ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



暗闇の光

若かりし頃、人生において大きな挫折を経験しました。
その挫折は、それまで生きてきた中では経験したことのない大きなもので、
その時の衝撃は、未熟な私の胸に強烈に突き刺さりました。

精神的ストレスを受けると胸が痛むと言いますが、
本当に物理的な胸の痛みが生じるのですね。
そのことをその時初めて知りました。

深い悲しみの中、胸の奥には常に鈍い痛みを感じていました。
そしてその痛みは不思議なことに、
日毎に場所を移動し、少しずつ胃のあたりから上の方へと移動していきました。

毎日考えるのは死ぬことばかり、
自殺する勇気のない私は、
お年寄りの方を目にするたびに
「あの人は早く死ねていいな・・・」
と、そんなことばかりを考えていました。

それでも死ぬことには多少の恐怖を感じます。
一人で死ぬよりも、みんなで一斉に死ねれば、・・・
自らの手で大量殺戮といったことはまったく考えませんでしたが、
大きな天災が起こったり、惑星が地球に衝突したり、
そんなことが起こって人類が一時に死滅してしまえればいいのにと、
真剣に考えたりしていました。

それまで考えていた「人様のため」などという高邁な考え方は、
自らの死の願望と恐怖の前で、
薄っぺらな化けの皮が簡単にはがれ落ちてしまいました。


その時まで歩んできた人生の道のりは、
ある細い石段を一段ずつ登ってきたようなものです。
特に貧しくない家庭に育ち、
好き放題しながらもなんとか大学まで無事出ることができ、
大きな企業に就職し、たくさんの仲間に囲まれ、いろんなところを飛び回り、
ひとつのオーソドックスのレールの上を
特にそこから大きく外れることなく生きてきたような気がします。

その先にどんなゴールがあるのか、
そんなことはあまり考えず、
ただ恵まれた条件の下、自由を謳歌してきたようなものです。

それがある日大きな挫折を経験し、
奈落の底突き落とされたような気持ちになりました。

それまで歩んできた石段ははるか上の方にあり手が届きません。
奈落の底は暗闇で、まったく前が見えません。
大きな絶望の中、ただ一日一日、なんとか生きていくことしかできませんでした。


そんな中、日雇の土木の仕事をし、
日々肉体を酷使する生活の中から、
生きる喜び、幸せというものを、
少しずつ体の奥からわき上がるように感じ取ることができるようになりました。

以前も書いたことがありますが、
肉体を酷使した後は、食べる食事がただただ美味しい、
お風呂に入り湯船に体を浸したら、その心地よさは、
体全体をとろかすような幸せを伝えてくれました。

頭で悩み苦しんでいた自分の心を、
体が肉体の奥底から少しずつ癒してくれました。


突き落とされた奈落の底は、
当初は暗闇で何も見ることができなかったのですが、
少しずつ目が慣れてくると、いろんな周りのものが目に入るようになってきました。
暗闇だと思っていた奈落の底も、実は真っ暗闇ではなく、
うっすらと光が差していたのです。
ただ「決められた幸福感」という色の付いたサングラスをかけていた私は、
落ちた当初、その暗闇の中ではものを見ることができなかったのです。

まだうっすらとしか見ることのできない暗闇ですが、
目が慣れてくるにつれ、自分が今立っているこの底の世界は、
これまで歩いてきた細い石段の上よりも、
はるかに広く大きな世界であることに気がつきました。


「プラス発想」という言葉をよく耳にしますが、
本当の意味でのプラス発想とは、
奈落の底のような一見暗闇に見える世界でも、
どんな過酷と思えるようなことでも、
それを受け入れ、自らの糧として活かしていく覚悟と意識があって
初めてなすことができるものではないかと思います。


古典的名著であるD・カーネギーの「道は開ける」の中で、
悩みを解決するひとつの手段として、
「避けられない運命には従え」ということが書かれています。

道は開ける 新装版
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おすすめ平均
stars悩んでいる時に何度も読んだ本。
stars良いと思います。
stars啓発書というより、救いの書。「いま、ここに在る」と繋がるものがある
stars悩んだときは、ぜひ読んでほしい!

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数年前に、ニューヨークの下町にある事務所で貨物のエレベーターの操作係をしている男に会ったことがある。
私はすぐに、その男の左手が手首のところで切断されていることに気づいた。
彼に向かって、そのことが気にならないかときいてみた。
彼はこう答えた。
「いや別に。そんなこと考えたこともないね。
私は独り者だが、そんなことを思い出すのは、針に糸を通そうとするときぐらいかな」


私が訪ねたインドでも、過酷な生活を強いられる貧民窟で、
片腕がなかったり、両目の視力を失った人たちが明るく生きている姿を見ました。

どうしたらそのように逞しく、自らの試練、運命に惑わされず、
そしてくよくよすることなく、強く前を向いて生きて行けるのか、
これは自らの経験から学んでいくしかないことだと思います。

そして深いレベルでは、その経験を得たいがため、
人は自らにそういった苦難を与えるのだと思います。

人は何かの苦難にぶち当たった時、
自分は世界で最も不幸な人間なんだ、
この悩みさえなくなれば幸せになれるのに、・・・
そんな風に考えてしまうものです。

けれどもそれは間違いです。
その苦難から何かを得たいと思って経験したのであれば、
その苦難を受け入れ、その中から何らかの光を見いださない限り、
その苦難を乗り越えることはできません。

またその苦難が解決されたとしても、
それを受け入れる心ができていなければ、
また新たな、たぶんそれよりも大きな苦難がその人を襲い、
逃げ道のない状態で、その人に何かを学ばそうとするはずです。


お釈迦様は「一切皆苦」という言葉で、
この世の中の目に見えるもの、形あるものは、
すべてが不完全であり、不満足なものであると説かれました。

現象や形は完全に満ち足りたものでなくても、
それを自分の心で満足ととらえることができれば、
それは何よりの幸せです。

幸せは、すべて自分の心が決める ・・・ のです。 ^^☆

2010.3.22 Monday  
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