我が魂の遍歴と新しい時代の理
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東と西

すべてが混沌とした現代社会において、閉塞した現状を打破しようにも、その手法を見つけ出すことは極めて困難です。
長い物質中心の文明に生きてきた私たちは、豊かさイコール物質的繁栄であり、快適性、利便性を追求することこそが人類の幸福に繋がるのだという思想が体に染みついてしまっていて、そこから一歩踏み出した思考をすることがなかなかできないのです。

これからの東洋文明の時代、どういった価値観が求められるのか、それを知ることが現状を打破し、明るい未来を創り出す鍵となります。


東洋と西洋は陰と陽の関係であり、その属性は完璧なまでに対極です。
その属性の一部を表にしてみました。

東洋 西洋
精神・心 肉体・物質
拡散、遠心 収縮、求心
マクロ的思考・生命学 ミクロ的思考・科学
モノとの関わりに重点を置く モノそのものに重点を置く
すべての要素(部分)は、
共通の基盤の上にあり、
お互い深く依存し合っている。
全体は部分の集合体にすぎない。
感性、感じる(FELL) 理論、考える(THINK)
陰陽二元論 善悪二元論

これからは右側の西洋的(陽)価値観から左側の東洋的(陰)価値観へと、時代の流れとともに移行していきますが、すべてが取って代わるわけではありません。
あくまでも主流となるものが変っていくということです。

これからは物質中心の文明が崩壊し、モノに依存しない心の豊かさを求める時代になります。
これまでの積み重ねてきた理論の延長ではなく、女性的感性の元、言葉ではなく体で感じ取っていくまったく新しい価値観が生まれてきます。

肉体を持つ私たちには、生きていくために物質(モノ)は絶対に必要不可欠です。
これまではそのモノが身の回りにたくさんあることが豊かさであり善でした。
これからはモノそのものではなく、そのモノ自体とどのように関わっていくのかという “関わり” により価値観の重点が置かれるようになります。
モノやお金に絶対の価値を置き、まるで賭博場の様な様相を呈した投機的資本主義経済は、幕を閉じなければなりません。

モノを細かく分けて分析し、その細かな部分から全体を知るという科学的思考は、決して悪いものではありませんが、これからの時代の主流にはなりえません。
科学の対極として、大きく全体を捉え、その中から個々の役割、それらの繋がりを見て取るというマクロ的、全体的思考、すべてに命の繋がりを感じ取る生命思考が、これから最も大切な価値観、思考方法となってきます。

これまでの時代、ひとつの極である科学というものが、すべての分野であまりにも重要視、あるいは絶対視され過ぎてきました。
今はその歪みがあらゆる分野で大きく現れています。

日本における私たちの暮らしは、数十年前と比べ、はるかに豊かに、便利に、そして快適になってきました。
それで私たちは幸せになれたのか・・・。
モノ、お金、生活の局面ひとつひとつが便利で快適になれば幸せになれるという、ミクロ的、科学的思考では、私たちの心を本当の意味で満たすことができなかったということです。

物質的繁栄を享受した私たちは、その代償として地球環境を壊滅的に破壊してしまいました。
これはモノの豊かさと環境という二つのものを完全に分離して考え、人間の持つ欲望のままに突っ走った科学的思考、文明の必然的に帰結する終着点です。

科学的思考と全体的、生命的思考、この二つのバランスが大切です。
これまでのように科学万能、科学=論理的、非科学=非論理的という誤った認識は捨て去るべきです。
科学とは、ミクロ的に真理を追究するひとつの手法であり、その対極として、マクロ的に全体から物事を見、真理を求める手法もまた重要であるということを知るべきなのです。


学校教育、あるいは大学での学問追究の場において、そこで学び伝えられているもののほとんどすべては、ミクロ的視座に立った科学的思考から生まれたものです。
今巨大な価値観の転換期を迎え、その中央点を間近に控え、今の状態は、新しい時代に向けての準備が着実に進んでいるとはまったく言えない状態です。

文明法則史学というマクロ的に歴史を俯瞰し、その生命法則を解き明かした学問は、ノーベル賞数個分以上に匹敵する人類にとって偉大な発見です。
けれども残念ながら、この文明法則史学を学問として学べる大学はありません。

私は地元広島で歯の噛み合わせ治療を受けています。
歯の一本一本は、体全体の各所と密接な関係があり、その微妙な噛み合わせの状態を調整することで、全身の不定愁訴、様々な病気に大きな影響を与えます。
  < 山﨑歯科医院 >
これは歯科治療という西洋医学に、全身のバランスを整えるという東洋の概念が合致した素晴らしいハイブリッド医療なのですが、これも残念ながらどこの大学でも正規のカリキュラムとして指導しているところはありません。

大学という学究の場は、本来は真理を追究する場であるはずなのですが、そこに籍を置く学者の人たちはすべて科学的思考というものを前提とした教育を受け、また研究を重ねてきた人たちなので、そのレールから外れたものに対しては、たとえそこに何らかの真理が隠されていると感じても、本能的、あるいは意識的に目を閉ざしてしまうのだと思われます。

今は大きなパラダイムシフト(価値観の転換)の時、たぶん何かひとつのことで新たな価値観が公に認められれば、そこを突破口に新たなものが一斉に評価される時が来るかもしれません。
けれども今の変革のスピードは、あまりにも遅すぎるように感じます。


社会を変えていく大きな一歩として、学校教育のあり方というものを考えなければなりません。
今の国語・算数・理科・社会という科学的思考に偏ったカリキュラムから、全体を繋ぐ、あるいはすべての命を考えるというマクロ的、東洋的なものの考え方を学ぶ新たな教科を加えていく必要があります。

義務教育年齢の子どものうちから、すべてのものは命を持ち、動物も植物も、私たち一人一人はすべてのものと深い繋がりを持って生きているんだということを学ぶことができたなら、それからの人生は、ものの見方がまったく変ってくるはずです。


これからは政治、経済、文化、社会システムのすべてに変革を求められるようになってきます。
そのひとつひとつの分野について、理想のあり方というものをここで論ずることはできませんが、これからは、これからの時代の価値観の主流となる東洋、命というものを学んだ各分野の専門家が、志を持って新たな社会システムを創っていくことを望みます。

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