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今回の旅は、行き帰りの飛行機移動、夜行列車や寝台バスを除いて、
カルナータカ州のバンガロール、ビジャプール、コスモニケタン、
タミルナド州に移動してチェンナイのスシル邸、
インド最南端カニャクマリのスギルタンのいるマダラムドラ、ホーム、
日本山妙法寺サンカランコービル道場、トリチー、チェンナイのホーム、
この順番で計九ヶ所に泊まりました。
旅の前半は移動が多くてくたびれましたが、
旅に出てから16日目、サンカランコービルで一泊した後は、
トリチーで13泊、チェンナイで18泊と長期間滞在をして、
日程的にはのんびりと過ごすことができました。
日本山妙法寺サンカランコービル道場には、
3月4日、カニャクマリのホームのオーナーであるスギルタンとともに、
スギルタンの車に乗って移動しました。
翌3月5日は、2003年に建造が始まったサンカランコービル道場の仏舎利塔が
ほぼ半分完成したことを祝う
サンカランコービル仏舎利塔建立促進法要の催される日で、
今回はそれにピッタリ日程が合いとてもラッキーでした。
これがほぼ半分完成をした仏舎利塔です。
完成時には全高40メートルにもなるそうです。
![日本山妙法寺サンカランコービル道場 仏舎利塔](img/04/01.jpg)
初めて南インドを訪ねたのは九年前の2008年、
その時は、この仏舎利塔は基礎部分のみがほぼ出来上がっていて、
その中心部に御真骨(お釈迦様の遺骨)を収める式典に参加するのが目的でした。
その時に撮った写真です。
石谷上人が頭上に掲げておられる小さな仏舎利塔型の入れ物の中に
御真骨が納められています。
![日本山妙法寺サンカランコービル道場 御仏舎利](img/04/02.jpg)
その2008年以降、仏教徒でもない自分が
インドの子どもたちの魅力に引き込まれ、
南インドを訪ねるたびにこの日本山妙法寺サンカランコービル道場にも
計七回も足を運び、
偶然にもまた大きな法要に参加させていただけるというのは、
何かの仏縁でもあるのではないかと感じます。
3月5日の法要は大きなもので、
はるばる日本からも三名の方が来られていました。
また知った顔のインド人も何人かいて、
声をかけられるたびに、自分もインドとのご縁が深くなったことを実感します。
法要には、日本で言えば市長か知事にあたる
地元ティルネルベリ地区のトップの方や
警察、マスコミ関係の方が何名も来られていました。
![サンカランコービル仏舎利塔建立促進法要](img/04/03.jpg)
動画を見ていただくと法要の様子がよく分かります。
上座が空席になっていますが、
偉い人はのんびりと遅れて来るのがインド流です。
日本の人たちもたくさん映っています。
若い人たちはスレッシュのところに毎年スタディーキャンプで訪れている
学生YMCAのメンバーで、
連日の暑さでかなり参った様子です。
法要に参加された方たちには昼食が振る舞われます。
昼食用の食材はスギルタンがお供えしたものです。
スギルタンは九年前の法要の時の食材も提供しています。
![サンカランコービル仏舎利塔建立促進法要 昼食風景](img/04/04.jpg)
バナナの葉っぱが使い捨てのお皿です。
料理は定番のもの、好きなものを好きなだけお代りでき、
全員が食べ終わるまで席は四、五回入れ替わります。
![サンカランコービル仏舎利塔建立促進法要 昼食風景](img/04/05.jpg)
法要が終わって昼食を食べた後、
大きな荷物を抱えて今度はトリチーのホームへと移動します。
トリチーへはまずサンカランコービルのバスターミナルに行き、
そこからタミルナド州第二の都市マドライまで行き、
そこでパスを乗り継ぎます。
インドの政府系の乗り合いバスにはこれまで何度も乗りましたが、
日本のバスと比べて通路が狭く、
大きな荷物には別料金を払うものの、
それでも肩身の狭い思いをするのが難点です。
法要に参加した人でマドライまで帰る方がいて、
その方がマドライまで同行してくださることになり一安心です。
けれどマドライまでのろのろ運転のバスに乗ってしまい、
マドライに到着した頃にはすっかり日が暮れてしまいました。
そこから同行の人に乗り継ぐべきバスに案内してもらい、
感謝の言葉とともに別れました。
マドライからトリチーのホームの近くまで、
運転手さんや近くに座った人たちに何度も行き先を告げながら、
またiPadでこれまで撮った写真を見せたりして、
結構和やかで楽しい時を過ごすことができました。
運転手さんや周りの乗客の方たちには本当に親切にしてもらい、
最後に荷物を降ろす時もみんなに手伝ってくれて、
「インド人もいい人たちが多いんですね♪」
同行の飯田さんと二人幸せな気分に浸りました。
これまで何度か悪いインド人に小金をちょろまかされたりしましたが、
その思いも少し精算された気分です。
バスを降りたところから電話をすると、
ホームのスタッフが三人、車で駆けつけてくれました。
時間は夜の十時を大きく回っていて、
インドの感覚ではもう真夜中です。
みんな寝静まったホームに着くと、
彼らが荷物を部屋に運び入れてくれました。
今夜泊まる部屋は粗末な設備のスタッフルームです。
一昨年も昨年も、自分はここに一人で滞在し、
飯田さんはホームのオーナーであるクマールの自宅一階、
