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2013年11月30日 ・・・ スレッシュ親娘との45時間

今年の6月から7月にかけて南インドを訪問した際、
タミルナド州の州都チェンナイでホーム(児童養護施設)を運営するスレッシュから、
11月に娘のジーナとともに日本に行くので、
その時に是非日本の幼稚園を見学できるよう手配をして欲しいと頼まれました。

頼まれ事をされたなら、その期待に応えられるよう動かなければなりません。
けれど彼らの日本での滞在予定が直前まで決まらず、
その調整に最後の最後までとても頭を悩ませました。

日本とインドの間を行き来するためにはビザ(外国に入るための査証)が必要です。
日本人がインドに行くためのビザを申請し取得するのは簡単ですが、
インド人が日本へのビザを取るためには、
日本での滞在先や行動計画を詳細に知らせる必要があり、
彼らも日本に来る直前までビザが取れず、
正式な日程や渡航便が決まったのは日本に来る一週間ほど前という
バタバタ劇でした。

最初に日本に来るという話を聞いた時は、
広島に十日ほど滞在する計画だったのですが、
結局は前滞在地東京から午後広島に移動して、
翌々日の夜に成田まで行かなければならないという
正味の滞在時間45時間という超ショートステイとなりました。


まずは総括として、きわめてハードなスケジュールで彼らを案内し、
案内役として準備や雑事でその前後の睡眠時間がきわめて少なくなり、
日々疲労困憊といった状態だったのですが、
なんとか無事故で車を運転し、
予定していたスケジュールをすべて無事にこなすことができたことを、
何より嬉しく思います。

当初はレンタカーを借りようと思ったのですが、
全日程で赤崎大先生のプリウスを無料でお借りすることができ、
とても助かりました。

見学先の幼稚園の段取りは、
広島で有名な教育者である平岡豊惠先生にお願いしました。
そして二つの素晴らしい幼稚園を見学することができ、
彼らにとって最高の体験と思い出ができたことと思います。

広島での二泊は、いつも懇意にしていただいている
ソルトホームスクールさんにお願いしました。
ここでも英語で(!)深い交流を図ることができ、
彼ら二人にとって最高の宿泊先となりました。

すべてが最高、すべての面で恵みがあり、
まるで何かに護られ、導かれているといった感がありました。
広島の最高の友人たちから最高の “おもてなし” を受け、
彼らに大きな喜びを感じてもらえ、
それを自らの喜びとすることができました。

そして広島にはこんなにも素晴らしい仲間たちがいるんだということを、
彼らを通して再認識することもできました。
持つべきものは友、何よりも貴重な財産です。

6年前、奇跡的な導きからインドとのご縁ができ、
それから三回インドに渡り、
二ヶ月前、南インドでホームを運営する長兄スギルタン、末弟クマール
の二人を東京で案内し、
そしてこのたび真ん中のスレッシュ親娘を広島に迎えることができました。

一連の流れの中で、目に見えないインドとの魂の絆を感じずにはおれません。
それをハッキリと体感できる形で目の前に現してもらえることは、
やはり最高の喜びです。


26日(火)、午前中の東京での行事を終え、
予定より少し早い5時36分着の新幹線でスレッシュ親娘は広島に着きました。
二人を新幹線のホームで迎え、
宿泊先のソルトホームスクールのメンバーである稲葉由紀子さんと合流し、
広島城を横目で見て通り過ぎながら、夜の平和公園を案内しました。
稲葉さんは英語教師でインド経験も豊富なので、一緒にいてくださると助かります。

平和公園で原爆ドームを見て、
平和公園の数十メートル東側にある爆心地である島病院行き、
そして少しだけ100円ショップも寄って買い物もしました。
広島到着が予定より早まって、ほんの少し余裕ができました。

その後はすぐ近くにある行きつけの日本料理店ひうらやへと移動し、
美味しい日本料理をみんなで食べました。

半年前のインド訪問の少し前、
インドにお土産として日本のインスタントラーメンを持っていきたいという
話をこの店でしたところ、
ここの粋な大将が九州ラーメンうまかっちゃんを一箱提供してくださいました。

これがその うまかっちゃん を手にしているホームの子どもたちの写真です。
この写真を含め、四枚のインドの写真が今も額に入れて店に飾られています。



ですから彼ら二人には、是非ともこの店に来てもらいたかったのです。
こちらがその粋で職人肌の大将日浦さんです。



上の写真は今年の初めに撮ったもので、
大将はその後体調を崩し、残念ながら二ヶ月ほど前に亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。


