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2019年1月17日 ・・・ それぞれの平和

長らく広島に暮らしていると、
平和は身の周りにある空気のような存在で、
常に身近で語られていて、
いつもそのことを深く考えているようで、
実は見過ごしていることも多いのでは ・・・ 、
と、そんな気がします。

平和公園や原爆ドームは日常の風景で、
週に何度もそのあたりを通っていても、
特に何の感慨を抱くこともありません。



年に何度かは外国からのお客様や県外の人たちに平和公園や
原爆資料館を案内することがあり、
その時は、その人たちの様子を見、言葉を聴くことで、
あらためてヒロシマの持つ意味を新鮮な思いで受け取られてもらっています。

その中でも特に印象に残っているのが、
四国から広島を訪ねてこられた女性の言葉です。
「原爆ドームは人間で言えばガイコツのようなもの、
 これをこのままさらすのはあまりに恐ろしすぎる。
 こんなものは早く取り壊してしまった方がいい」

この言葉が正しいかどうか分かりません。
また賛同する訳ではありませんが、
ひとつの見方としてこういった考え方もあり得るだろうと感じます。

現在、ヒロシマの持つ大きな役割は、
原爆の恐ろしさを世界に伝えることとともに、
そこから急速に復興してきた現在に至る歴史、
そして現在から未来への持続可能な社会を築くための提言、
この三つをバランスよく広めていくことが大切であり、
今のような原爆の被害に偏った伝え方では、
世界の多くの人たちの心に訴えていくのは難しいと考えています。

そして今あらためて考えてみると、
そんな意識が芽生えたのは、
東洋を学び、バランスというものを何より尊ぶことを知ったのと同時に、
その四国の彼女が語ってくれた、
『原爆ドームは人間であればガイコツのようなもの』
という言葉であったような気がします。



<ヒロシマの使命>  <ヒロシマの使命2>

今日は1月17日、24年前の今日、
阪神淡路大震災によって多くの命が奪われました。
自らが直接被害を受けていなくても、
あの日の衝撃は、今も多くの日本人の胸に刻み込まれていることでしょう。

その特別な日の今日、
平和観光ガイドという特別な役割を担おうとする広島の高校生たちとともに、
平和公園の中を歩いてきました。

広島市立商業高校未来商業科観光コース三年生十名の生徒さんたちが、
平和公園内の慰霊の各所を案内できるよう一年間研鑽を積み、
今日は最後の研修ということで、
実際の観光客の方たちにガイドをさせてもらいました。



その他平和公園内のたくさんの写真は、
このページにアップしています。
  <HPS国際ボランティア 平和観光ガイド修了式>

下の写真は、一年間の努力と成果を讃え、
手渡した修了証とともに記念撮影したものです。



写真前列右端でピースサインをしているのがHPS国際ボランティア
理事長の佐藤広枝さんです。
被爆者である佐藤さんは、
広島市が長年主催してきた「市民平和の集い」が中止となった際、
自らの意志で個人としてそれを引き継ぎ、十年以上に渡ってそれを継続し、
今は東京大学、首都大学東京、広島市内の高等学校など、
ひとつひとつの学校を訪ね歩いて平和のネットワークを築き上げ、
毎年盛大な会を催すと同時に、
子どもたちによる平和のアルバムを制作し続けておられます。
  <HPS国際ボランティア ホームページ>

そして今年はその平和のネットワークが15校に広がり、
その活動はものすごい勢いで広がりを見せています。

これは昨年7校の生徒、学生たちで制作した平和のアルバムです。
画像をクリックするとPDFファイルが開きます。
全ページ、日米二カ国語表記です。



自分もこの平和活動に、
ホームページや資料作成などで全面的に支援させていただいています。
広島には平和に関する団体が数百という単位でありますが、
このHPS国際ボランティアほど広いネットワーク、
特に子どもたちとのつながりを持つところは他にありません。

けれどこれまで着実に実績と広がりを作ってきたものの、
メンバーのみなさんパソコン関係に弱く、
それをネットを通して広げたり、
そのネットワークを十分活かすことができていませんでした。

様々な学校とのネットワーク、
さらには行政との太いパイプもできています。
四日前、13日の日曜日に行った慰霊餅つき大会にも、
広島のテレビ局三社で取材に来てくれました。



ですからこれから世界に向けてどのような形で平和の発信ができるのか、
思いが広がると同時に、責任の大きさに身が引き締まります。


今日の平和ガイド修了式を終え、佐藤さんは、
「被爆者の高齢化は確実に進んでいて、
 もうしばらくすると、原爆を直接体験した人から平和の大切さを
 聴くことはできなくなります。
 ですから次代を担うあなたたちのような若者が平和を語り継ぐというのは、
 平和にとって極めて大切なことなのです」
このようなことを高校生たちに語ってくれました。

広島の原爆投下当時、
まだ生まれたての赤ちゃんだった人が今年74歳を迎えます。


24年前の1月17日、あの日を大人として体験した人は、
今もあの日以降連日テレビから流れてきた映像は深く心に残り、
まるで昨日のことのように鮮明に記憶されていることと思います。

けれど今日平和観光ガイドをしてくれた高校生たち、
あるいはそれより上の大学生たちも、
あの24年前にはまだ地上に存在していませんでした。
その事実を高校生を目の前にして感じると、
時の流れは急速に移ろっていくのだということを強く実感させられます。

これまで何度も被爆者の高齢化、語り部の減少ということを耳にしてきて、
頭の中でそのことを理解していたつもりでも、
今日という日に若い高校生ガイドたちと同じ時を過ごし、
平和という大切なメッセージを継承することの大切さを深く感じ取りました。


広島市立商業高校には現在アメリカから来られた
ALT(外国語指導助手)の方がおられます。

当然のことながら、アメリカで育ったアメリカ人と日本人とでは、
平和、原爆に対する考え方が異なります。
引率の先生によると、そのALTの方は、
アメリカ人の多くは軍部が勝手に起したこと、
日本への原爆投下は戦争終結を早めるために必要だったこと、
という認識を持っておられるとのことです。

今日平和観光ガイドをしてくれた生徒たちは、
そのアメリカ人のALTの方から、
平和や原爆に対する考え方を来週授業の一環として聞くそうです。


それぞれの育った環境や体験により、
平和や原爆に対する考え方は様々です。
広島に暮らす一市民として、
これまで世界に向けて平和をどのように発信していくべきか深く考えてきましたが、
その前提となる、多くの人が平和について
どのような考え方、思いを持っておられるのか、
そのことについてはあまり考えたことはありませんでした。

これからは発信者側と受け手側、
両方の立場を考えながら、
平和への取り組みを進めていきます。

世界恒久平和、これは人類誰しもが抱く願いですので。


※ 若い人向けにこんな案内を作りました♪


2019.1.17 Thurseday  
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