Free Hugs |
二三年前に「Free Hugs」という動画がネットで話題になりました。 見知らぬもの同士、「Free Hugs」(自由に抱擁し合おう)と書かれたプレートを持ち、 ただ抱き合い微笑みを交わす行為は、 理屈抜きに愛を感じ、平和運動の原点のように思え、 私も当時とても心打たれた者の一人です。 リンク切れの際は、YouTubeから「Free Hugs 」で検索してください。 この動画、とても絵がいいですね。音楽もピッタリ。 はじめはプレートを掲げても誰も相手をしてくれないものの、 一人のおばあさんとハグしあえることで状況は変わり、 画面もそれに合わせてモノクロの世界からカラーへと一変し、 まるで「オズの魔法使い」、「ベルリン天使の詩」みたいにとてもおしゃれで最高です。 Free Hugs の詳しいことはこちらを ・・・ フリー・ハグズ - Wikipedia Official Home of the Free Hugs Campaign 親愛の情を表わす方法は、国や文化によって様々です。 恥の文化を持つ日本人にとって、いきなり見知らぬ者同士が抱きしめ合うのは、 少しばかり気恥ずかしい行為です。 けれどもそんな文化も少しずつ変わってきているのかもしれません。 “ハグする”(抱き合う)という言葉も、 十年ぐらい前から外来語として日本語の中に定着してきました。 先日の日曜日、花見がてらに広島の平和公園を歩いていると、 「Free Hugs」のプレートを持つ一団と出会いました。 よく見るとそのグループの中にたまたま知り合いが一人混じっています。 これも何かのご縁でしょう、 私も短時間ですが、プレートを持ってしばらく立たせてもらいました。 < その日の彼らのウエブアルバム > やっぱり少し気恥ずかしい ・・・ 、けど気持ちよかったです♪ (^o^)v この気持ち、言葉で言い表すのは難しいですが、 なにか心が大きく解放されたような気持ちになりました。 「芸術は国境を越える」、と言いますが、 ハグもきっと国境、人種、それだけではなく、人間と他の動物、植物、その他諸々、 そういったすべての境目を飛び越えてしまえるような気がします。 憎しみ合い、いがみ合う者同士、ハグしあえたらどんなに素敵なことでしょう。 ハグとまではいかなくても、握手をしたり、体を触れあうのも同じことですね。 私は毎日体に手を当て(手当て)て、体に言葉がけをしていますが、 これも「Free Hugs」と同じ、体を通した具体的なコミュニケーション方法です。 私の魂の故郷インドには、アンマというただ抱きしめることによって 愛を伝える聖者がいます。 Mata Amritanandamayi アンマ公式サイト インドにいる知り合いのお坊さんによると、 アンマはインドでとても有名で、多くの人たちの信奉を集めているそうです。 抱きしめ合うことによって愛を通わすというのは万国共通です。 南インドのホーム(孤児院)を訪ねた時、 純真無垢な子どもたちの明るい素直さに、終始圧倒されっぱなしでした。 ( インドレポートをお読みください ) 子どもたちとは話を聞くだけ、遊ぶだけ、ただ一緒にいるだけで、 全身で喜びを表現してくれました。 小さな男の子とは手をつなぎ、だっこや肩車をして上げると大喜びです。 けれども女の子は違います。 昔の日本のように「男女三歳にして席を同じゅうせず」という男女観が根強く、 女の子は自分からはボディーコミュニケーションをなかなかとってきません。 それでも私が大の子ども好きであることは体で分かるのでしょう、 いつもそばに近寄ってきてくれる女の子たちとは少しずつ親しくなり、 握手をしたりだっこをしてあげるととても喜んでくれるようになりました。 一旦そうなると、心の壁が取り払われるのは早いものです。 小さな女のたちはみんな周りに集まってきてくれて、 順番を待つようにしてだっこをしたり、膝の上にのせて大はしゃぎしてくれました。 まだほんの幼い子どもたち、子どもたちだけでホームで暮らすのは、 本当に寂しいことなのだと思います。 最後ホームを離れる頃には、頬にキスしてくれるようにまでなり、 ホームの経営者であるスギルタンから 「僕でもそんなことはしてもらったことがないのに ・・・ 」と驚かれました。 言葉ではない、心でもない、体を通してしか伝わらない思い、温もり、 そんなものがあるのだと思います。 Free Hugs、 見知らぬ人同士、すべての生けとし生けるもの、自分自身の心とからだ、 あらゆるものの間で、心と温もりが伝わればオール・ハッピー、ですね。 ヾ(´ー`)ノ。・:*:・゜'★,。・:*:・゜' 2009.04.09 Thurseday |