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2016年10月19日 ・・・ 思いと現実

95年、母が脳出血で倒れ、
広島から奈良の病院にいる母の元を訪ねた時は、
術後意識不明の植物人間の状態で、会話をすることもできませんでした。

そんな母と対面して大きな悲しみに包まれましたが、
母が倒れ、もう元の状態には戻らないだろうという事実を
初めて現実感を持って感じたのは、
その後兄とともに病院から実家に戻り、
いつもならば母が笑顔で迎えてくれるはず玄関の、
その灯りの点っていない真っ暗な玄関のドアを開け、
冷え切った家の中へと入った時でした。


亡くなった父と同い年で、
実の父のように慕っていた三上晃先生の訃報に接した時、
もうご高齢でもあり、大往生だという思いもあって、
さほど深い悲しみの情は湧いてきませんでした。

けれど葬儀に参列するために三上先生のお宅に向かい、
広島市北部のいつもの県道を走っている時、
「この道の向こうではいつも三上先生ご夫妻が迎えてくださったけど、
 これからはもうこの道を走っても三上先生とお会いすることはできないんだ ・・・ 」
という思いが突然湧き上がり、
三上先生の死という現実が急激に胸に突き刺さりました。


現実の出来事を、強いリアリティーを持って感じるには、
何らかのキッカケが必要です。

昨日、いじめによって自殺をした女の子が写っていた手踊りの写真が、
いったんは最高の市長賞を獲得したものの、
自殺者が写っている写真に賞を与えるのはふさわしくないという理由で取り消され、
それに対して多くの人たちから批判の声が上がっているというニュースがありました。

そのニュースに接し、
その自殺をした女の子、葛西りまさんの笑顔があまりにも柔和で素晴らしいので、
いじめによる自殺という最近多発している事件に対して、
その悲惨さをあらためて現実感を持って深く感じ、悲しみを覚えました。

葛西りまさん

かわいそうなだけの子でない/青森中学生自殺 遺族が写真、氏名公表

Web東奥 10月18日(火)11時1分配信

 真っ赤に開く傘を背に、笑顔がはじける津軽手踊りの少女-。今夏の黒石よされ写真コンテストで、最高賞の黒石市長賞に内定していた作品だ。撮影された10日後に自殺した青森市の浪岡中学校2年の女子生徒(13)だと審査後に判明し、主催した黒石よされ実行委員会が一転、内定を取り消していた。遺族は17日、撮影者から提供を受けていた作品を本紙に公開。また、氏名を葛西りまさんと公表した。
 写真は8月15日、黒石市の日本三大流し踊り・黒石よされで、青森市の写真愛好家の男性が偶然、撮影。男性は「表情の明るさ、漂う熱気、精いっぱい楽しむ姿にひかれた」という。
 りまさんは幼少期から手踊りをたしなみ、小学6年で仲間と日本一に。だが、今年の全国大会が近づいていた同25日、命を絶った。遺書には「また皆で優勝したかったけど、行けなくてごめんなさい」とあった。
 本番の舞台は、りまさんの祖父(60)が周囲の希望もあって三味線を伴奏。日本一に輝いた。舞台袖には、りまさんの扇子や傘、衣装が飾られていた。
 「娘は手踊りが好きで、仲間と幸せな時間を過ごしてきた。写真のような笑顔が本来の表情。かわいそうなだけの子どもではない」と父親(38)。写真と氏名を公表した理由を、「いじめをなくしたいという訴えの力になると信じている」と語った。



いじめが卑劣で残忍な行為であることは言うまでもありません。
彼女をいじめていた加害者である子どもたちの行為が、
犯罪(crime)として認定され、処罰を与えられたのかどうかは分かりませんが、
その子たちが深い罪(sin)を犯したことは間違いありません。

なぜ一人の女の子が死という選択をしなくてはならないほどの深い罪を
加害者の子どもたちは犯してしまったのか、
それはその子たちが、自らの犯した行為が、
人を死に至らしめるまでのものだということが、
現実感をもって感じられなかったからだと思います。

