そのとき、ピアノは火を噴いた!
昭和の終わりごろだったと思います。
「そのとき、ピアノは火を噴いた!」というなんとも激しいコピーにつられて買った
アルゲリッチのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(LPレコード)、
たしかに・・・、彼女のピアノからは火が大きな炎となって噴き上がっていました。
  ( ↓ カップリングアルバム)

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30
アルゲリッチ(マルタ), ベルリン放送交響楽団, ラフマニノフ, シャイー(リッカルド),
バイエルン放送交響楽団, チャイコフスキー, コンドラシン(キリル)

アルゲリッチの魅力は完璧な技巧とそのしなやかな生命感あふれる表現力にあります。
理性的というよりも本能的、人間的というよりももっとより根源的な
動物としての本性のようなものが感じられます。

どぎつい表現ですが、彼女のピアノの音からは心臓の鼓動とともに
そこから流れ出る鮮血の匂いがするようです。

コンドラシンとの協演からなるこのアルバム、彼女の魅力とパワーが炸裂しています。
全編かなり速いテンポで駆け抜けていき、特に最終楽章、
アルゲリッチの野性的パワーに引き込まれるようにオーケストラ全体がトリップ(!)し、
フイナーレに向け強烈なエネルギーとともにピアノが文字通り炎を吹き上げ、
そのまま空高く舞い上がってしまうのではないかと思うほどです。
まさに鬼気迫る数分間です。

昔持っていたレコード、レコードプレーヤーはすべて手放してしまい、
もうこのアルバムも十年以上聴いていません。
けれどもこうして昔を思い出し文字を打っていると、
またあのアルゲリッチの麻薬的魅力を味わってみたくなりました。
しかも調べてみると今は廉価版でラフマニノフとのカップリング(!)、
これはもう絶対に買うしかないですね! v(^o^)

    <参考サイト>

アルゲリッチは、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番だけでも何枚も
アルバムを出しています。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
アルゲリッチ(マルタ), アバド(クラウディオ), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,
チャイコフスキー, エコノム(ニコラス), エコノム

その中でも評価が高いのがこのアバドとの一枚、
私もこれをCDで持っていますが、「アルゲリッチ麻薬中毒患者」の私としては、
緻密で完成されたこのアルバムよりも、どうしてもあのコンドラシンとの
野性的な狂演(?)の方に心が傾いてしまいます。


その「火を噴いた」というコピーを久し振りに思い出させてくれたのが、
絶大な人気を誇るピアニスト、フジ子・ヘミングです。

フジ子・ヘミング こころの軌跡(CCCD)
フジ子・ヘミング こころの軌跡(CCCD)
フジ子・ヘミング, リスト, ショパン, シューベルト

’99年、NHKでそれまで無名だった彼女を紹介する
「ETV特集:フジコ 〜 あるピアニストの軌跡 〜」が放送されるやいなや
日本で大ブームが巻き起こり、番組はその後計5回も放送され、
現在日本で最も高いアルバムセールスを記録するクラシック演奏家となっています。

彼女のピアノからは、彼女のこれまでの人生、生き様が
そのまま音となって聴こえてくるようです。

幼い頃から天才少女と騒がれ、日本、ヨーロッパでキャリアを重ね、
バーンスタインにも認められ、いよいよこれからという時期に突然聴力を失い、
以後二十数年間、長い不遇の時を過ごしました。

彼女のピアノの音からは、長くつらい苦しみを味わい、
そしてそれを乗り越えたものだけが表現しうる喜びというものを感じます。
諦観の境地とも言えるでしょう。

日本屈指のオーティオの匠、ローゼンクランツの貝崎氏は、
彼女の音を「浄」という言葉で表現しました。
浄とは穢れがないこと、清らかなこと。
しかしこれははじめからそうであった「清」とは異なり、
そうでない状態から自らの力で清めていったということです。

ドビッシーの名曲「月の光」、この曲はドビッシーがはじめから月の光をイメージして
作ったのか、はたまた後人がそうイメージして曲名をつけたのかは知りませんが、
彼女の弾く「月の光」からは何度聴いても月光がイメージできません。
彼女の優しく静かなピアノの響きからは、夜空に輝く月ではなく、
長い闇夜が終わりを告げ、ほんの少しずつ光をたたえる朝焼け、
黎明の希望といったものが胸に浮かんでくるのです。

彼女は「リストを弾くことができる最高のピアニスト」と絶賛されることが多く、
特に「ラ・カンパネラ」は彼女の深い精神性を感じ取ることができる
十八番の曲としてよく知られています。

上記のアルバム、「フジ子・ヘミング こころの軌跡」にもラ・カンパネラが二曲、
’88年と’99年に録音されたものが入っています。

特に全十六曲の最後の曲として収められている’88年、ドイツでの放送局用の
録音として演奏されたラ・カンパネラがすごいものです。
ほとばしるエネルギーを感じます。

私個人の感想ですが、まだ諦観の域に到達しきれず、狂おしいほどの「生」との葛藤
と闘う姿が音としてビンビン伝わってくるのです。

この演奏を聴いて、アルケリッチの「そのとき、、ピアノは火を噴いた!」という
コピーを思い出しました。


アルゲリッチが噴き上げるエネルギーが肉体的生のエネルギーとするならば、
フジ子・ヘミングのそれは、内面的、精神的生とでも表現できるかもしれません。

全身全霊で楽器と向かい合い、それを音、音楽として表現する、
すさまじい生命力です。

ここまでの境地に至る・・・、男性よりも女性の方が一枚上手なのかもしれません。

2005.01.25 Tuesday




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