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深脳

いいと思えることと悪いと思えることは表裏一体、一心同体、
どんなものでもその価値は将来的に如何様にも変化する可能性があり、
モノやコトの価値は、本来は自分自身が決定することです。

「ものがたくさんあることが幸せであり、豊かである」
というのが真実ではないことに多くの人が気付きはじめ、
「スペースクリアリング」でガラクタを処分し、
シンプルでのびのびとした生活を過ごす人が増えてきています。

形あるものと同様に形のない情報というものも同様で、
情報がたくさんあり過ぎることは、
その人の人生にとって必ずしもプラスになるとは限りません。


私たちにとって最も大切な力は、
物事を自分の目で正しく判断する判断力です。

周りにあまりにもたくさんの情報があふれていると、
その中から判断材料、判断基準となるものを探そうとするがあまり、
自らの目で見て考えるということがおろそかになってきます。

すべての「答え」を外の情報の中に求め、
それと同時に「価値」というものも自分の外側にあるものと
勘違いしてしまうようになるのです。

「専門家ほど騙されやすい」と言いますが、
ある分野についてたくさんの情報を持ち、
その情報を「常識」として物事を判断する専門家は、
自分の目や思考よりも、「常識」に当てはまるかどうかを
より重要な判断材料としてしまいます。

けれどもそうなってもすぐに日常の仕事や生活に支障を来すわけではありません。
日常的ではない突発的な出来事が起こったり、
周りの環境が大きく変化してこないかぎり、
自らの状態を振り返ることはないのです。

知識や情報それ自体にいい悪いはありませんが、
知識や情報はたくさんあり過ぎると、
その対極にある知恵が働かなくなり、
自分の目で見て考えるという判断力も衰える危険性があることを
しっかりと認識しておいた方がいいでしょう。


けれども私たちは誰しも、
今まで得た知識や経験に基づき、
頭の中に持っているたくさんの「常識」でもって日々生活し、
物事を判断しています。

これは決して悪いことではなく、
そうしなければ普通の生活を営んでいくことができません。
生まれたての赤ちゃんのような目ですべてのものを見、
その瞬間ごとに感慨に浸っていては知的な人間生活を送ることは不可能です。

買い物に出かける時、
まず右手を前に差し出し、人差し指から一本ずつ手のひらを広げ、
買い物バッグの紐を掴み、再び手のひらを閉じ、握り、
今度は左足から前に出して一歩ずつ歩き、・・・
こんなことをいちいち考えて行動する人はいません。
すべては日常動作として無意識に行い、体を動かしています。

体の動作と同じように、頭の中の思考も同様です。
これまでの経験から得られた「常識」といったものに基づき、
目で見たり五官で感じるものをパターンとして認識し、判断しています。

以前紹介したこともある「人間らしき顔写真」を見てください。





この写真を見ると、誰でも頭がクラクラとしてきます。

この写真は「人間の顔」ではありません。
「人間の顔のような」写真です。

けれども私たちは、自分の頭の中に持っている「人間の顔」
というパターンにこの写真を当てはめようとするために、
その作業がうまくいかない違和感で、頭の中がクラクラとしてくるのです。

この頭の中で既存のパターンに当てはめようとする作業は、
当然ながら無意識のうちに行われます。
熱いものに触ると手が引っ込むのと同じ、一種の反射的なものです。

このパターン認識は、
パソコンやデジタルの世界で言うところの情報圧縮の技術と同じで、
圧縮し、少なくなった情報からでも、
元とほとんど変らないクオリティーの情報を得ることができ、
楽に、素早く、より多くの情報を得ることができます。
けれどもいくらクオリティーが高くても、
元あったオリジナル情報とは異なるのです。


私たちが自分の目で見たこと、五官で感じたことでも、
それは脳の中でパターン処理され、
元の姿と異なってしまっていることが必ずあるはずです。

どんな公正中立の様な人でも、少なからず偏見というものはあるものです。
自分はどのような偏見を持っているのか、
どんな思考パターンをしているのか、
そのことを知り、その対極を常に意識することが、
物事を正しく判断するポイントです。

