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2014年11月1日 ・・・ 臨界点

すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。
今はなんだか時の流れがただ心地よく、
日々それを味わっています。


何か大きな体験をしたり、心に刻まれるようなことがあると、
いつもそれを象徴するような言葉が頭に浮びます。

昨年インドに行った時は、
外灯の薄暗い灯りの下、地面に直接腰を下ろし、
テキストブックを開いて懸命に勉強をする女の子の姿を見て、
『条件』という言葉が浮かび上がりました。



貧しいインドの子どもたちは、
どんな劣悪な環境でもそれをものともせず、
いつも明るく、笑顔を絶やすことなく、
その与えられた条件の中で逞しく生きています。

生きるには、幸せになるには、条件など必要はない、
どんな条件、環境であれ、
ホーム(児童養護施設)で暮らすインドの子どもたちのように、
日々明るい喜びを表現しながら生きていくことができる、
このことをインドの子どもたちから深く学び取ることができました。

そしてその時に、自分にとって最高の学びと喜びの場所はインドにあり、
この子たちに寄り添って生きることが最高の幸せであり、
現在インドに対して行っている働きがけを
これからも生涯かけて取り組んでいきたいと誓い、
その誓いが、今年二度のインド行きに繋がっていったと感じています。


今回三ヶ月半のインドの旅で感じたこと、頭に浮かんできたもの、
それは『臨界点』という言葉です。

六年前から南インドのホームを四回訪ね、
そしてこのたびこれまでとは異なる州の学校に一学期間滞在し、
その間少しずつ蓄積されてきた思いが、
ここに来てひとつの臨界点を迎え、
心の持ち方が新たな境地に入ることができました。

これまでホームでは、
礼拝、食事、学習、遊び、そして洗濯や掃除などの日常の作務、
そういった学校生活以外の場での子どもたちと接してきましたが、
今回は学校に駐在し、楽しく学校生活を送る子どもたちと毎日触れ合い、
また子どもたちの暮らす村にも頻繁に訪ねることができました。

ホームと学校、そして村、これらを合わせ、
形の上で子どもたちの日々の生活すべてを共にしたことになり、
この形として完結したことが、
心の中も同時にひとつのものを結実させたように感じます。




その結実したものは何なのか、
それはインドの子どもたちが持つ生命の根底からの明るさ、逞しさ、
そこから湧き出る喜び、
そういったものを自分にも分け与えてもらったということです。

今回貧しい村で明るく元気に日々過ごしている子どもたちと接し、
幸せに生きるために前提となる『条件』など、
ほとんどまったく必要ないのだということを、
頭だけではなく、身に染みて感じさせてもらうことができました。

その心の変化はインドにいる間は気づくことがなかったのですが、
日本に戻り、まず最初の関空で貴重品すべてが手元から無くなるというトラブル、
その後も日本で以前と同じ暮らしを送ることによって、
己の中の心の持ち方が大きく変わっていることに気づくようになりました。

これは形としては今回大きく結実したことであっても、
それに至る道筋はこれまで少しずつ築き上げてきたものです。


日本人とインド人の日常の習慣やものの考え方は大きく異なります。
今回は滞在中学校関係者と毎日接し、
その中では頭を悩ませるようなことも何度かありました。

日本にいる時はいろいろと思いを発散できる場所や機会があるのですが、
滞在していたインドの学校では日本人はただ一人、
学校の周りには民家がほとんどないといった状態で、
気持ちを切り替えるのに苦労しました。

そんな時に役立ったのが感情を手放すセドナメソッドです。
日本でも役立っていたセドナメソッドはインドでもやはり役立ちました。
ほんの簡単な手法で、心の表面を巣くっている感情を手放せるのです。


今日本に帰り、臨界点を迎えたとまで感じるこの心の中の感覚は、
このセドナメソッドで感情を手放した先に得られるであろう境地と
似ています。

『人間、生きてるだけで儲けもの』という言葉がありますが、
まさにこんな感覚で、
ただ生きている、そのこと自体が無限の喜びを広げていく源であると感じ、
人生全般に於ける不安や恐怖、心配事といったものが、
一気に小さくなってしまいました。