ひうらやを出て少し歩いたところに横幅が100メートルある平和大通り、
通称百メートル道路があり、
そこで今月の17日からドリミネーションというきれいな電飾が数多く光り輝く
素敵なイベントが開かれています。

左から稲葉さん、スレッシュ、そして娘のジーナです。



インドではこんな電飾はクリスマスツリーだけだそうで、
ジーナはカメラを抱え、とても嬉しそうに飛び回っていました。



けどすごく寒そうにしています。
日本のこの時期の寒さは、熱帯に暮らす彼女にとって初体験です。



スレッシュはこの海賊船が気に入ったようでした。
イエ~イ♪



今年のドリミネーションは100%LEDライトを使用しています。
電飾のお花畑が見事です。



一通りきれいなドリミネーションを眺めた後は、
宿泊先である隣の府中町にあるソルトホームスクールに行きました。


ホームに着いたのは午後9時過ぎ、二人は持ってきたティーと香辛料で、
インド本場のチャイーを作ってくれました。
日本のミルクティーを風味豊にしたような味わいはみんなに好評です。



ソルトホームスクールは、大きな家にクリスチャンの方たちが共同生活をしていて、
みなさんとても真摯でフレンドリーな方たちばかりです。
この時には清水十輝くん他外出していてる若者たちもいましたが、
みんな伸び伸び明るく自由に生きるのがソルトの方針です。



ソルトの人たちはみなさん英語がとても堪能で、
二人と同じクリスチャン、
そしインドにボランティア活動で行ったことのあるメンバーもいて、
インドの写真などを見ながら話がとても盛り上がりました。

下の写真は今年の夏に撮ったものです。
このソルトホームスクールには、
スレッシュ親娘のいるインド最南端タミルナド州の東隣のケララ州から
社会活動を熱心に行っているトーマス・マシューという人が来て、
何度か滞在しています。



そして驚くことに、そのトーマスとスレッシュ兄弟は顔見知りの関係だったのです。
自分はソルトホームスクールの人たちとは音楽を通して出会いました。
そして互いにインド人の知り合いがいて、
そのインド人の知り合い同士がまた知り合いだというのは極めてまれな確率です。
インドの人口は日本の十倍、12億人もいるのですから ・・・ 。

スレッシュ兄弟たちのお母さんが暮らす実家には、
トーマスが建てたピースポールがあります。
日本でもよく見かける「世界人類が平和でありますように」
と書かれた白い四角い木製の塔です。

そしてスレッシュの弟のクマールは、
二十数年前に一年間那須塩原にあるアジア学院に留学していた時、
トーマスと机を並べてともに勉強をした仲なのです。

本当に、インドとの関わりは奇跡的な出会いの連続の中にあります。


翌27日(水)、朝7時過ぎに二人を迎えに行き、
早朝の平和公園を歩きました。



歩いている途中、突然公園の中できれいな鐘の音が鳴り響きました。
午前8時15分、広島に原子爆弾が投下された時刻に、
平和公園では平和の鐘が鳴るようになっているのです。
広島に暮らして23年、そのことを初めて知りました。

佐々木禎子さんを記念して建てられたサダコの像のところには、
全国からたくさんの折り鶴が届けられ、展示されています。



サダコの物語は彼らの暮らすタミルナド州の学校の教科書にも載っていますので、
ここも是非とも来てもらいたいところでした。



原爆資料館は午前8時半オープンです。
オープンと同時に中に入り展示を見て回ります。



時間があまりないので早足で見てもらいたかったのですが、
二人はひとつひとつの展示に熱心に目を向けていて、
なかなか先に進むことができません。

そんな二人を見ていると、
普段は平和や原爆というものに慣れすぎてしまっている自分自身の感覚を、
再び正常なものへと戻してもらえます。



平和公園を大急ぎで後にし、
広島駅で今日の訪問先の幼稚園をご紹介いただいた平岡豊惠先生と、
海田幼稚園理事長の三宅松子先生と合流しました。

見学先は広島女学院の中にある広島女学院ゲーンス幼稚園です。
広大な山肌に広がる女学院の敷地の中に幼稚園はあり、
初めて行くととても分かりにくい場所だったのですが、
たまたま目の前に幼稚園のスクールバスが走っていたお陰で、
約束していた10時ちょうどに着くことができました。

