愛と奇跡の人 小野春子


人との出会いに偶然というものはありません。
自分にとって都合のいいと思われる出会い、そうでない出会い、
すべての出会いには、その裏に何らかの深い意味が隠されているのだと思います。

私と同じ広島という土地に住まわれ、
自らの生き様で深い愛と奇跡を説いておられる小野春子さんという素晴らしい方と巡り会えたこと、
そして親しくお話しをさせていただけるご縁をいただいたこと、
これは私にとってかけがいのない財産であり、
天からいただいた役割をまっとうするための大きな導きであろうと考えています。


私は大学入学と同時に天理教という宗教と出会い、
20歳を過ぎた頃、父親が癌になったのをキッカケで一生を神の道に捧げることを誓いました。

純真だった若い当時の私は、すぐにでも大学を辞め、宗教家の道に進みたかったのですが、
周囲の説得もあり大学を卒業し、一般企業(公文)に就職し、
生まれて初めて親元を離れ一人暮らしをはじめました。

初めて触れる世間の風に最初はつらい思いもしましたが、
少しずつ慣れ、以前より多少は広い視野で物事を眺めることができるようになると、
これまで抱いていた宗教(天理教)に対する絶対的な思いというものが徐々に薄れてきて、
自分の持つ本当の思いを成就させるのは宗教家の道ではないと思い至るようになりました。

神前での誓いを破るというのは勇気のいることですが、
私が宗教家になりたいと願ったその奥にある
『この世の中、宇宙の根底を貫いている真理を知りたい、
 そしてそれを多くの人に知らしめることによって、人々に幸せを与えたい』
という思いをしっかりと胸に抱き、人生の目標として進めたならば、
けっしてその誓いの道から外れたことにはならないだろうと考えたのです。

だからといって普段の日常生活を聖職者のように
自らを厳しく律して暮らしをしていたわけではありませんが、
常に心の中では真理を求める思いが消えたことはありませんでした。

精神世界、スピリチュアリズムといった言葉がまだ一般的ではなかった頃から、
現代科学では解明できないような不思議世界に深い興味を抱き、
その現象面のみならず、そういったものが成り立つ我々にとって未知の法則を
探求するということを自らの使命として関わってきました。

元々私に与えられた運命なのか、
それとも神前でたてた神への誓いが今も心の中でしっかりと息づいているからなのか、
これまでこのホームページでも少しご紹介させていただいているように、
気功、瞑想、宇宙エネルギー、風水、・・・様々な精神世界の指導者の方たちと出会い、
なぜかいずれもその方たちのもっとも身近、あるいは活動の中心的役割を担うといったような
きわめて深い関係を持つという希有な体験を重ねてきました。

そういった人たちと身近に接する機会を与えていただき、
私も何らかの分野での指導者になりたいと思ったことは何度もあります。
しかし役割が違うのでしょう、
出会いと経験を重ねるうち、自らの使命はある特定分野のスペシャリストになるのではなく、
より広い視野に立ってこの宇宙、時空、生命の真理を探究するのが
天命だと確信するようになりました。

子供の頃から学校の勉強はまったく苦手で成績も最悪だったのですが、
算数・数学だけは特に勉強しなくても授業内容を理解することができ、
特に確率・統計の分野は中学校時代に大学受験の問題も完璧に解くことができるほどの
能力を身に付けていましたので、
分析、探求というのは、天から与えられた私の役割なのだと思います。


これまでそれこそ数え切れないぐらいの精神世界の指導者、
不思議な能力を持つ人たちと接してきましたが、
敬虔なクリスチャンであられる小野春子さんほどその凛とした生き様から
人に強い勇気と力を与えてくださる方と出会ったことはありません。

自らの人生を変えるというのは方法論ではありません。
その人のもてる力を振り絞り、全身全霊、
己の可能性の限界に挑むかのように大きな壁に向かっていくことが
ただひとつの人生を切り開いていく道です。