最近は子どもたち同士によるリンチ殺人事件のニュースをよく目にしますが、
今の子どもたちは、
ケンカをしても手加減や限度というものがよく分からないのだそうです。

それはやはり小さい頃から自らの手で自然と触れ、
泥んこになって遊び、多少危険な目に遭ったり、
時にはケンカをして鼻血を出したり、
そういった自然や現実世界との触れ合いが欠如しているからではないかと感じます。


世の中で起こるすべてのことを、
100%の現実感を持って受け取ることは不可能です。
そんなことをしたら日々心の中では感情が入り乱れ、ショートしてしまいます。

けれど人間には感性というものがあり、
完全に他人と同じ思いにはなれなくても、
人の気持ちを感じ、察し、相手の立場を理解する、
そういった能力があり、
それを磨くことが社会を生きる上で欠くことができません。

そういった感性を育むためには、
自然や人間同士の触れ合い、
自らの五感を通して直接的に様々なものを感じ取るといった体験が必要ですが、
今は情報があふれかえっている世の中で、
非現実的疑似情報、間接情報、間接体験の占める割合が飛躍的に増大し、
そんな人間的で原始的なコミュニケーション能力は育たないどころか
阻害される一方です。

文明の進歩によって電子機器による情報伝達能力は
倍々ゲームで増大していますが、
それを使いこなすべき人間のコミュニケーション能力は、
その変化についていくことができません。

その結果として、これからの世の中は、
人間の頭の中の情報処理が混乱し、非現実化、あるいは仮想現実化し、
今まで以上に異常な犯罪が増えていくものと思いわれます。


この宇宙、時空には大原則があり、
その第一にくるものが、この世の中は相対であるということ。
相対であるからして、
すべてのものはバランスを保って調和しなければならないということです。

文明、情報伝達能力の進歩は恩恵ではありますが、
絶対ではありません。
そこには必ずバランスを保つがように対極となる弊害が存在し、
それを知り、それと対処しながら関わることが何より重要です。


情報があふれる世の中だからこそ、
自分の中に入れる情報を厳選する、
または数少ない情報を大切にし、それを完全に自分のものとする。

どんどん便利になる世の中だからこそ、
あえて五感を使った体験をし、不自由を楽しむ。

情報はネットよりも本、本よりも実際の体験を大切にする。

五感を研ぎ澄ますべく、食生活、その他生活習慣全般を正す。
  (最近視力トレーニングに励んでいます)

東洋の生命論理を知り、感じる。

アドラーを学び、自己と他人、現実とその解釈との関係を問い直す。

自分の中で、現実感を持って生きるため、
このようなことを心がけています。


とは言え、葛西りまさんの笑顔によって、
初めていじめの残忍さを現実感をもって感じたということは、
それ以前はあまり感じていなかったということであり、
現実感のなさをもって他人を非難することはできません。


今現在、アフリカでもシリアでもソマリアでも、
生命の危機に瀕している大人や子どもたちがたくさんいます。
けれど世界中のほとんどの人たちはその現実を知ってはいても、
実際に救済の手を差し伸べてはいません。

現実とはそんなものであり、
世界中のありとあらゆるところに様々な問題があり、
それを知ったからといってすべてにアクションを起すことは不可能です。

不可能ではありますが、
何らかのキッカケで、それを現実感を持って感じ取ったのであれば、
それを心に留め、少しでも善処していこうと感じることが大切であり、
それがすべての第一歩だと感じます。

葛西りまさんの笑顔からいじめの残忍さを感じても、
自らいじめ撲滅の活動を起すことはなかなかできません。
けれども彼女の笑顔を心に留めておくことによって、
今後彼女と同様の苦しみを持つ人と出会った時、
その人の気持ちをより深く察し、よりいい対応を取れるであろうと信じます。

それが些細ではありますが、
誰しもが持つことのできる良心というものだと思います。


りまさん、あなたは今天国でどのような表情を浮かべているのですか?
あなたが重い苦しみを抱えながらも舞った手踊りは、
多くの人の心の中に温かい思いを運びましたよ。

葛西りまさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

2016.10.19 Wednesday  
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