生命の輝き | ||||||||
私たちは知識という面ではまったく何も持たない無の状態でこの世に生を受け、 両親、家族、社会から様々なことを学び成長していきます。 年齢とともに知識の量は増え、“大人”への階段を上っていくのですが、 その間たくさんのものを得ると同時に、 目に見えない何か大切なものも失ってしまうのかもしれません。 キリスト教では、幼子のようにならなければ天国への門は開けない、 天国は幼子のようなものたちの王国である、と説かれています。 幼い子供たちは何をしていても本当に楽しそうです。 目に入るすべてのものに興味を示し、 ほんのささいなことにでも喜びを見いだし、 子供はまさに幸せ、喜び探しの天才でしょう。 そんな子供たちの姿を見ていると、 生命の本質は喜びであり輝きであるのだということを教えてもらえます。 たまたまインターネットで見つけた幼き天才ピアニスト小林愛実ちゃんの 奏でるピアノの音からは、 この生命の喜び、輝きがまさにあふれんばかりにわき出ています。 好きになったら徹底的・・・な私は、このモーツァルトをもう二百回以上は聴いたと思います。 インターネットとはすごいメディアで、世界中の巨匠といわれる方たちの演奏も 家にいながら瞬時に検索し、聴くことができるのですが、 どんな名ピアニストの演奏よりも、まだ小学生である彼女の演奏の方が 聴いていて胸を打ち、何よりも心の底から喜びを感じるのです。 「若い人たちの肌はみずみずしくて、水を浴びても水滴が玉のようになって 肌の上をコロコロと転がっていく ・・・ 」 というような表現をよくします。 小林愛実ちゃんのピアノの音も、子供が小さなゴムプールの中ではしゃぎ回り 水をそこらじゅうにまき散らしているかのように、 鍵盤の上から生きる喜び、輝きが小さなキラキラ輝く水滴になって 噴水のようにあふれ出ているように私には聴こえます。 これは彼女の幼い年齢と、その年齢からは想像もできないような卓越した技術力、表現力 があるからこそ表現できる、まさに『瞬間の芸術』であるといえるでしょう。 日本を代表するシンガーの一人である宇多田ヒカルは、 デビューアルバムから驚異的なヒットを飛ばしたことは記憶に新しいところです。
その中で十代の彼女が切々と初恋の思いを歌う First Love は、 聴いていると胸が切なくなる素晴らしい名曲です。 しかし、あれから年齢を重ね、たぶん音楽性も表現力もより向上したであろう 今の宇多田ヒカルがこの歌を歌っても、 当時ほどの深い感動を聴く人に与えることはできないでしょう。 音楽にも、その時々でしか表現することのできない“旬”というものがあります。 人は年齢とともに興味を持つ対象が移ろっていくように、 表現できるものもまた変わっていくのは自然なことです。 小林愛実ちゃんもこれから少しずつ年を重ね、 また新たな世界を切り開いていくことと思います。 けれども今彼女の音楽から伝わってくる生命の喜び、輝きがいつまでも失われないよう、 一過性のものとならないことを切に願っています。 小林愛美ちゃんは私の住む広島の隣県山口県宇部市の出身です。 ファンクラブのホームページもあります。 YouTube で検索すると他にも小林愛実ちゃんの演奏はいくつか出ています。 是非他の演奏も楽しんでください。 けど、いつか生で彼女の演奏を聴いてみたいですね。
生命の輝き<2> 2007.12.30 Sunday |