幼稚園では年齢ごとにいくつかのクラスに分かれ、
子ともたちが楽しそうに、かつ伸び伸びと過ごしています。
木を多用したきれいな施設はかなりリッチな雰囲気です。



ジーナは24歳、地元チェンナイの大学院で教育学を修め、
今は大学の教員として働いています。
今回の幼稚園見学は、その彼女の希望によるものです。



子どもたちの楽しそうな姿を見ていると、
自分もあの頃に戻りたくなりました。





赤い服の平岡先生、青い服の三宅先生を両脇に、
ジーナと記念撮影です。
ジーナの自然でさりげない雰囲気は、人を引きつける魅力を持っています。



全部で10クラスぐらいあったでしょうか、
どの教室でも一行を歓待してくれて、
帰り際には可愛いお手々を振って挨拶してくれました。



高田園長先生からもたくさんお話をお伺いし、
幼稚園の記念誌を受け取りました。
歓待していただき感謝いたします。



そして記念撮影♪



午後からは女学院の理事長さんが会ってくださるそうなので、
それまでの間、みんなで広島駅の近くまで戻りお昼ご飯を食べました。
二人は生魚(お刺身)以外の日本食はノープロブレム(大丈夫)です。



駅近くの店なので外国人の方もよく来られるのでしょう。
店内には英語で書かれた掲示物が何枚かありました。



そして昼食後、広島駅新幹線口の真北の二葉山の頂上に上がり、
そこに建てられている仏舎利塔のところまで行きました。



この仏舎利塔を建てたのは日本山妙法寺妙法寺という日蓮宗の宗派です。
その日本山妙法寺妙法寺の僧侶である
インド サンカランコービルの石谷政雄上人によって、
南インドとのご縁をいただきました。

インドの二人にとっても石谷上人はとても身近な間柄であり、
ここも訪ねてもらいたいところでした。

ここからは広島市内中心部や宮島の方まで一望できるのですが、
この日はあいにくの雨模様で濃い霞がかり、
下界に広がる街並みを望むことはできませんでした。
けれどこんな濃い霧もまた彼らにとっては珍しいらしく、
喜んで写真を撮っていました。



そして今は紅葉のきれいな季節です。
熱帯の南インドでは緑の葉が朽ちる時はいきなり茶色に変わり、
赤や黄色に美しく葉が色づくことはありません。
ジーナは紅葉した木々を見るのは初めてだそうです。



午後1時、広島女学院に再び戻り、
立派な理事長室を訪ね、黒瀬理事長とお会いしました。
黒瀬理事長は5年前に書いた「南インドで学んだ喜びと幸せ」
読んでくださったらしく、
そこに書かれていることに共感し、何度もお褒めの言葉をくださいました。
有り難い限りです。



黒瀬理事長といろいろお話をしている中で、
ジーナの口からたまたま広島での平和活動で著名な
広島平和文化センターの元理事長のスティーブン・リーパーさんの話が出て、
それを聞いた黒瀬理事長が、
現在この女学院で教鞭を執っているリーパーさんは
今日は学内にいらっしゃいますよという話になり、
リーパーさんを理事長室にお呼びくださいました。
前列左が黒瀬理事長、中央がスティーブン・リーパーさんです。



スレッシュの運営するチェンナイのホームには、
毎年学生YMCAの企画するスタディーキャンプで
十名ほどの学生たちが訪ねてきます。
今回はその学生YMCA主催の記念行事が日本であり、
スレッシュ親娘はそこに招待を受けて来日しました。

下の写真はこの四日前にスレッシュのカメラで撮られたもので、
静岡県御殿場であった学生YMCAのフォーラムです。
この前列中央で青いサリーを着ているのがジーナ、その二人右横がスレッシュ、
そしてジーナの二人左横に座っておられるのがリーパーさんです。



スレッシュ親娘はこの時にリーパーさんと初めて出会い、
まったく偶然にその四日後、遠く広島で再び顔を合わせることとなったのです。



インドにも行った経験のあるリーパーさんとは話が弾みます。
リーパーさんには女学院の学生さんたちとともに、
是非ともインドを再訪問してもらいたいと願います。



インドのご縁は奇跡的な偶然の連続です。
YMCAのことを話していると、広島女学院の黒瀬理事長が、
もう一枚別の名刺を差し出してくださり、
そこには広島YMCA理事長という肩書きが書かれていました。

