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執着
昨日の朝から今日の昼にかけて、
近所に住む知り合いのおばあさんの仕事場の引っ越しを手伝いました。
小柄ながらいつもパワフルなおばあさんで、
仕事場の電気が夜中まで点いていることがよくあります。
2DKのアパートの一室を仕事部屋として借りていて、
部屋の中は仕事の道具や材料であふれかえっています。
仕事で必要なものだから致し方ないのか ・・・ と今まで漠然と思っていたのですが、
このたび引っ越しの手伝いをし、部屋の各所からいろんな荷物を取り出して、
その数の多さ、まったく整理されていないガラクタの膨大さに、
心底ビックリしてしまいました。
押し入れの奥からは、
現在の仕事場に来る時に梱包された段ボールが、
そのままの状態でいくつも出てきました。
仕事の材料はまったく整理されることのない状態で、
段ボールや衣装ケース数十箱分はありました。
おばあさんの年齢から考えて、
たぶんそれらを元気な間に活用することは99.9%ないものと思われます。
それを後生大事に抱えているのですから、
部屋が片付くはずがありません。
そのおばあさんを見ていてよく分かったのですが、
ものを溜め込む人というのは、溜め込むこと自体が目的なのですから、
押し入れの中はもちろん、机の下、タンスの上、
使わないお風呂場は風呂桶の中、その上から洗い場、
とにかくものを置ける場所という場所はすべて物置としてしまうのです。
溜め込み好きの人にとって、
空間というものは、ものを溜め込んでおくところに他なりません。
今更ながらではありますが、
ものを大量に所有することは、
本当に自分にとって大切なものに注がれるべき視線を阻害し、
かえってものを活かすことができないという結果になります。
貴重な空間をもので埋めてしまい、空間の無駄、
ものを探すのに手間取り、時間の無駄、
そしてこのたびのように引っ越す際には多大な労力を要するのですから、
労力の無駄にもつながり、
何ひとついいことなどないのです。
それはもちろん頭の中では分かっていても、
潜在意識、心の奥でそれを納得し、許すことができず、
手に入れたものを捨てられず、こんな状態になっています。
その心の奥の状態に、普段は目をつむっていることができても、
部屋の各所から湧き出てくるガラクタを目の当たりにすると、
その自分の心の奥の見たくない部分に、
いやが上でも対面せざる得なくなります。
普段は元気なおばあさんですが、
目の前に山と積まれたガラクタを目の前にし、
眉間にしわを寄せ、押し黙ってしまいました。
普段はテキパキ動いているのに、
腕を組んでじっと考え事をしたり、
椅子に腰掛けながら「疲れた~」などとため息をついています。
きっと現実と自分の中の思いとの間で、葛藤を繰り広げているのでしょう。
思考が停滞、もしくは停止してしまっているようです。
それでもなかなか目の前のガラクタを処分することができず、
「取りあえず」ということで、
ほとんどすべてのものは引っ越し先へと持っていくことになりました。
ガラクタを溜め込むことは、
時間、空間、そのもの自体、人の思いや労力、
とにかくすべての無駄であり、
またすべてのものに対する罪悪だと思います。
このたびは心の底からそう感じました。
戦後の貧しい時代を経験したそのおばあさんにしてみれば、
どうしてもそうせざる得ないのだと思います。
それは一種の肉体的反応のようなものかもしれません。
そのことを責めることはできないでしょう。
これはもう理屈の世界を越えているのですから ・・・ 。
もうひとつ思ったことは、
ものが捨てられないという人は、
ものが捨てられないという以前に、
ものに対する執着が捨てられないのだということです。
執着は、なかなか捨てられないから執着であり、
これはとても手強い相手です。
また執着は、手放して初めて執着があったことに気づくということも多く、
まずはその執着に気づき、
自分の頭の中で無理矢理につじつま合わせをしているものは、
単なる執着であるということを知ることが最初のステップです。
ものに執着を持っている人は、
心の中の様々な事に対してもまた執着を持っているものです。
だからこそ、最も目に見える形として現われ、
気づきにくい中にも気づきやすい材料がたくさんある、
もの、ガラクタに対する執着を手放すことが大切なのです。
おばあさんの新しい仕事場は、
街の中心部で、今よりも少し手狭になりました。
そこに運び入れた荷物は、部屋の中に山のように積み上げられ、
とても整理できるような状態ではありません。
そのおばあさんはそのおばあさんなりに、
これから目の前の現実と対面し、何かを感じ、学んでいくことでしょう。
執着を手放すメソッドとして、
セドナメソッドはとても効果があります。
私はセドナメソッドで心の囚われをいくつも解放することができました。
最近は少し遠ざかっていますので、
また一からやり直してみたいと考えています。
最近出合ったバイロン・ケイティの「ザ・ワーク」という本に書かれているメソッドも、
セドナメソッド同様、心の中のとらわれを解放する素晴らしい方法です。
この本に書かれているいくつかの言葉を皆様方にお贈りします。
すべての人は、あなた自身の鏡像である。
したがって、あなたの考えは、自分自身に返ってくる。
自分の考えに執着したままでいるか、探求するか、
選択は二つのうちどちらかしかない。
考えを手放すのではなく、理解することで、
考えが私を手放してくれる。
すべては私に対して起こっているのではなく、
私のために起こっている。
苦しみの原因となるのは、考え方そのものではなく、考えに対する執着です。
2011.6.29 Wednesday
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