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2015年1月12日 ・・・ 受け取り方

今週末、関空からインドに向けて出発します。
南インドに行くのは六回目で、
もうだいぶ旅慣れてきて、準備にもさほど気を遣わなくなりましたが、
今回は広島県警OBの方が同行してくださることになり、
新たな変化に期待が膨らみます。

旅慣れてきたとはいえ、
一ヶ月以上の長期間日本を出るということは
人生の流れの中で大きな節目であり、
その節目に向け、
いかに充実した悔いのない時を過ごすかということを、今心に置いています。


そんな中でも日々いろんなことがあるものです。
一昨日の夜、食事をしている時に前歯に違和感を覚えました。

今から三十年以上前の大学生だった頃、
バイクで自動車の横っ腹にぶつかる事故を起したことがあります。
事故があったのは、自宅までほんの二百メートルほどのところです。
相手の車が狭い道でハンドルを切り返して無理なUターンをしようとし、
進行方向に向かって垂直にバックしてきたため、
車の後部に真横からぶつかり、
バイクを残して体だけ宙を飛び、
車の向こう側の路面にたたきつけられてしまいました。

すぐに救急車が来て病院に運ばれましたが、
全身を強く打ってはいたものの幸い骨折はなく、
その代り顔前面が開いているジェット型ヘルメットを被っていたため、
右前歯の先端が欠け、左前歯は根元から折れてしまいました。

それが11月連休前の土曜日の午後だったので、
歯が折れた状態で丸三日間過ごさなければなりませんでした。

その時の事故は相手に100%の責任があり、、
治療費とともに、10万円弱を慰謝料としてもらい、
それを頭金として新しいバイクのローンを組んだことを覚えています。

それ以来左前歯は差し歯となり、
今も何年かに一度、差し歯の根元がぐらつき、
キチンと固定し直してもらわなければなりません。

見た目もあまりいいことはないし、
差し歯になったことによるデメリットは、
とても慰謝料10万円弱の金額で収るものではありません。

けれどだからと言って、
あの時の事故がなければと思ったことは一度もありません。

また、もっと慰謝料をもらっておけばと、
加害者の方を恨めしく思うこともまったくありません。

これまでの人生55年間、
健康すぎるほど健康に暮らしてきたので、
たまに(歯)医者通いをするのは、
逆に健康の有り難みを感じられていいものだと思っています。

事故によって得たデメリットは、
確かにいただいた慰謝料よりも大きいものだとは思いますが、
人間誰しも思いがけないところで人に迷惑をかけているものです。
その人知れずかけている迷惑を、
この歯医者通いによってほんの少しでも贖罪できているような気がして、
『黙って耐える』という意味合いを噛みしめながら、
差し歯となった左前歯と付き合っています。


これまで何度も繰り返し書いてきたように、
ものの価値は、それをどう捉えるかという中にのみ存在します。

前歯が折れるような事故をした、
これは自分の運命が悪いからで、
過去の罪業の結果なんだ。

こう考えるのもひとつの考え方、捉え方です。

また、事故によって健康の有り難みが分かる、
それで辛い思いをすることによって、
自分も人様に何かの迷惑をかけているかもしれないと感じ、
その反省材料にする、これもまた別のひとつの考え方、捉え方です。

これらはどちらが正しい間違っているということはありません。
正解はなく、自分が『こうだ!』と捉えたその考え方が価値であり、
そこから想念のエネルギーが発生し、物事が動きます。


前歯が欠けていては人と会うにも支障が生じ、
すぐに直してもらわなければなりません。
今は出国前という忙しい節目の時期ですが、
明日はママチャリで一時間ちょっとかけて歯医者さんに行ってきます。

けれどよく考えてみると、
今は忙しい節目の時期だからこそ、
己を振り返るこんな機会が与えられたのかもしれません。

そう考えると、より一層すべてが喜びとして受け取ることができます。
『受け取り方がすべて』、
やはりその中にすべての価値があります。


今日はさらに急な用事がひとつ入りました。
十年来のお付き合いをしているSさんというおばあさんから電話があり、
お願い事があると言われたのです。

以前から体のあちこちの調子が悪く、
痛い足を引きずってよちよち歩きをし、
手も痺れがあるとかでとても危なっかしい状態だったのですが、
昨夜外でひっくり返ってしまい、肋骨にひびが入り、
広島市民病院にそのまま救急車で入院してしまいました。

その方は独居老人で身寄りがなく、
自分に入院のための保証人になって欲しいとのことでした。

その後すぐに病院に行き、
書類の身元引受人と連帯保証人の欄に署名、捺印させていただきました。

Sさんは、
「サカイくん、ごめんね~、迷惑かけんからね~」
と言われます。

それを受け、即座に答えました。
根が関西人のため、思ったことはストレートに言うのです。
「別に迷惑かけられても構わんよ。
 迷惑かけられるのが嫌なら、こんなところにハンコ押さんからね」
これは100%本音です。

つい先日、十年ぶりぐらいに昔懇意だった人と出会ったのですが、
その人は連帯保証人になったがため、
何千万の借金を背負ってしまったとのことでした。

その方はとてもお気の毒だとは思いますが、
自分はすべての物事の必然性を強く感じながら生きてきた人間です。
運命の流れというものを、これまで人よりも敏感に察してきました。

ですからまだ完全とまではいきませんが、
どんな困難でも、それを必然だと明るく捉え、
受け止めていく強い自信があります。

病院の連帯保証人というのは三文判でも許される程度のものですが、
今日はそんなことがあり、
自分の捉え方の決意というものを、
新たに自覚させてもらうことができました。


今日は書類の手続きをしたり、入院に必要なものを買いに走ったり、
それでかなりの時間を費やしてしまいましたが、
『情けは人の為ならず』、
人様のお世話をさせていただくだけの余裕があるというのは有り難いことです。

「この忙しい時に ・・・ 」と思うのもひとつの考え方、捉え方ですが、
そうではなく、このことを喜びを持って受け入れられる自分を嬉しく思います。

またこんな突発的なことがあった時には、
これは必然だという何らかのサインを示してもらうことがよくあります。
今日は買い出しに行くために病室を出て、
エレベーターで一階に降りたところ、
目の前でバッタリと知り合いと出会いました。
やはり今日はこの病院に来る必然性があったのだと感じます。

それともうひとつは、きわめてプライベートなことで詳細は書けませんが、
広島市民病院には大きな因縁があり、
そこに入院する人のお世話をできるということに、
深い罪滅ぼしの意味を感じます。
とてもとても有り難いことです。


感じ方というのはすべてが抽象的なもの、
思い方ひとつでどうにでも変わる曖昧なものです。

ですから何度も言うように、すべては自分の心次第、
自分の思いがすべてを決めるのです。

日本にいるのはあと数日、
きっとその間、濃縮されたいろんな事が起こってくるでしょう。

そのすべてが有り難い、日々この気持ちで生き、物事を受け取っていきます。

2015.1.12 Monday  
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