ここを訪ねることができたのは、
平岡先生、三宅先生たちとのご縁ですが、
インドの二人がクリスチャンであるとか、YMCAの関係でこのたび日本に来たとか、
ましてや数日前にリーパーさんと出会ったなどということを考慮して
ここを選ばれたわけではありません。
偶然、必然、奇跡 ・・・ ご縁とは誠に不思議な世界です。




胸一杯の思いを抱え、今度は車を西へと走らせ、
平和公園とともに広島のもうひとつの世界遺産である宮島へと向かいました。



宮島へ向かう途中、一時かなり激しい雨が降りましたが、
宮島に着く頃にはその雨も収まり、
海上の鳥居のそばにはきれいな霧が立上っています。



宮島に着くとたくさんの鹿が訪れる人たちを迎えてくれます。
インドにも野生の鹿はたくさんいますが、
こんなに飼い慣らされたマスコットのような鹿はいないそうです。



厳島神社に向かう参道にはたくさんの土産物を売る店が建ち並んでいます。
キティーちゃんはインドでも人気です。



木製のしゃもじも宮島名物です。



宮島には修学旅行と思われる団体がたくさん来ていました。
日本の制服を着た団体が珍しいのでしょう、
ジーナから写真を撮って欲しいと頼まれました。



宮島はいつ来ても日本的美にあふれた素敵なところです。
ごく狭いエリアに美しい神社仏閣が点在し、海や山、
周りの自然と見事に調和しています。



日本を訪れる外国人観光客に観光スポットのアンケートをとったところ、
第一位は原爆資料館、第四位は宮島厳島神社とのことです。
ご当地広島に一位と四位の世界遺産があることはとても誇れることです。



インドではお酒は堕落した人間が飲むものというイメージがあります。
けれど日本ではお寺や神社などに御神酒としてお酒が供えられ、
彼らのお酒に対して持つイメージとは大きく異なります。



今度インドに行った時には大手を振ってお酒を飲めるよう、
二人にお酒のいいイメージをしっかりと伝えておきました。 ^^☆

宮島では小雨が降ったり止んだりで、
紅葉ももう終わりかけといった感じでしたが、
濡れ落ち葉がしっとりと地面を覆う景色もなかなか情緒があっていいものです。

厳島神社を参拝した後は、少し坂を上った大聖院まで足を伸ばしてもらいました。
ここは宮島の中でもおすすめのスポットです。



ジーナは紅葉した木々にいたく感動していました。
紅葉した葉っぱのついた小枝を手に持ち、
インドで押し花(葉)にしたいとのことです。
うまくできるといいですね。





ここはたくさんのお地蔵様があり、
チベットのお坊さんたちが作った色鮮やかな砂曼荼羅も展示されていて、
また上の方からは瀬戸内の景色を望むこともできます。



大聖院から出ると、近くの家に古い車やスクーターが置かれていました。
ジーナはなぜか車が大好きです。
この車は、
インドのタクシーとして最も一般的なアンバサダーという車の形とよく似ています。




宮島を出ることは日が沈みかけていましたが、
二人に “広島で最も美しい場所” を見せたいと思い、
毘沙門台にある喫茶店「赤い屋根」に行きました。

夕方のラッシュアワーの中一時間かけて赤い屋根に着いたものの、
二人がこの雰囲気を気に入ってくれるかどうか不安だったのですが、
素晴らしい花や紅葉したツタ、店内の調度品、窓から見える景色、
どれもいたく気に入ってくれた様子で一安心しました。



どうですかこの夜景、素晴らしいでしょう♪
この景色と赤い屋根の雰囲気が見事に調和しているから
その美しさがより一層映えるのです。



接待してくださるママさんがまた素晴らしい♪
赤い屋根は広島が誇る総合芸術なのです。 (^^)v



赤い屋根でコーヒーを飲んでいると、
いつも懇意にしていただいている帯子さんから
「どこにいますか?よかったら晩ご飯をご馳走しますよ♪」
というメールをいただきました。

