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神の水<2>

敬愛する師 パラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」に、
カトリックの聖女テレーゼ・ノイマンと出会った時のことが書かれています。

あるヨギの自叙伝あるヨギの自叙伝
パラマハンサ・ヨガナンダ

森北出版 1983-09-01
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彼女は毎朝六時、祭壇に供えられた
“銀貨くらいの大きさで、紙のように薄い” 聖餅を口にするだけで、
他の食物は一切口にすることなく、
十二年もの間命をつないでいます。

「あなたの神に捧げられた生涯は、キリストがおっしゃった『人はパンのみで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのコトバによって生きるものである』という真理を毎日実証するものですね」

この説明に、彼女は再び大きな喜びを表した。

「ほんとうにそのとおりでございます。私が今日この世にこうして生きている理由の一つは、食べ物によらず、見えない神の光によって生きられることを証明するためでございます」



食べ物を口にせずに生きている人がいるということは、
にわかに信じがたいことですが、
人間が生きるために本当に必要な栄養素とは、
食べ物を分析して示されるカロリーとかタンパク質といったものではなく、
実際は、その裏に隠れている何らかの生命エネルギーのようなものではないのか、
そんな思いを、この一節を読んで以来ずっと抱き続けています。


毎朝、水を注いだコップを両手で目の前に掲げ、
水に向かって「神の水」と唱え、
それをうやうやしくいただく、
この神の水という水に対する感謝の作法を知って二十年ほどになります。

水は融合の理の象徴です。
水は様々な物質を溶かし込んで水溶液となり、
掃除の際は汚れを吸収し、洗い流し、
常温域で固体、液体、気体と形態を変化させ、
器に入れても、床の上にこぼしても、
その相手の形に合わせ、自らの形を自在に変えていきます。

ですから水に向かって「神の水」という言霊を発することで、
水はその言霊を融合、吸収し、
その水を飲むことにより、
その言霊のエネルギーを体の中に取り入れることができるのです。

言霊だけではなく、 “思い” もまた大きなエネルギーを持っています。
水はほとんどすべての食物に含まれています。
また人体の約70%は水分であり、
言霊や思いのエネルギーは、
水や食べ物、人体、身の周りのすべてのものに大きな影響を与えます。

「神の水」を実践していると、
こんなことに知らず知らずのうちに気づけるようになり、
たとえ体によくないもの、美味しくない食べ物が目の前に出てきても、
喜びとともにそれを口にすることができるようになります。

「美味しくないな〜、もっといいものが食べたいな〜」
「こんなもの食べると体によくないのにな〜」
こんな思いで食事をしても、何もいいことはありません。。


とは言うものの、この二十年間、
毎日欠かさず「神の水」を実践してきたかというと、決してそんなことはありません。
慌ただしい朝の一時、
コップ一杯の水になかなか言葉をかけることができず、
そのまま飲んでしまうことがほとんどでした。

心と体の健康に関することを、
このホームページにたくさん書いていて、
そのほとんどを今も心がけ、実践しているのですが、
実践できないものは、まだその真の効果が体で理解できていないのです。

しっかり理解した上で実践し始めるものもあれば、
実践を重ねるうちに、少しずつその真の意義が分かってくるものもあります。


「神の水」を、ふと思い立ち、ここ二週間ほど毎朝実践するようにしています。
そして久し振りに実践してみて、
以前とは心の中での感じ方が異なってきていることに気がつきました。

水はとても大きな吸収する力を持っています。
ですから「神の水」と水に向かって唱えることで、
その水が強力なパワーを持ち、
自分もそのパワーをもらえるのだ、少し前まではそんな思いが中心でした。

けれど年を重ねるにつれ、
水、食べ物、空気、・・・
すべてのものが持つエネルギーによって自らが生かされている、
そしてそのエネルギーはどんなものでもすべてが持っている、
そんな思いが強くなり、
“いかにエネルギーの強いものを取り入れるか” ということよりも、
“そのエネルギーを感謝して受けても、どう自分の中に取り入れるのか”
という方向へと意識が変わってくるようになりました。

『モノの価値はモノそのものにあるのではなく、
 そのモノと自分との関わり、
 そしてそれを受け止める自らの中にこそあるのである』

このことを何度も繰り返しこのホームページに書いてきて、
それがまた自らの心の中に、
少しずつ、まさに水が染み入るように浸透してきました。
そしてそれは今も続いています。


「母の愛」に書いたように、
東寺の大日如来像の前で、不思議な体験を通して母の愛を受け取ってから、
パワースポットや聖地と呼ばれるところには、
まったく興味がなくなりました。

自らの胸の内、これに勝るパワースポットはありません。
この思いはこれからも変わることはありません。
なぜならば、この思いを捨てることは、母の愛に対する裏切りだからです。

モノに関しても、己の外から己の内へ、
少しずつ少しずつ、亀の歩みで価値観の主体が移りつつあります。
この歩みは人生の歩みそのものです。


透明の丸っこいグラスに水を注ぎ、
それを両の手のひらで握りしめ、目の高さまで掲げると、
命の糧である水に対する思いがわき上がってきます。

この水の中に貴重な生命エネルギー、命が含まれている。
この自らの肉体は、
その命を分け与えていただいているからこそ保つことができるのだ。
普段はそんなことをほとんど意識することはなくて、
ほんとうに申し訳ない ・・・ 。

今この一杯の水を、そのお詫びの気持ちも込め、
深い感謝とともにいただきます。
ありがとうございます ・・・ 。


そんな思いを抱き、言葉にし、
静かに目を閉じ、少しずつグラスの水を口に含んでいきます。
そしてその水が、喉を通って体全体に染み渡り、
水からいただいた命の糧が全身に満ちてくるのを感じます。

この生命エネルギー、命の糧、命そのものが “自らのすべて” に満ちる感覚、
これこそが感謝です。

感謝とは、 “ありがたい” と感じることだけではなく、
この命を受け継ぎ、満ちる感覚、
これ自体が感謝の感覚なのだと、
「神の水」を通して最近気がつきました。


「神の水」とは、水に言霊のエネルギーを注ぎ、
特別な水に変換することではなく、
たとえ普通の水道水であったとしても、
その中に尊い命の糧が含まれていて、
その命を受け継ぐことで自らが生かされている。
このことを心に刻むため作法だったのです。

このことに気がつくまでに二十年の歳月を要しました。
長いですね。
けれど一歩前進できたことは喜びです。


新たな思いでこの「神の水」を行うことによって、
一日がとても心地よく過ごせるようになりました。
『心の中の喜びのベースが上がった』、そんな感覚です。

心の中の思いは一日中、休むことなく湧き上がっていますが、
それを整えるため、一日一回の作法はとても大切だと実感しています。

この「神の水」、
そしてお風呂の中で毎日行っている「身体との対話」「爪もみ」
すべて簡単なものばかりですが、
自らの思いを律するためにはとても大切で、効果の大きなものばかりです。

これらの作法を通し、
水の中、そして自らの体の中にいる『幸せの青い鳥』を見つけてください。

2015.7.16 Thurseday
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