判断力とは、自分の目で見、頭で考えることとともに、
その考え方の元となっている自分を知る必要があるのです。


情報がたくさんあると快適で便利です。
けれどもその快適さ、便利さの裏には、
それと同じだけの大きさの危険性が潜んでいます。

メリットとデメリット、そのふたつが同じ土俵で左右にあり、
簡単に見比べられるのならいいのですが、
大きく離れてある場合、ついつい片方を見落としてしまいがちです。

快適で便利な生活は、身近なところでその瞬間から「快」をもたらします。
けれどもそこから生まれてくる弊害は、
長い期間をかけ、ゆっくりとその人自身、
あるいは民族の根底を深く静かに蝕んでいきます。

くどいようですが、とても大切なことなので、
同じようなことを何度もくり返し述べさせていただきますが、
快適なこと、便利なこと、それ自体が悪いのではないのです。
どのようなものにも必ず弊害を生み出す因があり、
それから目をそらし、ひとつの方向に突き進んでいくことは、
最終的に取り返しの付かないことになる可能性があるということです。

情報を食べ物に置き換えてみればどうでしょうか、
毎日たくさんのご馳走が食卓に並び、美食、過食をくり返したら、
健康は確実に損なわれますが、
情報にもまた同様の危険性があります。

情報化社会が進み、私たちは昔よりも幸せになったでしょうか。
モノも情報も豊かな先進国に暮らす私たちが、
発展途上国に暮らす人々よりも顔の精気が失せ、
その表情から笑顔が消えてしまっているのは何故でしょうか。

極端に言うならば、
一時の快と利便性、快適性をもたらす情報というものは、
下手に使うと麻薬のような働きをし、
その人が本来持っている正常な感覚を狂わせ、
それが無くては生きてはいけないような体質を
知らず知らずのうちに作ってしまいます。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」といのは孫子の兵法の言葉ですが、
どんなものでも、そのいい面と悪い面を知らなければ、
それと上手に付き合い、活かすことができないという意味にも通じると思われます。


私はパソコンを使うようになって8年が経ちました。
使い始めた当初から、
家にいながらにして瞬時に世界中の情報に触れられる利便性に魅了され、
まさに「脳に羽が生えた」ようだと感動した記憶が鮮明に残っています。

それから現在に至るまで、
パソコンの性能はますますグレードアップし、
インターネットの世界も格段に広がり、その機能も飛躍的に進歩しました。

けれども今は当初持っていた「脳に羽が生えた」という感覚はありません。
もうパソコンやインターネットの世界が、
自分の脳の機能の一部と化してしまったかのようになり、
特別に意識することがなくなったからです。

また最近はパソコンだけではなく、
その延長としてモバイル機能を持つ iPod や iPhone などが一般化し、
いつでもどこでも24時間情報化社会の恩恵(?)を受けられるようになりました。

この情報化社会の恩恵は何かと考えるのは簡単で、
少し頭をひねっただけでもいくつもの快適なシーンが想像できます。

では逆にそこから生まれるデメリットとは、
また失ってしまう大切なものはないのでしょうか。
それを考えるのは、メリットを考えるほど容易ではありませんが、
その恩恵のある所と対極の場所に目を向けるとことによって
探し出すことができます。
メリットとデメリットは表裏一体、対極の関係なのですから。


最近ツイッター(Twitter)というのがブームになっています。
見知らぬ人同士がツイッターを通して知り合い、
そこから口コミの輪が広がり、
これまででは考えられなかった速度と密度で情報が行き交い、
多くの人たちとリアルタイムなコミュニケーションが可能となっています。

ツイッターを活用している人は、
モバイル端末を利用して外出先でも随時「つぶやき」をアップし、
ソフトを利用して写真も添付し、お互い何百人、何千人とフォローし合い、
フォローしてもらっている人たちに大量の情報を送り続けています。

