初詣
2005年の新春初詣、行って参りました。
とは言っても、家の近くの広場の片隅にある小さなお社にですが。

今年は歯科医師の山崎先生からお声をかけていただいて、
元旦の早朝から宮島の弥山に登ろうと計画していました。
ところが大晦日からやって来た寒波の影響で天候が悪くあえなく中止、
残念ですが仕方ありません。

大晦日から今年のお正月にかけてはこのホームページの作成で大忙し、
過去のデータを移行し再構築するだけでも大変な手間と作業量です。
ほとんど家にいてパソコンと格闘していました。
侘しいものです。

元旦の夕方、私と同じ独身一人暮らしのUさんに電話をしました。
「おめでとうございます。明日でも近くのスーパー銭湯へ一緒に行きませんか」
お誘いの電話です。
「明日は知り合いと一緒に湯の山温泉へ行くんよ。 よかったら酒井さんも一緒に行かん」
逆に誘われてしまいました。

湯の山温泉は広島から車で小一時間、山の中の湯来町にあるひなびたいい温泉です。
もちろん喜んで同行させていただくことにしました。

雪のかなり残っている山道を走り、いい温泉につかり、
本当に心も体も温まるいい時間を過ごさせていただきました。
Uさんに感謝です。

広島市内に戻り、Uさんと二人でコーヒーを飲んだ後、
Uさんが毎日拝んでいるというUさんの家の近くのお社で二人して手を合わせました。
それが私にとっての2005年の初詣です。

車に戻ると、私が座っている助手席の前のダッシュボードに白い袋があります。
Uさんは寒い中、御一日参りで元旦に宮島まで行かれたとのこと。
宮島大聖院の参拝記念の袋でした。

袋の中に入っていた日本酒の一合瓶、Uさんが私にくださいました。
元旦参りしようと思っていた宮島、実際は行くことができなかったのに、
なんだか行ったような気分になります。

ダッシュボードの上を見ると筒状のものが、カレンダーのようです。
「酒井さん、よかったらそのカレンダーもあげるよ」

袋から出してみると、某旅行代理店作成の今年上半期一枚もののカレンダーです。
上五分の三ほどのスペースに仏像の写真があり、
どこかで見た記憶があります。

解説の小さな字を読むと「秋篠寺 伎芸天立像」の文字が、
私の大好きな奈良の秋篠寺の仏像の写真でした。

奈良は私の故郷です。
もう両親が他界し、今は兄一人しかいませんが、
中学校のころから約十年間住んでいました。

秋篠寺、秋篠宮の名前の由来ともなったので少しは知られるようになりましたが、
奈良市内の住宅地、ちょっと交通の便が悪いところにひっそりとある
風情のあるいいお寺です。

奈良には東大寺、薬師寺といった有名なお寺が数多くありますが、
秋篠寺のような厳かな「わび・さび」を感じさせてくれるお寺はそう多くはありません。

母が亡くなる十年前頃までは、年末年始はたいてい奈良に帰っていました。
奈良は歴史のある素晴らしい町です。
初詣、どこに行こうか毎年迷ってしまいます。

奈良に帰っていた十年ぐらい前、最後の数年間は家から歩いて
大仏様のおられる東大寺に参っていた記憶があります。

私の奈良の実家は生駒市です。
奈良市との境界線は歩いてすぐのところ、少し高台にあり、
遠く奈良の中心部、東大寺の屋根の一部も二階のベランダから見ることができます。

ここから歩いて十数キロ、二、三時間かけて元旦の日に東大寺まで歩いたものです。
十代の頃の思い出の地を辿りながらテクテクと。
その途中に秋篠寺があり、その静かな佇まいを味わいたくて、必ず立ち寄っていました。

昨日友人のサイトを見ていて気が付きました。
初詣とは、その年最初に参ったところのことを言うのだと。

だとすれば、その当時の私の初詣は毎年秋篠寺だったということになります。

1月2日、元旦に行けなかった大聖院のお神酒をいただき、
思い出の初詣の秋篠寺の仏像の写真入りカレンダーをいただき、
偶然と言えば偶然ですが、なんとも不思議な因縁めいたものを感じずにはおれません。

あるヨギの自叙伝
あるヨギの自叙伝

パラマハンサ・ヨガナンダのこの本の中にこのようなことが書かれています。

宇宙意識に覚醒する直前のヨガナンダ、
師のもとを離れ、聖地を求めてヒマラヤに向かう途中、
“眠らぬ聖者”ラム・ゴパール・ムズンダーからこう言われます。

    「偉い大師は山の上に住まなければならぬ、というきまりはない」
    「お前の家には、ドアを締めて一人になれる部屋があるかね?
     ・・・そこがお前の洞窟だ」


聖地や神は外に求めるものではなく、己の内にそれを見つけるのだということです。


初詣、ご利益のある神社やお寺とそうでないところ、
本当にそんなことがあるのでしょうか。

あえて誤解を恐れずに言うならば、
ただ自分の心にけじめをつけるため、
外なる世界の社や仏像に心を委ねるのだと考えています。

初詣に意味がないというのではありません。
大切なのはその心だということです。

初詣、宮島の大聖院と奈良の秋篠寺が
私にそんなメッセージを下さったように感じてます。

2005.01.06 Thursday



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