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2013年4月24日 ・・・ 中村塾長を偲ぶ会

このホームページをご覧いただいている方から、
いつもいろんなメッセージをいただきます。
それは主に励ましのメッセージが多いのですが、
中にはご自分の思う意見を述べてくださる方もおられ、
それにはいつも感謝しています。

けれどもそのご意見の中にはまったく反対のものがあり、
それがただ自分の信条を述べたものに対してなら
参考にするということですまされるのですが、
他人のことを述べたことに対するご意見の場合、
どう配慮するべきか頭を痛めます。

自分のことは、個人情報もネガティブな過去もすべてここには書いていて、
それに臆することはありません。
けれど他人のプライベートなことはどこまで書いていいのか、
また書くべきなのか、いつもそこことで判断に迷います。


先月8日、とても懇意にしていただいていた中村忠之さんという方が
81年の生涯を終えられました。
そしてその中村さんの遺徳を偲ぶ集いが先日20日行われ、
多くの方が中村さんを慕いお集まりになりました。



中村さんはとても社交的な方で、
鶏、ペット、畜産分野の会社経営の場から引退された後は、
自らの『縄文の文化こそが日本の基底文化である』という考えの基、
私塾『縄文塾』を立ち上げられ、
様々なイベントや講演会を催し、縄文塾通信という機関誌を発行しておられました。

中村さんはご自分の考え方を公の場で述べることをよしとされてこられたので、
そのお考えを受け、ここに中村さんに対する個人的な思いを書かせていただきます。


中村さんと本格的に親しくさせていただくようになったのは八年前です。
それまで郵送で二百人ぐらいの方たちに送っていた縄文塾通信を止め、
これからはインターネットの場からの発信に切り替えようといういうことで、
そのお手伝いをさせていただくようになりました。
  <縄文への道>

その当時は自分もまだ土木(保線管理)の仕事をしていたのですが、
中村さんからお仕事をいただくことにより、
土木の世界から完全に身を引くことができました。
その意味で中村さんは大切な恩人です。

中村さんは旧制中学二年の時、
広島駅のすぐ北側、東練兵場という軍の施設内で被爆され、
その夜はすぐ裏手の二葉山山中で野宿をし、
翌日爆心地のすぐ真横の相生橋を通って自宅に戻られました。

被爆されたせいか若い頃から体、特に呼吸器が弱く、
頻繁に入退院を繰り返し、
自らのことを “弱者” と述べられておられましたが、
多くの仲間に慕われて81歳まで生きてこられたのですから、
その生き様は、決して弱者のものではないと思います。

子どもさんのおられない中村さんのお宅には、
この八年間、週に何度というペースで訪ねさせていただきました。
中村さんが亡くなられ、本当に寂しい限りです。


三年ぐらい前だったでしょうか、
中村さんがお持ちの膨大な写真アルバムをお預かりし、
その中から千枚近くを選び、スキャナーでデジタル化しました。

下の画像は、その内の16枚を選び、はがきサイズの用紙に印刷し、
偲ぶ会当日にお渡しする挨拶状の裏面としたものです。



縄文の縄は “なわ” です。
それにちなみ、縄文塾の仲間で組紐作家である坂田恭子さんにお願いし、
組紐を参加者分作っていただき、
挨拶状とともに全員にお渡ししました。






中村さんはどんなことにも自分独自の考え方を持ち、
またそれをきちんと文章に表すことが信条でしたので、
ご自分が亡くなられた後は、葬儀は近親者のみの密葬、
四十九日の頃に知人を集めた偲ぶ会をし、
会場となるホテル、そのホテルの担当者、会費、運営メンバーとその役割、
謝礼の額まで ・・・ 本当に事細かく記したファイルをパソコンの中に残されていました。

自分はそれを中村さんの死後親族の方たちにお見せするという
重責を担っていましたので、
そのお約束を果たし、無事中村さんのご遺志通りに偲ぶ会を開くことができ、
心の底から安堵しています。


偲ぶ会を開くにあたり、
中心となって動いてくださる方たちと何度もミーティングを開きました。
志を持ち、それぞれの分野でご活躍をされる人たちとの熱い一時は、
とても楽しい懇親の場でもありました。

多くの素晴らしい方たちが中村さんを偲んで集まってくださる、
これはひとえに長年社会活動に従事されてきた中村さんの人徳そのものです。


その中村さんのご人徳に導かれ、
会の計画から運営まで、すべてが驚くほどスムーズに進みました。

会場は中村さんからご指定のあったセンチュリー21を予約しました。
普段懇意にしている担当の方にお電話したところ、
4月20日の日は10人がけの丸テーブルが8つ入る部屋が
空いているとのことでした。

予約後すぐに案内を作り、身近な人には直接知らせ、
中村さんのパソコンからメールを送り、
メルマガ「縄文塾通信」の登録者七百名余りの方にもご案内をしました。

その後は人数調整はまったくしていないにも関わらず、
当日は数名の欠席者と、飛び入り参加がありましたが、
参加者はほぼ定員通り80名ちょうどぐらいでした。

会は中村さんのご遺志に則って神仏混合で行い、
お経を上げてくださる方も、祝詞を唱えてくださる方も
すべて塾関係の仲間内にお願いをしました。

司会も当初は仲間内でと考え、候補の方お二人にお願いしたのですが、
一人は辞退され、もう一人の方は会当日は用事があって参加できないということで
お断りされてしまいました。

会二週間前になっても司会が決まらず困っていたのですが、
親族の方とも相談し、どなたかプロの方にお願いしようということになりました。
そこで最近親しくさせていただいている保木伊織さんという方にお電話しました。
彼女は司会のプロであり、とても温かい心の持ち主で、
それが司会の時の言葉や何気ない表情から強く感じらます。

彼女に電話をし、
「突然ですが、実はこんどの20日に知り合いの偲ぶ会があって ・・・ 」
と話をしたところ、彼女の方から、
「あっ、中村さんの偲ぶ会ですね」
と返事があったのでとても驚きました。

保木さんは四年前に知り合いとともに中村さんのお宅を訪ねたことがあり、
その際に著書にサインをしてプレゼントされ、
その後も縄文塾通信を読んでくださっていたとのことでした。

なんという巡り合わせなんでしょう、
会を運営するメンバーたちと、
「これはまさに神の配剤だね」と喜び合いました。

そして会当日の司会進行も心のこもった最高のものであったことは
言うまでもありません。
保木さんに司会をしていただき、会の品格が一段上がったように感じます。

これは昨年9月、わこ盲導犬プロジェクトの集まりの時の保木さんです。
真ん中が保木さん、みんないい顔しておられますね。



その他会の流れはすべてが滞りなく進み、
とても感動的で素晴らしい会になりました。

会の準備も当日の運営も、
すべて中村さんの見えざる手で後押ししていただいたように思います。
これだけの素晴らしい会を開くことができ、
中村さんの存在がいかに偉大であったかを深く感じます。

こんな死に様ができる人間になりたい、
たぶん参加された多くの方が感じられたことでしょう。



人間の肉体的生命は一過性のものですが、
その肉体に宿る魂としての命は永遠です。

死してなおも多くの人に喜びと感動を与えられる、
最高の命の燃焼のさせ方を教えていただきました。

中村忠之塾長のご冥福を心よりお祈りいたします。

2013.4.24 Wednesday  
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