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命の重さ<2>

被爆地広島で暮らしていると、
平和ということが日常のメッセージでひとつであるかのように、
普段から強く意識されます。

世界で初めて原子爆弾を広島に投下したB29爆撃機エノラゲイには、
カトリック教徒である12名の乗組員とともにカトリック神父が同乗し、
原爆投下のスイッチを押す彼らに、
「神の許し」を与えました。

1,944年、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相がハイドパークで密談をし、
「原爆が最終的に使用可能となった時には、
 慎重な考慮の上、日本に対して使用されるべきである」
との合意を得、覚え書をが交わしました。

米英両国にとって日本と同じく敵対国であるドイツはキリスト教国であり、
非戦闘員を大量虐殺する歴史上類を見ない残虐な原爆という兵器は、
非キリスト教国であり、有色人種の暮らす日本に落とすことが適切であると
判断されたのです。

その原爆投下から65年経った現在も、
アメリカでは、原爆投下は戦争終結を早めるための「正義」の手段であったと
多くの人に信じられています。

17世紀、アフリカから大量の黒人奴隷を「輸入」した東インド会社は、
初めて黒人を見た時、同行した神父に
「肌の黒い彼らは我々と同じ人間ですか?」と尋ね、
バチカン教皇から「人間ではない」という書状をもらい、
公に黒人を非人間的奴隷として扱いました。


「人間の命の重さに差はない」というのは、
過去の歴史を振り返る限り、一種の幻想に過ぎません。

人間が自らの生命を守りたいと思うのは、ごく当たり前の本能であり、
そしてそのために他人の生命を犠牲にしても ・・・ 、と考えるのは、
ある意味やむを得ないことです。

特にそれが国家や民族というひとつの集団になると、
その集団のエゴがむき出しになり、
ヨーロッパからアメリカ大陸に渡ってきた移民たちがアメリカ建国当初、
先住民であるアメリカインディアンを大量虐殺したように、
異集団の民を平気で殺めてしまうという、
人間は悲しい性(さが)を持っています。

日本に限らず、世界中で熱心に平和活動を行っている人たちが、
国や民族というカテゴリーを意識することを嫌うのは、
その国家意識、民族意識というエゴこそが、
平和を妨げる大きな要因であることを知っているからです。

無数の大量破壊兵器を持ち、
文明による環境破壊が、
自国の領域を超えて世界中に影響を与えるまでに巨大化した現在、
国や民族という意識を超え、
人類全体がひとつのファミリーであるという意識を持つことは、
「最も尊いものは命」という考え方と並んで、
恒久平和実現に向けての絶対条件です。


民族間の対立というのは根深いものがあります。
ほぼ単一民族の状態で長い年月島国で暮らしてきた我々日本人には、
その異民族に対する対立感情というものを、体で理解することができません。

韓国や中国に対して悪感情を持つ人もいますが、
それはあくまでも韓国、中国が、
「過去の歴史認識」の問題で日本に強い反感を持つ、
その反発といった感じでしょう。

日本は伝統的に「水に流す」文化を持つ国です。
だからこそ、これから迎える水の時代に大きな役割があるのですが、
その、水に流し、許すという文化が、
これからの世界平和実現に向けて大きな役割を果たすことになるはずです。

個人の問題として考えてみてください。
『周りの現実世界は、すべて自分の想念が創り出したものである』
のですから、利害の対立する相手を含め、すべての人たちといい関係を保つには、
相手の非を追求することよりも、それを認め、許すことであることは、
容易に理解することができます。

理想の個人の関係が、相手を受け入れ、許すことであるならば、
国家間であっても、それはまったく同様であるはずです。

河内正臣先生が講演の中で、
「広島が原爆投下を『許す』こと、それが世界平和実現に向けての、
 広島に与えられた偉大なる天命です」
ということを話されていましたが、
それはまさに新たな目を開かせてくれる正論だと感じています。

2010.8.26 Thurseday  
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