私もツイッターをやりはじめたものの、
この大量コミュニケーションツールにどっぷりと浸かることには
激しい危機感を覚え、入り口のところでずっととどまったままの状態が続いています。

ツイッターに代表される機械的大量コミュニケーションツールが
引き起こす危機とは何なのでしょうか。


■「Twitterが拡がれば人類は平和になるのではないか」

孫氏は@masasonというアカウントでTwitterを利用しており、そのフォロワー数は日本有数。同氏はTwitterに対する熱い思いを興奮気味に語った。
「Twitterを始めてから人生が変わった、ライフスタイルが変わった。会ったことも見たこともない人々とお互いの脳がつながりあうような、外脳を得たような不思議な体験をしはじめた。外脳と外脳がくっつきあって“合脳”を得たような感覚だ。毎日やっていて、楽しくて仕方がない。この楽しさを一人でも多くの人と分かち合いたいと考えた」
と、今回のTwitter対応に至った背景を説明した。

Phile-web より一部を抜粋


孫氏とは、ソフトバンクの孫正義氏のことです。
孫氏はツイッターを積極的に活用し、
エンドユーザーとも直接オープンな対話をしていることでも有名です。
  <孫正義 (masason) on Twitter>

私は孫氏のようにツイッターの普及、活用が人類の平和や幸福に
直接的に繋がるものだとはまったく考えませんが、
その語られている中の外脳、合脳という概念はとても当を得たものだと思います。

ツイッターのような機械的大量コミュニケーションツールが、
さながら脳が広がり、人々の脳をくっつけたかのような働きをするのであれば、
そこから生まれる可能性のある危機を考えるのは分かりやすいことです。

メリットとデメリットは対極の関係です。
機械的大量コミュニケーションツールが脳の働きを大きく広げてくれるのであれば、
そこから生じる危機というのは、
脳の最も深い部分、「深脳」という言葉があるのかどうか分かりませんが、
その深い脳の働きが希薄になってくるということです。

ですから今後ますます脳の働きを広げるように発達していく情報化社会の中で
よりよく生きていくには、
動物的な脳の深い部分を意識的に鍛えていくことがより一層必要となってきます。


戸塚ヨットスクールは脳幹教育と唱えスパルタ教育を行っていますが、
同校では数名の死者を出したことで知られているように、
脳の深部を鍛え、教育するということは大変な危険の伴うことでもあります。

「火事場の馬鹿力」のように、
人間が持つ限界ギリギリの大きな力を発揮させるためには、
死に直面したり、大きな恐怖心を心に抱かせるのが最も簡単で効果的です。

戸塚ヨットスクールの方法論には是非があり、
私もそれを勧めるわけではありませんが、
情報化社会の利便性を求め、それに突き進んでいくのなら、
その対極となる脳の深い部分を鍛える、
もっと端的に言うならば、その深脳の退化を防ぐ手立てをとらなければ、
私たち人類は緩慢なる滅亡への道を歩んで行くことに他ならないのです。

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脳の深い部分の動物的感覚は、
空調の効いたホテルのセミナールームで人の話を聞くだけでは
絶対に得られません。

時には断食も必要なように、一時情報を断ってみるのも必要かもしれません。

快適な暮らしに馴染んでしまった我が身を振り返るためにも、
時にはアウトドアで不便さを体験してみるのもいいでしょう。

生活の中であえて不便で快適ではないものを取り入れ、
それを喜びとする術を身に付けることも大切でしょう。

ガラクタというモノを処分することによって人生が開けるのなら、
余分な情報をシャットアウトすることで、
本当の自分が見えてくるということもあるでしょう。

現代社会に於いては、たくさんの情報を入手することよりも、
それを断つことの方が困難ですが、
これは決して避けて通ることのできないことです。

方法は容易なことではないですが、
まずは自分の目で周りを見て、自分の頭で考えてみる、
このことから一歩ずつ進んでいってください。

本当に大切なメッセージは、心の内からわき上がってくるものです。

2010.7.8 Thurseday  
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