近況_120710
昨日、YouTubeでチャンネル登録している「地球人のためのスピリチュアルレッスン」で
サダグル師の動画がアップされ、それを見ていました。



一昨年インドに行った時、ナガラコイルという町のネットカフェに入ると、
このサダグル師の大きな顔写真が壁一面に掲げられいて、
この人のお顔を見ると、その時のインドのことが思い出され、
無性に懐かしく感じます。

その時の写真がこれ、キリッとしていて格好いいですね。




魂の故郷インドとの縁は切れることがありません。
先々週、アジア協会アジア友の会(JAFS)の事務局長で創設者でもある
村上公彦さんの話をお聴きしました。

キリスト教の牧師でもある村上さんはとても穏やかな方で、
インドやカンボジア、様々なアジアの国々で井戸を掘ったり学校を建設したりする
活動について、具体的にお話しくださり、大いに啓発を受けました。

話をお聴きした後、私もインドの支援をしていると少しお話しさせていただいたら、
現在インドで学校を建設し、その後管理者がいないところがあり、
よかったらそこに一年でも二年でも赴任して支援活動をしてくれないかと
真顔で頼まれてしまいました。

当然すぐに返事ができることではないのですが、
まったく思いがけない問いかけを受けることにより、
自分は生きる上で何を求めているのかということを、
深く見つめ直すキッカケとなりました。

聖書の中に「貧しき者、常に汝らと共にあり」という言葉がありますが、
この言葉が昔からとても好きで心惹かれます。

私のスピリチュアルな歩みの原点である、
学生時代に関わった極貧の天理教の布教所、
まだ若かった当時の先生と幼い可愛い子どもたち、
心身に重い傷や障害を背負いながらも懸命に前に向って生きようとする人たち、
あの混沌とした、猥雑とも言えるような空気の中で感じた生命の逞しさと
その根底にある温もり、
そこて感じた喜びや安心感が今でも心の奥深くに刻み込まれ、
決して消え去ることはありません。


近隣に教育施設がなく、
幼い頃から他の家族と共に労働の一翼を担わなければ暮らしていけない貧しい環境、
そんな中で生きている人たちに、
自らの力で何か恵みになるものを与えることができるならば、
そしてそれを自らの喜びとできるのであれば、
そういった中で生涯を終えてみたい、
そんな願望が心の中に強くあります。

自分の中にそんな思いがあるのなら、
それに向けて実際に歩を進めることができるのか。
お話いただいたインドのその地にもし行ったとして、
今の自分の語学力、人間力で実際に役に立つことができるのか。

「貧しい人たちに貢献したい」という思いを成就させる道は、
今日本人として生れ、様々な素晴らしい出会いに恵まれ、
その中で自らの役割を完全に全うする中にあるのではないか。

そんないろんなことに思いを巡らします。
これは自分の生き方を問い直す最高のチャンスであり、
その答を求めることが自らの研鑽の道だと信じます。


四年前に一ヶ月間南インドに行き、
一昨年は一ヶ月半、そして今年も一ヶ月ほどインドに行きたいと考えていました。

最近、盲導犬贈呈プロジェクトに関わっていて、
その活動が9月頃から年末にかけて本格化します。
一箱千円のチョコレートを販売し、
その収益金の中から盲導犬を必要とする方にプレゼントするのです。

毎年一頭ずつ贈っている盲導犬も今年で25頭目で、
チョコレートも例年3,000万円ほどの売り上げのある
かなり大規模なプロジェクトです。

その活動があり、
インドに行けるとしたらこの7月末から8月末の期間しかチャンスがないのですが、
今抱えている仕事や課題をとてもそれまでに終えることができず、
今年は残念ながらインド訪問は諦めることにしました。
またその期間は雨期にかかる可能性があり、その点でも心配です。

来年の1月か2月、心身ともに晴れやかに、
具体的な訪問目標を持ち、またブラッシュアップした英語力を携え、
胸を張ってインドを再訪したいと思います。


いろいろホームページに書きたい思いはあるものの、
なかなかページを更新することができません。
時間がないこともありますが、
以前ほど思いを言葉にして表現しなければという思いが湧いてこなくなりました。

それはなぜだか分かりません。
たぶん周期的に巡ってくるひとつとの時期なのだと思います。

身の回りの変化は相変わらず急激ですが、
その流れに少しずつ秩序が生まれてきて、
その急流にゆったりと身を任せることができるようになりました。

今はもしかして、これまでの生涯最高の高調期かもしれません。
特に力まなくても、すべてが最もいい方向へと導かれているのを感じます。

その中で感じるままに生きていたい、
そのことに不安はないのですが、
これまで頻繁に更新してきたこのホームページに対し、
読んでくださる方に残念な思いはさせたくないという恐れや不安があります。

「期待に応えたい」という強い思いを持つ自分の性格にとって、
最も手放すのが難しい囚われです。

けれど囚われを持っていても何ひとついいものは生まれてきません。
自分の思いに正直に生き、その中で自らの喜びを見出す。
その喜びがすべての源です。


最近すごく思うのですが、
世界情勢、政治経済、環境問題、
明日をもしれぬ混沌とした状況はますます極へと向っています。

そんな “外部環境” の中でも、
やはりそれを創り出しているのは自らの内面世界であるという言葉が真実であるならば、
まずもっともっと自らの内的喜びを高めていくことが、
すべての世界を変えうる最高の手段となるのではないかということです。

これだけ人の持つ想念の力が高まっているのですから、
一人一人、そして自分自身がその内的世界の充実にもっと注力したならば、
世界は劇的にいい方向へと変わっていくのではないか、
そんな気がすごくするのです。

現実世界はパラレルワールド(平行世界)だという考え方もありますから、
その中に理想郷のような世界があっても不思議ではありません。

究極の概念で言えば、利己的と利他的はまったく同じことです。
今流れている激しい変化の動きを受け、
究極の利己的幸福を求め、そこから何かを感じてみたい、
そんなことを楽しい思いとともに頭に描いています。


まだもっともっと書きたいことがあったのですが、
時間切れになってしまいました。
これからどの程度更新していけるか分かりませんが、
自分の心に正直に、プレッシャーを感じることなく、
思いを言葉として書いていきたいと思います。

いつもお読みいただき感謝いたします。

2012.7.10 Tuesday


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