、
宇宙の縮図といわれる太極図が物語っています。

遺伝子DNAの二重らせん構造

太極図

どちらもふたつのもの、二本の塩基の鎖、陰と陽が共生し、循環し、
そしてどこかへ向かおうとしています。
  (太極図は平面図ですが、
   本来は平面と垂直な時間軸があるものと考えられます)

その循環するものが感謝の思いや行為といった善なるものだと善循環となります。
  (究極的には善悪はないのですが ・・・ )


私はこのホームページのたくさんのページの中で、
結局は手を変え品を変え、すべて同じことを述べているような気がします。
どんなことを考えても、最終的には時空の基本法則である
共生・循環・フラクタル、これに帰結してしまうのです。

このホームページを読んでくださっている方は、
「生命の法則」に書いた

文明法則史学を知り、生命の本質を求めるようになり、その数年後、この共生・循環・フラクタルという三つの法則が生命の本質ではないかと考えるようになりました。

その後身の周りの様々な自然現象に当てはめて考察し、当初は漠然と仮説として芽生えたこの三つの法則が、生命の根本法則であると今は確信を持って語れるようになりました。


私のこの思いをご理解いただけますでしょうか。


私にとっての主体性とは、
これまでの人生における様々な宗教体験、スピリチュアルな体験であり、
そこから導かれた時空の生命観、「共生・循環・フラクタル」という基本法則です。

この思いを自分の中で整理したい、
そして学んできたものが人様のお役に立つのなら発信していきたい、
そんな気持ちでこのホームページを書いています。

その発信した思いが自分に循環して返ってきて、
いろんなアイデアが湧いてきます。
またより確かな知識や知恵として形作られてきました。

このホームページで書いていることは、
最初から私の頭にあったものを少しずつ小出しにしているのではありません。
日々いろんなことを書きながら、自分の中で新たな気づきを得て、
それをリアルタイムで発表している、そんな感じなのです。

私にとって幸いなのは、最初に持った主体性である時空の生命観が、
確実に真理を捉えたものだったので、
様々な気づきや学びを得れば得るほど、
その主体性は方向をまったく変えることなく
より強固なものとなってきているということです。

利他的というものも、この時空の基本法則から見ると、
自分とその周りのもの、ふたつのものが共生し、
自分から周りに対して善なる思いや行為を向けると、
それが循環して返ってくる、
それがすべてのスケール(大きさの世界)で現われている、
だからフラクタル(自己相似形)ということです。

実にシンプルではないですか。
真理は深いものほどシンプル、これもまた真理です。


私たちの目指す生き方は一言で言うと、
この『時空の基本法則に則った生き方をする』、
ということなのだと思います。

利他的でない生き方、利己的な生き方とは、
自分の中にあるものを外に出して循環させないということです。
外のものを目で見て、耳で聞いて、手で触って、鼻で匂って、舌で味わって、
そこから受けたものを外にいい形で返さないということです。
たくさんのものを食べて運動をしなければメタボになります。
排泄しなければ便秘になってお腹が張ってしまいます。
自然の理に反することはよくない、単純にそういうことです。

主体性がない人は、他人の価値観をまる信じしてしまい、
最終的には大きな判断ミスを犯す危険性があります。
たくさんの知識を習得することが得意な偏差値秀才のオウム信者たちが、
恐ろしい犯罪に手を染めたのは、
彼らにとって最も尊いものが自分の内面ではなく、
権威ある教典、教義、尊敬に値すると信じていた麻原尊師だったからでしょう。

大切なことは繰り返し述べたいと思いますが、
「価値」というものは、ものに絶対的に付随するものではなく、
自分自身が判断するものであり、自分の中に内在するものです。
これはきわめて大切な事です。

私はこのホームページで「いいもの」をたくさん紹介していますが、
いいものは両刃の剣のような危険性も持っています。

「私はこんな素晴らしいものと出合った。
 やはり私は選ばれた人間なんだ。
 これさえ信じて実践していけば私は幸せになれるのだ」
こんなふうに自分の判断力を捨て、
主体性をなくしてしまっては何の意味もありません。
最終的には恐ろしい落とし穴が待ち構えているでしょう。

残念ながら、その「いいもの」たちと身近に触れ合っている人たちの中に、
こういった主体性のない人たちを多く見るのは悲しい現実です。

主体性がない人がいくら外に対してアクションを起しても、
その返ってきたものを自らの手で受けとることはできません。
そして循環サイクルという自然のリズムから外れ、
外へのアクションも少しずつおかしな方向に行ってしまう危険性があります。

陰と陽、ふたつのものは対等でなければなりません。
男女の比率は同じだから人類は繁栄を続けてきました。
動植物の割合も一定だから酸素、二酸化炭素、
どちらも供給過剰にならずにすみました。
いいキャッチボールをするためには、
お互いが対等の力量であることが求められます。

いいものと出合い、それを活かしたいと願うのなら、
その対極である自分自身の内面をしっかり持つべきです。
また今は持てなくても、そのことを忘れず、
いつか持とうという心構えだけでもしっかりと持つべきです。
自分を見つめることを忘れない、その心構えだけで十分です。

そうすることによって、
周りの素晴らしいもの、人たちといいご縁ができ、
成長を導く善循環サイクルが築けるのです。


私もその善循環サイクルを築こうとしている途中です。
先に書いたように、今書いていることは今日考えたものばかりです。
ひとつのテーマをシリーズで書いていても脈絡がないのはそのためです。
.... (o_ _)oバタッ

私にとってこのホームページを読んでくださる方は外なる世界、
その外なる世界の方たちと善循環サイクルを築き、
いい利他的な関係になれればいいですね。

きっとなれるでしょう、その心構えさえあれば ・・・ 。

2010.9.9 Thurseday  
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