帯子さんは広島倫理法人会という集まりの忘年会で、
市内中心部の繁華街におられます。
そこに急遽車で飛ばし、三人で美味しい日本料理をご馳走になりました。



みなさん一杯気分でご機嫌です♪
倫理法人会ではこれまで三回ほどインドの話をさせていただき、
顔見知りの方も多く、みなさんフレンドリーに対応してくださいました。

何人かの人が片言の英単語を並べてインドの二人に話しかけてこられます。
帯子さんなんて英語がまったく分からないのに、
二人の前に座り、懸命に日本語でしゃべり続けています。

日本人は英語を話すのを恥ずかしがるとよく言われますが、
お酒の力はそれを上回っています♪



店を出てソルトホームスクールに着いたのは午後9時過ぎ、
ここでもソルトの方たちとしばしの懇親の時を持ちました。
自分はかなりの疲労困憊モードですが、あと一日がんばります。 (;^_^A


翌28日(木)、この日は府中市という
広島市から車で一時間半ほど行った町の保育園を見学します。
朝7時に平岡先生をご自宅までお迎えに上がり、
ソルトホームスクールは朝8時半に出発する予定だったのですが、
ソルトの人たちとの話がまたまた弾んでしまい、
ソルトを出たのは9時になってしまいました。

別れ際、ジーナはソルトの人たちと一緒に写真を撮っていました。
二人がソルトの方たちといいコミュニケーションを持ってもらうことができ、
とてもとても幸せに感じます。


昨日から今日にかけて、広島はかなり冷え込みが厳しくなっています。
車は広島高速1号線、山陽自動車道と走り、
ソルトを出た時にポツポツと降っていた雨は少しずつべたつくようになり、
標高が上がった山陽自動車道の入り口に差し掛かった時には
雨はすっかり雪に変わっていました。

小さな粒の粉雪が、車のフロントガラスにきれいな軌跡を描いてぶつかってきます。
ジーナはこれまで雪を見たことがないそうで、
紅葉に引き続き人生初の体験です。

その雪も山陽道を東に走らせている間に止み、
雲間からは青空も見えるようになりました。
二人にいろんな天気を見てもらうことができてよかったです♪


予定の時間に少し遅れた午前10時半、
訪問先の府中市のたま保育園に到着しました。
着いてみてビックリ、なんと保育園の入り口には
きれいな手作りのポスターが掲げられているではないですか。 w(☆o☆)w

『ようこそたま保育園へ』、
ローマ字、英語、そしてインドの公用語ヒンズー語で書かれています。



いやいやその歓待ぶりに心打たれました。
こんな素晴らしい “おもてなし” をしていただけるとは ・・・ 、
もう言葉がありません。

着物を着て対応してくださったのは、
近藤玉枝園長の娘さんで事務長の雅美さんです。



田舎の町の子どもたちからは都会の子たちとは違う、
そこはかとない純朴さを感じます。
みんな可愛いね。 (*^・^*)



二歳児クラスの子どもたちだったかな、
みんなの額には可愛いシールが貼られていました。
これはインド人二人を歓迎するために付けたもので、
インドではビンディーと呼ばれている結婚した女性が付ける飾りです。 ^^☆



こんな子豚のおもちゃを使って数字の勉強をするのですね。
なんだか楽しそう♪



ジーナも一生懸命子どもたちに話しかけていました。



このたま保育園では園のプログラムの中に
モンテッソーリ教育を取り入れています。



インドでもモンテッソーリを取り入れた幼稚園はありますが、
それはごく一部の上流階級の子どもたちが通うところだそうです。

子どもたちのクラスを一通り見た後は大きな部屋に案内していただき、
心のこもった歓迎式を受けました。



子どもたちは手に日本とインドの国旗が握り、
一生懸命に振りながら歌を披露してくれました。



ちっちゃい子たちのお遊戯もまた可愛らしいものです♪



最後はドリフターズ「8時だよ全員集合」のオープニング曲を踊りました。
エンヤー コーラヤット♪
  ドッコイジャンジャンコーラヤ♪
というあの明るく楽しい曲です。 (^o^)v



手に持っているのは何という名前だったでしょうか、
みんなでこれをカチカチ音をさせるとワクワクしてきます。
今度インドに行く時はこれをお土産に持っていきます。 (v^-゜)

