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2018年5月20日 ・・・ 生きる意味

人間は自らが大宇宙の縮図である小宇宙であり、
己を知ることですべてを知ることができる存在です。
ですから自分というものを大切にし、主体性を確立することは、
生きる上で何より大切なことです。

けれど人間の感覚器官はそのほとんどが自分の外側に向いていて、
周りを見て様々なものを感じ、学び取っていくという相対的存在であり、
この二つの相対するものを抱える中で、
ダイナミックな生を堪能するようにできています。


最近、心理学者である中野信子さんの話をYouTubeでよく聴きます。
彼女の言葉はその人柄から、耳にとても心地よく響き、
何かをする時にバックで流すのにちょうどいいのです。(失礼!)

先日、その中野信子さんの「人生に意味はない」という話を聴きました。



「人生に意味はない」というのは、
人生の意味は自分でどんな風に決めてもいいということ、
それは各人の自由だ、と語られています。

また生物の生きる究極の目的は「生き延びること」であり、
人間は脳を発達させてしまったがゆえ、
社会性を持つようになり、
そこから生きる意味付けが生じたというようなことも話しておられます。


人が生きる意味を語る時は、
そのほとんどすべてが他人との関わり、
社会の中での自らの役割、働きといったものとなります。

そして人はその生きる意味を成就させた、
あるいはそれに沿った生き方をしていると感じた時、
大きな「生きる喜び」を感じます。


すべての生物がそうであるように、
人間は、生まれた瞬間から生きるために必死の努力を重ねます。
呼吸をし、母乳を求め、肉体的快を得るために泣き、眠り、
少しずつ肉体を成長させ、
そしていつかは必ず死という肉体としての終焉の時を迎えます。

中野信子さんの言うように、
生物の究極の目的は「生き延びること」ですが、
それには二つの意味があります。

ひとつは自らの肉体的生命を維持すること、
これは人間の生理的な三大欲求ではそのの内の二つ、
食欲、睡眠欲が支えています。

もうひとつは種としての生命を維持すること、
種を絶やさず、子孫を残して存続することであり、
これは三大欲求の性欲によって維持されています。


種の生命と個体の生命では、
当然ながらより大きな種の生命が上位のものとして尊重され、
働きバチが己の身を挺して産卵する女王バチを守り、
メスカマキリが交尾中にオスカマキリを食してしまうように、
どんな生物も、その本能的行動の中に、
種を維持し続ける仕組みを持っています。

そして人間の場合、
脳の発達とともに社会を作り上げ、
その社会が高度に発達するとともに
社会を維持するための様々なルールを生み出してきました。
それが法律であり文化であり倫理であり宗教です。

社会の発達は本来的には種の保存のひとつの手段であり、
その中で自らが何らかの役割を果たしたいと願うところから
人生の目的、「生きる意味」が生じたと考えられます。


種としての生命と個の生命、
これを相対と絶対の関係で考えるとよく分かります。

個としての生命は自らのもので絶対であり、
種としての生命は周りとの関係性から相対です。

個としての生命は自分、今、ここが原点であり絶対で、
種としての生命は社会を築き上げ、
それを維持発達させるために未来を見、過去を反省し、
時間の流れを考慮するようになる相対的なものです。


今の人間社会は極めて高度に発達し、
それを維持存続させるためには同じく高度な人智を必要とし、
人はその社会維持のために大きな意識の力を費やすようになりました。
そして本来人間の存在に於ける絶対性と相対性は、
バランスよく持つことが理想であるにも関わらず、
今は相対性が極めて大きくなってしまいましたのです。

それゆえに、旧来の価値観を持つ古い宗教組織などは
社会に於けるその宗教的価値観に基づくルールを強く説くのに対し、
新しい時代の流れを感知したスピリチュアリズムのリーターたちは、
その逆の、自らの主体性、今この瞬間という絶対性に
より意識を向けることをすすめるのです。

