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山と谷<2>
ローゼンクランツのオーディオのノウハウのひとつが、
方向性の管理です。
ものにはすべて生成された状態によって、
エネルギーの流れる方向性が生じます。
これはもちろん大学で習う物理学を超えた概念です。
木の場合は、根っこから枝先、下から上に向かって、
横方向は、年輪の中心から外側に向かって、
つまり植物が生長していく通りの方向が、
最もエネルギーの流れがいいということです。
金属は鋳型に溶けた金属を流し込んだ方向、
そして鋳型に入っている状態で、下から上に向かって、
これがエネルギーの最も流れやすい方向です。
これは電磁力などのように簡単に機械で計測できるエネルギーではありません。
電気抵抗などは、方向性とはまったく関係なく、
どこから測っても変化することはありません。
けれども耳で音楽の響きとして感じるエネルギー、
これはやはり生命エネルギーと呼んでもいいのかもしれませんが、
この流れには厳密な方向性が存在し、
これが狂うと途端に音楽の響きが魅力のないものになってしまいます。
物理的に計測できない生命エネルギーの流れ、
それが植物の生長方向、金属の生成方向によって存在し、
それを耳をもって敏感にキャッチすることができる、
普通だとまず信じられない話です。
けれどもこれが間違いなく実際にあるのです。
なぜ間違いなくあると断言できるのか、・・・
それは何度もこの耳で確かめているからです。
方向性の管理されたインシュレーターをオーディオ機器の下に置き、
きちんと環境を整えた条件で聴く音楽はまさに素晴らしいものです。
周波数特性や歪みといった物理的数値を超え、
音楽が躍動感を持って聴き手に伝わってきます。
けれどもそのインシュレーターの方向性を一個でもずらしたなら、
その音楽的感動は、何割減といった感じで、
エネルギー感が損なわれつまらないものになってしまいます。
これは誰がブラインドテストをしてもハッキリと分かるレベルです。
物理的に計測できないものは信じられないというのは、
顕微鏡で見る細胞一個ですら人工的に作る技術を持たない私たち人間にとって、
明らかに傲慢な態度であると言えるでしょう。
私たちの聴覚で感じる音は、
きわめて深い宇宙の真理をも含んでいます。
ちなみに以前(もう八年も前になります)、貝崎さんと一緒に、
色による音の違いというのを実験したことがあります。
スピーカーアタッチメントという小さな小物を縛る結束バンドひとつで
音は大きく変わることにとても驚きました。
色と音との相関性実験に参加して 2002/01/09 ・・・ 私のレポーです。
木や金属という物質に存在するエネルギーの方向性は、
成長方向、生成方向によって生じます。
それをオーディオ機器と聴き手に対して、
オーディオから聴き手に向かってくるように、
オーティオの下から上に向かっていくようにセッティングするのが基本です。
そしてもうひとつのエネルギーの流れは渦です。
地球は太陽の周りを渦を巻くようにして回り、
北半球と南半球が、真逆の四季の移ろいを一年周期でみせています。
文明は1,600年周期で、東と西の文明が交互に興亡を繰り返しています。
人体も、脳、大腸、小腸、内耳、指紋、頭のつむじ、・・・
様々な器官が渦巻き状態になっています。
オーディオ機器では、スピーカーに取り付けられたスピーカーユニットは、
丸い円形をしています。(一部例外はあります)
ローゼンクランツでは、
このスピーカーユニットを取り付けるねじ止めを、 「加速度組み立て」と呼ぶ手法を用い、
ねじの持つ方向性、ねじを締めるトルクの調整で、
渦を巻くようにエネルギーを回し、
素晴らしい音楽を奏でるスピーカーに変身させます。
流れるようなきれいな音を再生するには、
そのためのオーディオ機器もなめらかな表面であることが望ましい、
これは一般的な考え方です。
けれども生命エネルギーの流れは渦であり波なのですから、
機器の表面もそれに合わせたものの方が、
よりスムーズに流れることがあります。
ローゼンクランツの一部のインシュレーターは、
その理論に則って小さなディンプル(くぼみ)が設けられています。
こうすることによって音の波がスムーズに伝達され、
より音が生き生きとしてくるのです。
これはゴルフボールのディンプルとまったく同じです。
ゴルフボールも細かいディンプルを設けた方が、
空気の流れとなじみ、
ボールをより遠くへ飛ばすことができます。
山あり谷あり、ディンプルだらけの人生の方が、
より躍動感があり、遠くへ飛躍することができるということなのでしょう。
「形あるものはいつかは壊れる」、「諸行無常」、
常に循環し、渦を巻き、波打っているこの時空すべての存在において、
これを平坦なものにすることはできませんし。
たとえ平坦なものがあったとしても、
それは時間軸の一コマを切り取った、
ある瞬間の空間的存在でしかあり得ません。
少し難しい話になりますが、
共生・循環・フラクタル、この宇宙の三大原理の中で、
共生は、ある瞬間における様々なもの同士の調和を表す空間的概念です。
そして循環は、その共生関係が時とともに移ろい行く時間的概念です。
けれどもこの時空は相対の世界、
この共生・循環、ふたつの概念を、
空間・時間というように完全に分離して考えることはできません。
先ほど書いた脳や腸といった人体諸器官のように、
ある瞬間に目で見て循環の模様を示しているものがたくさんあります。
また四季の移ろいや歴史の興亡も、
その座標軸を時間(一年、1,600年)空間(南北半球、東西半球)、
ふたつの概念をまたいで存在しています。
つまり時間の流れの中にある人生が山あり谷あり、
いろんな喜怒哀楽、好不調を繰り返すように、
この瞬間の、空間的なもの、
たとえば日常の家族、人間関係、仕事のあり方、
あるいは政治、経済、その他あらゆる分野すべてのものが、
平坦ではなく波を打つように様々なものが混在している方が自然であり、
宇宙エネルギーを受ける理想の姿ではないのかと推察されるのです。
2010.4.12 Monday
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