そして全員で記念撮影♪
素晴らしい歓迎会をありがと~♪♯



インド人が町の保育園にやって来るということで、
なんと地元誌の記者の方たちもお二人取材に来てくださいました。
どんな記事になるのでしょう、楽しみです。



ちびっ子たちも着物を着ておもてなしです。
たま保育園へようこそ~♪



けれどちびっ子たちは普段見ることのないインド人を前にすると、
ちょっぴり緊張気味ですね。



こんな日本のお菓子も出していただきました。
南天の葉っぱがきれいですね。



ジーナが記者の方たちにインドについて話しています。
なかなか英語をきちんと訳してあげることができず、申し訳なかったです。



近藤園長さんはとても気さくな方でした。
ジーナにプレゼントしてもらったインドの布をまとい満面の笑みです。



またまたみんなで記念写真、おもてなしちびっ子も一緒に入ってくれました♪



たま保育園の人たちも自分たちのカメラでたくさん写真を撮っておられます。
今日は園にとっても記念行事のひとつとなったようです。



男前さんもカメラを渡して写真を撮ってもらいます。
なかなか自分が入っている写真はないのです。



お昼ご飯は園で作っている給食メニューを出していただきました。
それにお寿司も特別メニューで加わっています。



十時半に園に到着し、十二時半に園を出発するという
たった二時間ほどのたま保育園滞在でしたが、
心温まる歓迎を受け、胸が熱くなる思いです。



子どもたちが列を作って見送りしてくれる中を、
一人一人に握手してお別れをしました。 (o^∇^o)ノ



たま保育園のみなさん、本当にどうもありがとうございました。
スレッシュとジーナ、二人にとっても最高の日本の思い出となったことと思います。
滝川クリステルが笑顔でプレゼンテーションしたように、
日本には世界に誇る “お・も・て・な・し” 文化があるのですね。
それと出合えて幸せです♪♯



後ろ髪を引かれる思いを残し、
子どもたちの「バイ、バ~イ♪」という元気な声を聞きながら、
車は広島へと引き返しました。


二人は翌日29日(金)の午前10時半成田発の飛行機に乗るので、
今夜中に成田のホテルに入り、
そのためには広島駅発14時37分発ののぞみに乗らなければなりません。

まったく余裕のない滞在時間45時間ほどの広島ショートステイでしたが、
二人にとってこの上ない最高の時を過ごせたものと感じています。
そうなったのも、周りのご縁ある方々の暖かいお心遣いとご尽力のお陰です。
そして見えざる何かの力がそれを後押ししてくれたのを感じます。


広島駅には無事予定時刻の少し前に到着し、
新幹線のホームで二人と別れを告げました。

今度二人とはいつ会えることができるでしょう。
できれば来年の早い時期に南インドを再訪したいと考えているのですが、
今回二人と広島で過ごしたこの時が、
これから続くインドとの縁を広がりを暗示してくれているように感じます。

本当にもう言葉がありません。
すべてのご縁、出会った人たち、そして導きに心より感謝いたします。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


12月1日、スレッシュ親娘が宿泊と案内でお世話になった
稲葉由紀子さんよりメールをいただきました。
何度も繰り返しますが、インドとのご縁は奇跡の連続なのです。
以下はそのいただいたメールの抜粋です。

本当に、不思議な事は続くものでこんなトーマスさんの報告がありました。
ちょうどここ最近、平和市長会議からの依頼が進んでいたようです。
コーチン市を平和市長会議の本会員にしたトーマスさんですが、今回の依頼は、被ばくアオギリの苗100本をコーチン市の学校などでの植樹することと映画" I was at her age"の上映、平和公園内の平和の灯火をコーチン市に分けること、4月14日にコーチン市に来航するピースボートに乗船する被爆者たちと現地の学生たちとの交流させることなどで、すべて市長と議会は承諾したのですが、コーチン市がさらに広島の松井市長の訪問を注文してきたそうです。
市長が来るなら多くの人が関心を持って話しを聞きに来ると、トーマスさんはそれを平和市長会議に直接メールしたのと同時に、スティーブン・リーパーにも直接市長に働きかけてもらえないかとお願いしたところでした。
それがちょうど同じ日、スレッシュたちが広島女学院を訪問した日だったので、それを私から聞いたトーマスさんはびっくり!霊感されて勢いづいています!
スティーブンによるとトーマスさんの働きは平和市長会議の中でもかなり評価されているとのこと。
スレッシュ達の訪問がもっと彼らの間に親しみを与えたと思います!
市長の訪問が実現するように祈っていて下さい!


2013.11.30 Saturday  
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