「生きる意味」とは、社会性に強く影響を受けるものであるがゆえ、
絶対的に正しいもの、正解はあり得ません。
すべての生命界に於ける人間社会の中だけでも、
日本とアメリカ、インド、アフリカ、あるいは中東のイスラム諸国、
それらの国々、あるいは時代、世代によって
社会のあり方、ルールが大きく異なるのですから、
「生きる意味」が人によって違うように感じられて当然なのです。


究極的には人間は、絶対と相対とをバランスよく持った
『中道』であるべき存在ですが、
今は相対の比重過多となっているため、
個々人の根底にある絶対を見つめ直すためにも
「人生の意味」というものを捨て、
今この瞬間を感じながら生きることが求められています。

ですから「生きる意味」とは、
将来に進むべき道を決め、
それに沿って生きることに意味や価値を求めるのではなく、
「今を生き抜くこと」それ自体に最大の意味を見いだすことだと感じます。


自分に於いては、
「「ザ・マネーゲーム」から脱出する法」を読んでから、
自らの絶対性をより強く自覚することができ、
今この瞬間に起こってくることを、
以前よりも深い喜びを持って受け入れられるようになりました。

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だからと言って将来的な人生の目的がなくなったわけではありませんが、
将来的なことは「今の思い」から生まれる二次的なものであり、
あくまでも原点は今この瞬間に感じていることです。


最近は毎朝マインドフルネス瞑想を実践しています。
マインドフルネスはまさに今この瞬間を感じること、
そしてこれに「今すぐ人生を変える簡単な6つの方法」の
「ランニング・エナジー」を加えています。

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今この瞬間、自分の中にこそ最高の宝がある、
それを信じること、それが自分にとっての「生きる意味」です。


少しリラックスした話を。
今は茨城にいて、今の時にしかできないことをしたり、見ようと思い、
今日は車を走らせて海を見てきました。



ここ鹿島地区は広い平野で山がないためいつも風が強く、
海岸沿いには数多くの風力発電機が立ち並んでいます。
そして外海の波は高く、
海沿いの道はもろに波しぶきをかかり、
車のフロントガラスは真っ白になってしまいました。
こんな景色は穏やかな瀬戸内に面した広島では見ることができません。


つい数日前のネット記事で、
北海道を中心に展開しているコンビニエンスストアのセイコーマートが、
二年連続で顧客満足日本一であることを知りました。
そしてそれと同時に、セイコーマートが北海道以外では、
茨城と埼玉のみに出店していることを知り、
鹿嶋市にあるセイコーマートに行ってみることにしました。
  <セブンが勝てない「最強コンビニ」の秘密 | プレジデントオンライン>



店内の商品は「北海道」という文字が入ったものが多く、
他のコンビニでは見たことのない食料品も多々あり、
またワインも独自の品揃えで、安くて魅力的なものがたくさん並んでいて、
その中の一本を買いました。

商品の陳列の仕方は少し垢抜けないところがあるようにも感じましたが、
店の個性を感じ、自分にとっては新たな体験でした。


その鹿嶋市にある鹿島神宮にも足を伸ばしました。



樹齢数百年以上と思われる巨木が生い茂り、
静謐でありかつ厳かな空気は、
こういった歴史ある社寺でしか感じ取ることのできないものです。

広島にも市内中心部、広島城に隣接した護国神社という
立派な神社がありますが、広島は被爆都市であり、
焼け野原から復興したところにこのような巨木を見ることはできません。
ここ茨城に来て、ヒロシマというものの持つ意味を考えさせられました。

これは本殿の先にある御手洗池、
水面に鳥居が建っているのを見ると、宮島厳島神社を思い出します。



海外に行くといつも日本のことを思い、
日本の新たな面を発見するのと同じく、
ここ茨城に来て、広島を別の角度から感じることができました。


相対と絶対、この塩梅が大切です。
それを知るためには、まずは原点である己、今、この瞬間を感じ取ること、
そこから湧き出たものに忠実に生きること、
これ「素直な生き方」であり、己への信頼の証です。

2018.5.20 Sunday  
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