小野さんは言葉ではなく、
奇跡としか表現しようのない偉大なる意志と生命の力をもって
医学の限界を超え、自らの生き様でそのことを説いておられます。


私の精神世界の最初の出会いであり原点は天理教です。
今は信仰の道からは遠ざかりましたが、
天理教の説く因果応報の宇宙法則は深い真理を含む尊いものだと思っています。
ただそれが唯一絶対のものではないでしょう。
真理は至る所に存在します。

またハッキリ述べさせていただくならば、
天理教の元々の教えそのものは素晴らしくても、
現在の天理教の教団組織にはまったく魅力を感じません。
“形あるものは腐る”これはひとつの天の理です。

けれども教えの原点を守り、
本当のその神髄を守ろうという流れは、細々とではあっても確実に存在します。
私を天理教に導いてくださった先生がそうでした。

目に見えない絶対的なものを完全な信頼を持ち、
人間的な欲得を捨て、ただ信じるものに向かって真っ直ぐに突き進む後ろ姿には
思わず手を合わせたくなるほどです。

昨今の精神世界、スピリチュアリズムの動き中には、
そういった手法を通し、自らの物欲をいかに満たすかということにのみ焦点を当てているものが
少なからず見受けられます。

狭い意味で、拘束力の強い宗教、教団というものの持つ意義は、
時代の流れとともに薄れつつあるように感じますが、
深いところから人間の生き方に変革をもたらす信仰の力というものの役割は
まだまだ大きいように思えます。

今は天理教とはすっかり縁遠くなってしまいましたが、
数年に一度先生のおられる天理市に行き、
その生き様に触れさせていただくことは、
己の魂の原点を振り返らせていただける喜びがあります。

先生の生き様、目に見えない神、サムシンググレートに対する絶対的信頼を
精神世界の原点として持てることは、私にとって大いなる誇りなのです。

余談ですが、私の先生のあまりにも教義の原点に忠実になろうとする信仰の姿は、
現在の教団からは受け入れがたいもので、
未だ大きな神殿を造っても教会という名称をもらうことはできず、
通常の組織の系列からははみ出してしまっています。

そこで教団とのパイプ役をしてくださっているのが
サムシンググレートという概念を提唱されている筑波大学名誉教授村上和雄先生
ご実家の教会です。


天理教と出合い、神の道を志してから三十年近い時を経て、
天理教とキリスト教という宗教こそ違うものの、
深い信仰を持ち、神との絶対的な信頼の元に厳しく己を通して真理を求め続けておられる
小野春子さんという素晴らしい方と巡り会えたことは、
私にとって今一度魂の原点を振り返るための尊い原点を与えてくださったものだと感じています。

小野さんとの最初の出会いは、
毎週金曜日の朝早くに参加している異業種交流会 積極人間の集いでした。

その時の模様はこのホームページでご紹介しています。
まだお読みでない方は是非お読みください。
  <偉大なる生命力>

小野さんのお話は、とてつもなく強烈に印象に残るものでした。
数々の死に至る病を経験してきたとは思えない、
体からあふれ出るはち切れんばかりの生命力には理屈を超えて心動かす力がありました。

話をお聴きした直後、
その感動をそのまま文章にし、ホームページにアップしました。
私にとってホームページに文章を上げるのは、
価値ある情報を多くの人に提供したいという思いとともに、
その時の思い、感動を自らの心に深く刻み込んでおきたいからです。

小野さんほどの素晴らしい方ならさぞネットにもいろんな情報があるだろうと思い
検索をしてみると、
ほとんど詳しく紹介されたページがないことにとても驚きました。

小野さんがその生き様、お話しから伝えられるメッセージは、
心や体に苦しみを抱える人たちにとって大いなる福音を与えるものです。

これまで病床の中で4000枚の美しい色紙を書き、
求める人に手渡され、
夜中までかかってくる電話で相談者の方たちに言葉と祈りを捧げておられますが、
もっともっと幅広く多くの人たちに小野さんのメッセージを伝えられたら ・・・、
その一助を私が担わせていただけたら ・・・、
お話をお聴きしてからずっとそんな願いを持っていました。