今も心に浮かぶのは、
たった一間しかない小さな家に招待してくれて、
そこでチャイ(インドのお茶)やお総菜をご馳走になり、
その出してもらったものを食べたり飲んだりしているのを、
ただ静かな喜びの目で見つめてくれた子どもたちの姿です。

家(部屋)の中は薄暗く、床は硬い石畳か土間といったもの、
当然椅子などはなく、
大きなまな板に数センチの高さの脚を付けた台を渡され、
それに腰掛けさせてもらいました。

その時の子どもたちの柔和な表情、
それが頭から離れません。
あの姿を思い出す限り、
どんな苦しい時でも力を持てるように思います。

生きる喜びの原点、
この自らの心身の内側にこそ、
最も大きな幸せを呼ぶ源があるということを思い出すことができるでしょう。

もちろんこれですべての感情が手放せたわけではありませんが、
たぶん心の奥の根底部分にある、
生存、生きるということ、そんなところに関する恐怖と不安が、
このたびひとつの臨界点を超えることにより、
かなり払拭できたように感じます。




感情を手放すというのは、心持ちをきわめて楽にさせてくれます。
また手放すことにより、
逆にどんなものでも手に入れることができるかのような
無限の力が実感できます。

その感情を手放す有益な手段であるセドナメソッドですが、
インド滞在中、セドナメソッドの新訳本が今年の3月に出ていたということを
ネットで知りました。

セドナメソッドの唯一の公式テキストブック、
「人生を変える一番シンプルな方法」、
日本語版は抄訳本ですが、
それがより内容が分かりやすくなるよう再度翻訳をし直されたようです。

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セドナメソッドの手法自体は簡単ですが、
手放すべき自らの感情を深く掘り下げる方法が本の中に詳しく述べられていて、
その掘り下げ方が人によっては難しく感じられ、
自分も旧版を読んだ時には難解で何度もつまづいた所がありました。

新しく出た新訳版は評判がよく、
セドナメソッドは他に類を見ない素晴らしく価値あるものなので、
日本に帰ってすぐに新訳版を買い求めました。


久し振りにセドナメソッドのテキストブックを読み、
その翻訳文の変化以上に、
自分自身のひとつひとつの感情の見つめ方が、
大きな変化していることにとても驚きました。

人間の感情の持ち方は複雑で、
そのひも解き方がこの本に書かれています。
以前読んだ時はそれらが深い森のような感じられ、
それを解放した先というのがまったく見通せなかったのですが、
今はそれがとてもクリアーになり、
まるでうっそうとした森が涼しげな林にでも変わったかのように、
自分の感情の在り様がスッキリ、クッキリと見渡せるのです。


インドの子どもたちから受け取った幸せの感覚と、
セドナメソッドによって得られる感情の解放は、
似ていることは間違いありませんが、
それがどの程度同じなのかは分かりません。

今は臨界点を超えたばかりですので、
その先の様子はまだ分からないのです。

けれどそれらはひとつひとつの積み重ねによって得られるものであり、
道は違っても、行き着く先はきっと同じであろうと思います。

それは何もない、
ただあるのは周りの自然環境と日々の暮らしだけ、
そんな中で最高の喜びを体現しているインドの子どもたちが、
自らの生き様を通して示してくれています。


幸せは得るものではなく、ただ在ることに気づくもの、
そのためには何も必要なく、
また逆に、余分なものがあると気づけなくなります。

恐怖や不安があるからいろんなもので身を守り、
その身を守っているものが多くなればなるほど、
またそれを失ってしまう恐怖を持たなくてはならなくなります。

感情を手放すのは幸せを気づくために大切なことです。
けれどもそれ以前に、なぜ幸せを見えなくする感情が心の中に降り積もるのか、
そのことに着目することがより大切です。

『幼子のようにならなければ天国の門は入れない』



2014.11.1 Saturday  
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