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女盗賊プーラン

この本は、インドの貧しい下層カーストの家に生まれ、
壮絶なる数奇の運命を辿ったプーラン・デヴィの物語です。

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虐待、親族からの謀略、幼児婚、村八分、白昼の集団レイプ、
プーランは幼い頃からまるで動物さながらの扱いを受けてきます。
その後盗賊団に誘拐され、やがて盗賊団の女首領となって復讐を果たし、
そして司法取引によって投獄され、11年間の獄中生活を送り、
出所後は国会議員となってカースト社会の改革に取り組みました。
けれども2001年6月、37歳の若さで凶弾に倒れ、還らぬ人となりました。

まるでフィクションの如き悲惨な虐待の実態は、
平穏な日本での暮らしを送る者には想像もつきません。
けれどこれがインド社会の実態です。

プーランのエネルギーの源は、
カーストという身分差別の元、人間を人間として扱わない社会、
虐待を加えた者に対する燃えたぎるような怒り、復讐の情念です。

プーランは文盲であり、文字の読み書きができず、
この本は彼女が語る言葉によってまとめられました。
その彼女の言葉によると、盗賊をする目的はお金を手に入れるだけではなく、
不正を働き蓄財している者、下位カーストの人間を見下げている者、
そういった者から金品を取り上げ、民衆の元へと返すことにあります。
そのため、彼女は盗賊でありながら、
下位カーストを中心とした民衆から義賊として厚い支持を受けていました。

これはまるで日本の鼠小僧のような存在ではありますが、
その復讐を加える様がまったく異なります。
裏切り者は殺害したり鼻をそぎ落とし、
女性をもてあそぶ者にはその股間についている “蛇” を潰し、
男でなくしてしまいます。
1981年、インド全土を震撼させたといわれるビーマイ村の虐殺事件では、
タクールという上位カーストの男性たち二十名以上が殺されています。


今のインドでは、理不尽な身分差別は法律的には禁止されていても、
インド人の精神的土壌となっているヒンズー教ではその差別を容認し、
今世低位カーストに生まれた者は過酷な差別に耐え、
その穢(けが)れを落とし、
来世でのよりよい生まれ変わりを望めと説いているのですから、
このような根深い憎しみが限りなく生まれてくるのは、
必然の帰結であると感じます。

このプーランの本はしばらく前から手元にあったのですが、
それを読むことをずっと躊躇していました。
それはまた新たにインド社会の険しい現実を知ってしまうと、
今でも葛藤する自分とインドとの関わり方について、
さらに苦しい思いが広がるのではないかと考えたからです。

けれどやはり現実を直視するところからしか新たな道は拓けません。
このたびこの本を読み、夜もうなされるほど悩ましい思いをしながらも、
今この時のインドへの決意をより強固にすることができました。
やはりカーストという身分差別、貧しく虐げられている人たちについてのことは、
自分にとって最も刮目すべきインドの課題です。


インドのカースト制度は、上からバラモン(司祭)、クシャトリア(王族・武士)、
ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)と大きく四つの階層に分かれています。

プーランはこの中の最下層であるシュードラの生まれではありますが、
インド社会には、この四つの階層からも外れた、
さらに下のアウト・オブ・カースト、穢れがひどくて手を触れることもできない、
目に入れてもいけないと言われる不可触民(アンタッチャブル、ダリット、・・・)
と呼ばれる人たちがいます。

その人たちの暮らしはプーランのものよりもさらに過酷であったはずであり、
その不可触民について書かれた本は数多くあります。

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今現在、2014年のインドにおける差別の実態がどうであるのか、
詳しいことは自分にはよく分かりません。

インドの道端では、一日中真っ裸で遊ぶ子どもの姿をよく見かけます。
また路上で生活をしている人たちも少なからず存在し、
観光地や繁華街で物乞いをする職業乞食の人の中には、
明らかに意図的に不具者にされたのであろうと思われる
とんでもなくいびつな肢体をした人たちを何度も見かけました。

外国人の自分には、その人たちの暮らしや職業、服装、名前から、
その人たちの属するカーストを推測することはできないのですが、
インド社会は日本とは比べものにならないほど貧富の差があり、
人間の社会的序列がハッキリとしているのは強く感じます。


自分が訪ねる南インドタミルナド州の三つのホームには、
様々な事情、主には経済的事情で家から子どもたちを学校に通わす
ことのできない家庭の子どもたちが集団で生活しています。

経済的に貧しい家庭は、カーストも低位であるのは明かですが、
三つのホームではそれぞれ地域性が異なり、
ホームにいる子どもたちの家庭のカーストもも異なります。

インド最南端カニャクマリのホームを運営する長兄スギルタンによると、
三つのホームの中では、タミルナド州中央部トリチーにある
クマールの運営するホームの子どもたちの属するカーストが、
“ペリーベリーローカースト” 、最下層なのだとのことでした。

そのペリーベリーローカーストとは、
たぶん不可触民を意味するのだと思われますが、
それを聞いた時、それを言葉で確認する勇気がありませんでした。


不可触民は家畜以下の扱いです。
家畜は農耕や食料を供する役に立つものとして大切に扱われますが、
不可触民は蔑まれることはあっても大切に扱われることはありません。

不可触民は法律の適用外であり、
車でひき殺しても、集団レイプをしても、焼き打ちにして家族全員を殺しても、
ほとんど罪に問われることがありません。

今もそのようなことがあるのかどうか分かりませんが、
過去にはそういったことがインド社会の常識としてまかり通っていたことは事実です。

トリチーのホームの可愛い子どもたち、
彼らが地元の村に帰り、このような仕打ちに合うかもしれない、
そんなこと考えると胸が張り裂けそうになります。

もし自分の目の前でそのようなことが行われたら、
きっと怒りで我を忘れてしまうことでしょう。



インド社会に於けるカーストという身分差別制度は、
これからの時代、必ずや崩壊の道を辿るものと信じます。
またそうなるよう、自分にできることを何か少しでも実践していきます。


調べてみると、日本人女性で差別をなくす運動に取り組み、
自分と同じく南インドタミルナド州を何度も訪ねておられる
板東希さんという方がおられます。



プーランのような、板東さんのような、
一人一人の思いある人間の行動が社会を変えていきます。
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