小野さんのお話をお聴きしたのが昨年(2006年)の10月はじめ、
それから二ヶ月ほどたった12月に、
なんと突然に小野さんの方から私にお電話がかかってきました。

小野さんと親しい方がネットで私の文章を見つけ、
それを印刷して小野さんにお渡しされ、
それを読まれてお電話をくださったのだそうです。

突然のことで本当に驚いたのですが、
小野さんのメッセージを多くの人に伝えたいので、
よかったらまた再びお話しをお聴かせいただきたいとお願いをし、
年が明けた翌年1月に
広島市内から汽車で一時間ほどいった向原のお宅ににお伺いすることにしました。


小野さんの家は一歩入った時から、普通の空間にはない特別な空気を全身で感じました。

古い木造建築のお家の玄関には、
年中クリスマスリースが飾られています。
イエスキリストの生誕に感謝する気持ちを常に持ち続けるためだそうです。

家の中、廊下に至るまで小野さんの描かれた絵や写真が飾られています。
美しい花に聖書の言葉を書き添えたもの、
聖書の物語を絵で表現したもの。
いずれも清らかな光で輝いているようです。

小野さんは同じ町内にお住まいの子供さんやお孫さんたちとは離れて
一人で暮らしておられます。

普段はベットで横になり、人と会ったり電話でお話をされています。
ご自分立ったり歩いたりすることもできますが、
  (医学的には絶対に不可能なはずだそうですが ・・・)
普段の身の回りのお世話は、毎日通ってこられるヘルパーさんがしておられます。

けれども家の中の空気は、そういった雰囲気をみじんも感じさせないものです。
とにかく明るく清らかで爽やかな光に満ちあふれ、
まさに“神の祝福に満たされた家”とでも表現するにふさわしい空間です。

これは初めて小野さん宅にお伺いした時に撮らせていただいた写真です。

ベットで微笑む小野春子さん

普通でしたら、ベットで横になっておられる小野さんぐらいの年齢(76歳)の方の
写真を撮らせていただいたり、ましてやネットで公開することには抵抗があるものですが、
この写真からも十分に感じ取っていただける通り、
小野さんのお部屋、お姿、表情からは輝くオーラが感じられます。

小野さんとの出会いをいただいてから、ある方に小野さんのお話をしたところ
「へえ〜、すごいおばあさんがおられるんですね」
という言葉が返ってきました。

おばあさん? ・・・ 私の頭の中で小野さんとおばあさんという単語が結びつかず、
一瞬頭がフリーズしてしまいました。

小野さんのお姿はおばあさんという概念からはほど遠いものです。
少し俗っぽい言葉ですが、
“聖女”という表現がもっともふさわしいように感じます。


小野さんのお宅で直接聴かせていただいたお話しは、
積極人間の集いでのお話しをさらに上回る驚きでした。

ここでその驚きを一言で表わすことはできませんが、
病魔を克服し、医学の限界を超えて生きるお姿とともに、
その道すがら、深い信仰を持つ小野さんの元に顕現した数々の奇跡は、
私たちに深い魂の存在を見つめる貴重な道しるべになるものです。

小野さんは重い病を得て、
そしてそれを驚異の生命力と意志力でもって克服することによって、
人間の持つ大いなる力を示すという大切な役割を天から担われた方なのでしょう。


1月に小野さんのお宅を訪問して以来、何度となく足を運び、
朝から夜遅くまでお話を聴かせていただきました。

講演のお供をさせていただいたり、お花見やドライブに出かけたり、
我家のすぐ近くにある広大病院に定期的に検査を受けに来られる際にはお会いしたりと、
とても身近に接するご縁をいただくことができ、
本当にありがたく光栄な限りです。

身近に接していただき過ぎたから ・・・ というのはもちろん言い訳なのですが、
持ち前である私のグータラ精神を大いに発揮し、
小野さんのことをネットで発信するという思いを形とするまで
約一年近い時を要しました。

繰り返しますが、小野さんの生き様、言葉は、
多くの人たちに大いなる福音を与えるものです。

その福音を伝える役割の一端を私が担わせていただける幸福を感じながら
これからこのサイトで、
愛と奇跡に満ちた小野春子さんのメッセージをお伝えできればと考えています。


2007.12.12 Wednesday     酒井伸雄(Yogananda)


愛と奇跡の人 小野春子

Love & miracle Ono Haruko  .
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