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2018年1月22日 ・・・ 縁を生かす

インフルエンザにかかって今日でちょうど二週間、
咳と鼻水がまだ少し出るものの、体調はほぼ元通り、
けれど頭の感覚はまだ今ひとつといったところです。

高熱が出ていた時はほぼ寝たきりで、
社会から隔絶された気分を味わいました。
気持ちも落ち込み、
このまま地の底に引きずり込まれてしまうような、
そんな思いにまでなりました。

何もできない時には気持ちを高めるためにもビデオでも借りようと、
数年ぶりにツタヤに行き、
以前から見たかった「君の名は。」を観ました。



これは名作として名高い映画ですが、
これまで見る機会を逸していました。

懇意にしている小倉の平野医師は、
この映画にとても心打たれるものがあったそうで、
映画館で三回か四回か観て、
そのすぐ後に昨年結婚されたのんちゃんと出会い、
互いに前世からのご縁であることをすぐに直感されたそうです。
  <意味は自分が決める>

これは本当に素晴らしい映画ですね。
四回観て、四回とも涙が出ました。

瀧と三葉という個人同士の魂の結びつき、
三葉の巫女であるがゆえの地域の人々を救う魂の因縁、
そんな様子が見事に描かれていて、
これと同じような縁や魂の導きというのは、
きっと目に見えないだけで、
身近なところにもあるんだろうなということを感じました。


人類の歴史も、個人の精神面での成長も、
ひとつの渦を巻くように同じようなところ行ったり来たりし、
らせん進化していくものだと感じます。

人との出会いは必然だと言いますが、
その意味合いが、体調不良で寝こみ、
人との交わりが少なくなった時、より深く実感されました。

人と交わすひとつひとつの言葉、
その中に、以前よりも深い思いを感じずにはいられませんでした。


「君の名は。」で表れた魂の結びつきは鮮やかなものですが、
極論を言うならば、
この世にある縁や出会いのすべては因果律に基づいた必然のものであり、
その中の深い意味合いを感じるものに、
人間が勝手に“奇跡”であるとか“導き”だと評しているのであって、
これはあくまでも受け取る側の感じ方の問題です。

小才は、縁に出合って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖すり合った縁をも生かす


良縁祈願などといった言葉があるように、
縁とは天から降って湧いてくるようなものといった感覚がありますが、
本当はそれとともに、
いかにその縁を生かす(活かす)かということが大切であり、
縁を生かしているところに、
必然的にいい縁がやって来るという流れも生じます。

体調が悪い時に一人でいると、どうしても内省的になるものです。
そんな時に、身の回りのひとつひとつのことを考えて、
縁もそう、すべてのものが
自分の内から発せられているのだという思いが強くなってきました。

肉体的パワーが弱まり、
内から発せられる力に陰りを感じたからこそ、
その自らの力で律する世界の大きさを感じ取ったのかもしれません。


縁とは天から降ってくるものではなく、
自らが創り出すもの、生かすものです。

その縁の流れの中で、
時折「この方向で間違っていないよ」と示してくれる
“サイン”が表れることがあります。

いつ、どこで、なぜそのサインが表れるのか、
それは天(真我)のみが知ることですが、
縁を生かす生き方をしていると、
そのサインが頻繁かつ鮮やかに表れるようです。


先日たまたま見ていた倫理研究所の「職場の教養」という冊子に、
こんな話が載っていました。

「結婚相手は、生まれた時から赤い糸で結ばれている」と言われます。
Mさんは、何度か縁談を持ちかけられました。しかし、理想を求めすぎていたために、意に沿う相手が見つかりません。そんな中、見合い話がありました。
この縁を大切にしたいと思ったMさんは、見合い相手に会う前から<この人と結婚しよう>と心に決めました。ある日、急遽その女性と会うことになり、出張先から飛行機に乗り込みました。
<何かプレゼントをしたい>と思い巡らしていた時、機内販売のネックレスが目に留まり、購入したのです。そして食事の席で、そのネックレスを女性に渡しました、すると、女性は、声を上げて驚いたのです。
「どうしたのですか?」と尋ねると、「私が欲しいと思って、二週間前にメモしておいた物です」と言うのです。二人の心が通い合った瞬間でした。
偶然の重なりかもしれませんが、「これがご縁」と、とんとん拍子に結婚した二人。(見えない世界でつながっている)と、M夫妻は実感しています。



ここ広島で、もう二十年以上懇意にしているKさん、
そこのTさんというお嬢さんの話です。

Tさんは関西で一人暮らしをしながら会社勤めをしていて、
95年、阪神淡路大震災の時に神戸市東灘区のアパートで被災し、
建物の倒壊は免れたものの、
家の中はぐちゃぐちゃになり、親元の広島へと戻ってこられました。

被災者支援で県営アパートへの無料入居手続きが終わった日、
一人で東区民スポーツセンターというところに水泳をしに出かけ、
その時にたまたま国体選手として広島に来ていたある男性と出会いました。

その場はそのまま別れ、その翌日、
たまたま街中を歩いているとその彼と偶然出会い、
二日続けての出会いに驚いたそうです。

そのまた次の日、その日の夜はTさん、
親御さんであるKさんご夫妻と自分も交え、
七八名で楽しい夕食の席を設けました。
Tさんは一人早めに席を立って出て、
店からバス停に向かおうと歩いていると途中の道路が工事中で、
少し回り道をしながら歩いていると、
なんとまたまた三日続けてその男性と出会ったのです。

これは何かあるということで連絡先を交換し、
その後結婚し、可愛いお二人の子どもさんを授かって
幸せに暮らしておられます。


今はモノや出会いの機会がたくさんありすぎて、
今現在身近にある素晴らしいものに目が届きにくくなっています。

いい出会い、ご縁に恵まれるのには、
積極的に出会いの機会を増やしていくことではなく、
今あるものの価値に目を向けること、
『足るを知る』ことだと感じます。

これまで病気知らずの健康体だったこの肉体、
ほんの少しの病を得たことで、
その有り難さ、価値を再確認することができました。

自分の肉体、これも今世縁あって与えられたものです。
これを生かし、大切にしていきます。

2018.1.22 Monday  
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