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2017年12月26日 ・・・ 年末に思う

若い頃に読んだ本の内容は、
いつまでも深く心に残り、
人生の折々で思い起されます。

中学・高校の国語の教科書には
古典的文学作品や名文がたくさん載っていて、
一部それを否定的に捉える人は、
「読解力が未熟な子どもに古典的名作は難しくて面白くない」
「古典的作品は幼い頃に学校が習うものだというイメージができる」
と、大人になり本当にその内容が把握できる年齢になった時に、
敬遠される要因になると唱えますが、
幼い頃に名文と触れるメリットはそれ以上のものがあると感じます。

今は著作権の切れた昔の名作、
森鴎外、芥川龍之介、中島敦といった一流作家の作品が、
Kindleストアから無料でダウンロードできます。
時代の恩恵です。

山月記山月記
中島 敦

2012-09-27
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若い頃は、本をたくさん読めば読むほど
立派で賢い人間になれると信じていました。

知的好奇心が旺盛で、
知識があればすべての物事は解決できる、
知識は経験に勝る、
そう考え、やたらたくさんの本を買い漁ったものです。

けれど少しずつ人生経験を積み上げてくると、
年月とともに経験を積んでいかなければ
分かり得ないことがあるということに気付くようになり、
知識ばかりを増やし、頭でっかちになり、
本の知識という“疑似体験”だけで、
すべてを理解したような気になる危険性を感じるようになりました。

人間の感性は五官から入ってくる五感が基本です。
頭の中にあらかじめ何らかの知識があれば、
その五感で感じ取ったものをより深く解釈することが可能ですが、
あまりにもその知識が勝ちすぎていると、
五感で感じたものよりも、
先に頭の中で構築されている先入観が“五感で感じ取った現実”を
ゆがめてします。

知識があり体験があり、
この二つでひとつです。
対となるものはバランスが大切ですが、
もしそのどちらかが先行するとしたならば、
人間として基本となるもの、根底であるもの、
体験を通して五感で得られるものが優先されるべきです。


ここ最近また読書欲がとても高まってきました。
それはこれまでの人生経験から、
本から得るものを自分なりにきちんと解釈できるという自信ができたからです。

また今はネットでおびただしい量の情報が流れてくるようになり、
講演やいろんな資料から“いい話”もどんどん入ってきて、
そのあまりの量の多さ、また完全受け身の情報社会に危機感を覚え、
「新たな知識を手に入れるなら、少しでも能動的に関われる本から」
と考えるようになったのです。

ですから、どんな本を読む時も、
この本から自分は何を得られるのか、何を活かせるのか、
また活かすためには今後どのようにしていけばいいのか、
それを必ず考え、能動的、主体的に関わるようにしています。

本は読むことが価値ではなく、
それを活かして初めて価値が生じます。
文学作品を一冊読んでそれで人生の価値観が変るわけでも
生活がより豊かになるわけでもありませんが、
将来的には少しでも自分の糧にしたいという思いで、
心の中に、感動でも問題意識でも何かを残しておきたいと考えています。


数年前から、自分の人生を高めるスキル(技術)として
三つのことを考えています。

ひとつは幸福感を築くため、
心の平和、周りの人たちとの良好な人間関係を保つためのもの、
心のスキルです。
感情を手放す、自分の心を見つめ直す、そういったことです。

もうひとつがコンピューター社会にあって、自分の意見、
人との交流を円滑にするためのパソコンやネットを上手く扱う技術、
コンピュータースキルです。

三つ目が外国でコミュニケーションを取るための英語のスキルです。
貧しい国の支援をしたいということが自分の人生目標のひとつなので、
英語が堪能になることは絶対条件です。

この三つのスキルをどれもバランスよく高め、
自己実現に向けて進んでいきたいと考えていますが、
人生いろいろ波があってなかなかそうはいきません。

そんな時に感じたのが、
それを安定さすためのもの、土台となるものは、
やはり第一番目のスキル、己の心の安定だということです。

これがなければ前に進もうという意欲も湧きません、
またこれが不十分であれば、
いくらネットや英語のスキルが堪能であったとしても、
周りの人たちと円滑なコミュニケーションを取ることはできません。

これは自分の精神がまだ未熟だということ、
そして自分の天命として精神的なものを追い求めたいという思いがあり、
やはり心のスキルが最優先事項です。


前項で今年末までにやろうと考えていた事柄が完遂できないと書きました。
その計画はまた修正を加えていけばいいのですが、
取りあえずは年末までに何をやり、何を持ち越すのか、
それを考えると、自分で大切だと思っている事柄の優先事項が見えてきます。

よく人生を見つめ直すセミナーなどでこんなことを問われます。
「もしあなたの余命があと一ヶ月だとしたら、何をしたいですか?
 誰に会って何と言いたいですか?」
いわゆる究極の問いかけですが、
こういった極限状態になれば、
自分の心の奥底が何を求めているのかが見えてきます。

年末は慌(あわ)ただしいとよく言います。
慌ただしいとは心が荒れると書き、
あまりいい言葉ではないと言われますが、
年末大晦日、新年元日という一年の大きな区切りに向け、
時間に追われ、あれもしたいこれもしたいと、
バタバタと心急かされるのも自分を見つめる有効なひとつの手段だと思います。

真に己を律し、計画通り生きている人は年末に慌てることもないのでしょうが、
凡人にはこういった時間のメリハリが必要です。


もし限られた時間の中、
やりたいすべてのことができないとすれば何をするか、
それはすぐにやらなければ困ること、
特に大切なこと、
いろんなものの土台なること、
それは自分にとってより大切で優先されるべきことです。

そしてそれらがキチンとできたなら、
次はすぐにやらなくてもいいけれども将来大切になってくること、
長期的目標に向かって積み上げていくこと、
例えば自分にとっての英語学習のようなことに力を入れていきます。

そう考えれば、
年末時期というのは竹でいうところの節のようなもの、
お店ならば決算セールのようなものなのです。


人生を達観した人の中には、
「自分は今この瞬間死んでもまったく悔いはない」
と話す方がおられます。

本当にすごいですね。
自分はとてもそんな領域には達していません。

今の自分にできるのは、
今というこの時間の節目、時間のメリハリをしっかりと味わい尽くし、
そこからいろんなものを学び、感じ取ることです。


年末という貴重な節目の時、
今この瞬間をしっかりと味わいましょう。

この年末も、年が明けても、あるのは今この瞬間だけ、
その瞬間が連続して時が生まれます。

今この瞬間、この時がすべてです。


今この瞬間という一点を大切にできるから、
すべてのものを尊重し、感謝することができます。

今日たまたま見た山田宏参議院議員の成人式の講話が心打ちました。



2017.12.26 Tuesday  
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