母の誕生日
今日3月26日は亡くなった母の誕生日です。
母は大正15年生まれでしたので、
生きていれば今日で満86歳を迎えたことになります。

毎年そうなのですが、
母の誕生日や命日(3月19日)には、
亡くなった母への感謝を感じ、
しみじみと昔のことを思い出すことを供養としています。
私にはそんなことしかできません。


3月26日は年度末なので、
子供の頃からいろんな大きな行事がありました。

私は小学校一年生の後半から四年生終了までの三年半、
北海道の札幌で過したのですが、
札幌から離れ、次の引っ越し先である川崎に向かったのが、
母の誕生日である3月26日でした。

この写真はその思い出の日、
1970年3月26日に撮ったものです。



千歳から羽田に向けて飛行機に乗るため、
(たしか)札幌の大通りと札幌駅の間ぐらいにあった
(たぶん)日航の事務所の前でパスを待っていている私の母(右)と私、
そして見送りに来てくれたわたなべのおばちゃん(左)です。

この時私は10歳、母は44歳になったばかりです。

私は母が33歳の時の子どもなのですが、
これは当時としてはかなり遅い方で、
私の同級生の母親の中では私の母が一番年上でした。

そう考えれば今はかなり晩婚化が進み、
高齢出産も当たり前になったということですね。


ついでにこれは有名な札幌の時計台の前で撮った写真です。



札幌にいたのは子どもの頃なので、
街中の位置関係などはほとんど記憶にないのですが、
とってもきれいでいい街だったという印象が強く残っています。

冬は雪がすごく積もり、家のひさしには大きな氷柱が連なり、
毎朝届けてもらう牛乳は、取りに出るのが遅れると、
瓶の中でシャーベットになっていました。

それでも子どもは元気いっぱいで、
冬が寒いということよりも、ストーブのある部屋が暖かかったという思いしかありません。


これは藻岩山の麓の家の前で撮った写真です。



家のすぐ前には、白樺の木が何本も植わっていました。
白樺の皮をむくのは面白いんですよ♪
真ん中に移っているのはお隣に住む草野のおばあちゃんです。

家の周りはすっかり様子が変わってしまったようです。
一度行ってみたいですね。


大きな地図で見る


こうして昔のことを思い出すと、
親の愛がいかに大きくて深いものであったかを痛感します。

やはり私の胸に深くあるのは、
両親をはじめ、これまでいろんな人の恩を受けて生きてきたにも関わらず、
その恩を人様に十分返していないという罪の意識です。

母の誕生日に母のことを思うのは、
その贖罪の意味と、
罪の意識を自分の人生の糧として、いい方向に活かしていきたいと願うからです。

今日はその思いを刻む意味も込めて、
一人で平和公園に行き、路面のガム取りをしてきました。
今年初めて行う一人でのガム取りです。

夜になって空を見上げると、
きれいに輝く三日月の上下に星がふたつ一直線に並んでいました。
それぞれ何の星でしょうか、記念に写真を撮りました。



誕生日は誰にとっても特別です。
一瞬でも時間の流れを止め、過去を振り返り、未来に思いを向けることができます。


今調べてみると、一昨年の今日は「おねがい」というページをアップし、
やはり少しだけ母のことを書いています。
今年は寒さが厳しく、まだ普通の桜の木は開花の兆しを見せていませんが、
一昨年の今日は、早咲きの桜が満開だったようです。

広島 縮景園

春が毎年巡ってくるように、
毎年その年の節目節目に、気持ちを新たにしていくことは大切です。

個人的な文章を読んでいただき、ありがとうございます。
また気持ち新たに顔晴ります♪ (o^∇^o)ノ





2012.3.26 Monday


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