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2012年11月16日 ・・・ 思い

今は秋の遠足シーズンで、
広島の平和公園は制服を着た子どもたちの団体がたくさん集まり、
色づいた木々と下、子どもたちの明るい声が響いています。

昨日その平和公園を通ると、
たくさんのペンキ職人の方たちが何カ所にも分かれ、
公園の木製ベンチのペンキを塗り替えていました。

職人さんたちの向こうの方には大きな横断幕が掲げられていて、
そこには「11月16日は塗装の日」と書かれています。
11月16日、これをイイイロ(いい色)と読み、
だから塗装の日です。



いいいろ、なんだか素敵な言葉の響きですね。

昨日の広島は午前中に少しだけ雨が降り、
その後は少しずつ雲が消えていきました。

平和公園から自宅の方へと戻る途中、
北の空にうっすらと輝かしい虹が横たわっているのを見つけました。

虹を目にするのは何ヶ月ぶりでしょう。
虹の鮮やかな色模様はきっと誰の心をも幸せにするものだと思います。
虹を見つけた時、思わず周りを歩く人たちに「虹が架かっていますよ♪」と
声をかけたくなってしまいました。

けれど美しい虹はとても儚(はかな)いものです。
虹が空に架かるのはほんの一時です。
そしてその美しい姿を写真に撮ろうと思っても、
なぜかカメラにはなかなかきれいに写ってはくれません。

昨日の美しくも儚い虹は、
自分の心のカメラにしっかりとしまい込んでおきました。


平和文化都市広島には平和に関するグループや集まりが数多くあります。
それらは思想も活動内容も様々で、
その中には私の身近な人たちが関わっているものもいくつかあります。

平和についての議論をするあるグループの代表の方が、
参加者には右翼と左翼、真っ向から対立する思想を持っている人たちがいて、
互いにまったく相手の考え方を受け入れず、
ともに感情的になって会の運営ができなくなったと嘆いておられました。

対話で平和を導こうとするのはとても困難です。
私は実践を旨としていますので、
平和活動もまずは実践だと考えます。
ゴミ拾いでも挨拶の声がけでも、自らの体を使って実践し、
そのひとつひとつの行動の積み重ねで築き上げた豊かな心の上に
初めて平和の灯火をかかげることができるのだと考えます。

そのことをその代表の方に話をすると、
「行動も大切だけれども、思いがあっての行動、
 まずはみんなで共有できる思いを作り上げなければならない」
というようなことを言われました。

その言葉には正直とても違和感と拒否感を覚え、
まったく納得することができませんでした。

それは瞬間的に胸で感じた反応ですが、
なぜそんなに受け入れることができないのか、
そのことを少し深く考えてみました。


「思いがあっての行動」と言われる、その方の思いとはなんでしょう。
その方は話し合いで思いが共有できると考えておられます。
だとしたら、思いは言葉で表せるものだということです。

では反対に、思いは行動で表すことはできないのでしょうか。
これはそうではありません。
「言葉で言い表せない思いを行動で表す」ということがよく言われるように、
行動もまた思いを表わすことができます。

つまり言葉も行動も、どちらも思いを表し伝達する手段であり、
このふたつは互いに対極な関係にあるものだと考えられます。

行動と言葉、このふたつは、
「はじめに心ありき」、「はじめに言葉ありき」、
これら東洋と西洋の対極的な概念と同じです。


このどちらが正しいか議論をすることは不毛です。
どちらもまったく異なった性質があり、ふたつひとつで陰と陽、
互いに補い合って完成した働きをするものです。

けれど物事には順序の理というものがあり、
ビックバンによる膨張を続けるこの宇宙は陰性の理を持ち、
陰陽は陽陰ではなく、陰が原初の理としてはじめにくるべき役割があります。

陰と陽の関係は相対であり、
着目する役割によってその陰陽の関係は逆転することもあり、
判定は難しいものです。

陰の精神、心に対して陽は肉体です。
これは目に見えない陰に対して目に見える陽ととらえることができます。
それと同様に行動と言葉は、
物理的に物事を変えていくという意味では行動は陽性ですが、
言葉もデジタル的にハッキリと区分された言語で示されるという面で
強い陽性の性質を持っていて、
これは行動が陰で言葉が陽だととらえるのが妥当でしょう。

男女のことで考えても、
陰性の女性は頭で言葉や論理で考えるより感情や行動が先走り、
男は言葉で理屈を並べ、行動よりも大義名分を重んじます。

ですからこの自然界の中では、
まずは行動すること、そして行動の中から理論を構築し、
理論と実践を車の両輪のように仲良く働かせていくことが理想です。

それに今は時代の大きな転換点に差し掛かり、
大きな陰陽における巨大な陰の時代がスタートしようとしている時です。
今は陽性の理でもって、
過去のものを題材に言葉や理論で物事を緻密に構築していくよりも、
無から有を生み出す女性的陰性の理でもって、
とにかく現状を打破して行動、実践していく力がより求められています。


理論が先走ってしまうと、
対立する考え方を持つものの中で、
互いに感情的な行き違いが生じてくるのは必然です。

平和を求めて対立が生じるというのはおかしなことですが、
原水禁と原水協の分裂の例を見るまでもなく、
イデオロギー(理論、言葉)が先行してしまうと、
たとえ求めているテーマが何であれ、
そこからはなかなか融和や共感というものは生まれてきません。


私が仲間たちとともに公衆トイレを掃除するのは、
何か共通の大きな目的があるからではありませんが、
これも立派な平和を求める実践活動のひとつだと考えています。

仲間同士、真面目に平和への道筋を議論することはありません。
それはそんなことを口で語り合うよりも、
何も言わずただ実践する中にこそ、
すべてを満たす平和への芽が隠されていることを体で理解しているからです。

「語らずして語る」、口に出さないからこそ尊いのです。

もし掃除仲間と平和について語り合ったなら、
たぶんみんなからそれぞれ違った考え方が出てくると思います。
けれどその違った思いを語り合ったとしても、
そこから大きな感情的な行き違いは生じないでしょう。
それは言葉で表現できる考え方の差異よりも、
もっと大きく大切なものを互いに心の中で共有していることを
感じ取っているからです。


言葉は虚しいものです。
私がこんなことをパソコンを使って言葉で書き並べるのも、
その裏に実践を伴う活動があり、そこで大きな気づきを得ることができるからです。

自ら体を使って感じ取る、
それこそが言葉にできない真実です。

以前、自分が追い求めている言葉の世界は、
しょせん真理の絞りかすに過ぎないということを書いたことがあります。
そのことは今も強く頭の中残っていますが、
そのことに気づくことができたのも、
やはり当時始めたばかりだったトイレ掃除活動のお陰です。


はじめに心ありき、まず実践、行動、
こんなことを書いていると、十代の頃によく見た「飛び出せ!青春」という
学園ドラマを思い出しました。
そのドラマの主演で教師役である村野武範が、
「Let's begin! とにかく何かをはじめよう!」
と口ぐせのように叫んでいました。

このドラマを知っている人はかなり年配でしょうね ... 。
けど私にとっては青春の1ページなんですよ。 ^^☆


飛び出せ!青春オープニング(後期) 投稿者 hokker16

2012.11.16 Friday  
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