きれいなゲストルームに泊まってもらいました。
深夜に到着したのですから、
まずはここに二人で泊まるのは仕方がありません。
そう思っていると、
なんとここは今二人のインド人スタッフが彼らの部屋として使っていて、
自分たちは彼らと一緒、四人でここを使うのだとのことです。
これにはかなり驚きました。
結局トリチーでは約二週間、13泊することになったのですが、
その間ずっとこの状態は変わらず、
プライバシーはゼロ、
部屋の鍵をかけることもできないので
セキュリティーガードもほとんどゼロという状態でその間過ごすことになりました。
なんということでしょう、
部屋に入ると四人の相部屋ですから、
すぐに電気を消さなければなりません。
そんな中で心の中の悶々とした状態は収まらず、
ほとんど眠ることができません。
前日はサンカランコービル道場に泊まりましたが、
道場ではまだ日が昇る前の午前四時過ぎから朝の法要が始まるので、
ベッドに入ってもそのことを思ってなかなか寝付くことができませんでした。
しかも与えられたベッドが長さの短い簡易ベッドで、
枕を一番上まで持って行っても脚が5センチほど外に出てしまい、
仰向けに寝ると足首がベッドの端のパイプの上に乗っかって、
結局その夜はほとんど寝ることができませんでした。
それでもってトリチーの最初の夜もほとんど眠れず、
ほぼ二日間完徹の状態でトリチー最初の朝を迎えました。
心の中はモヤモヤとしているものの、
それでも可愛い子どもたちと会うのは楽しみです。
まだ夜が明ける少し前、六時前には部屋を出て、
子どもたちのいるコテージの近くへと歩いて行きました。
まだ薄暗く人影がぼんやりとしか見えない中で、
ちびっ子たちが水浴びをしたり顔を洗ったりしています。
そこに少しずつ近づいていくと、
一年ぶりの来訪者を見つけた子どもたちが大声を上げながら駆け寄ってくれます。
子どもたちの歓声、笑顔、それらに囲まれ、
子どもたちの喜ぶ姿に触れると、
その時心の中にあったモヤモヤが一瞬にして消え去っていきました。
大人の心は醜い ・・・ 、
その醜い大人の心を純粋な子どもたちの笑顔は如実に映し出し、
消し去ってくれるのだ、
そのことを実感しました。
![](img/04/06.jpg)
![](img/04/13.jpg)
トリチーのホームには子どもたちが二百数十人いて、
学童年齢になったばかりのちっちい子たちも多く、
朝夕は学校まで一緒に行ったり、迎えたり、
トリチーでの約二週間は、今思うと本当に天国のような一時でした。
けれど着いた夜には、
“明くる日になったらここから出ていこう”とまで思ったのも事実です。
同行してくださった温厚な飯田さんですら少し腹を立て、
近くのホテルに泊まりたいと言っていたほどです。
その気持ちが変わったのが、子どもたちの笑顔と、
もうひとつはずっと一緒の部屋で過ごしたサラバナンという若者の存在です。
彼はとにかく明るい性格で、
下手な、半分ぐらいしか聞き取れないような英語で一人喋りまくり、
一人でゲラゲラと笑いまくるのです。
彼のキャラクターでもし日本語を話せたら、
きっと吉本で一流の芸人として大成するでしょう。
男の子と肩を組んでいるのがサラバナン、
素晴らしい筋肉質の体を持ち、車の運転が主な業務です。
![](img/04/11.jpg)
二人の写真を撮っているのが飯田さんで、
左手前の赤いのが自分のベッドです。
右手のドアの向こうには六十代のおじさん(名前は忘れました)のベッドがあり、
そこにトイレと水浴びができる狭いスペースがあるので、
トイレに行く時はそこを通らなければなりません。
男の子の後ろの奥の狭いスペースにはサラバナンのベッドがあるものの、
彼はいつも飯田さんと自分のベッドの間の床にシーツを敷き、
そこでシーツを体に巻き付けるようにして爆睡していました。
それはその真上に天井扇があり、
最強の風力にした天井扇の風を浴びることで蚊が寄ってこなくなるからです。
トリチーは今回歩いた中では最も暑いところで、
日本の酷暑かそれ以上の厳しい日差しを日々浴びなければなりません。
ですから天井扇なしでは夜寝ることができないのですが、
それでも朝方は少し肌寒く感じる時があり、
何度かスイッチをオフにしましたが、
その風が蚊除けの効果があることをサラバナンから教えてもらい、
インド人の知恵を知りました。
何にでも興味があるサラバナンは飯田さんのカメラを借り、
何枚も写真を撮っていました。
![](img/04/10.jpg)
隣の部屋のおじさん、いつもこんな格好で寝ています。
![](img/04/09.jpg)
おじさんは上半身裸が標準仕様なのですが、
写真を撮らせてくれと言ったらシャツを着て現れました。
![](img/04/07.jpg)
泊まったスタッフルームは男の子たちのコテージのすぐ近くで、
部屋は二階、一階の壁沿いは紐で括られた山羊たちの寝床になっています。
![](img/04/08.jpg)
この元気いっぱいのサラバナンは、
日本人二人の間に入っても、いつも話のイニシャティブをとってしまいます。
そんな逞しい彼はまだ二十歳とのこと、
日本人でこんな生命力あふれた若者はいないですね。
その彼のお陰で、最初は不満で一杯だった宿泊環境も、
途中からは「今回はインドっぽい体験ができてよかった♪」
と思えるようになりました。
彼の心身両面の逞しさは持って生まれたものなんでしょう。
インド人は大人の男性でも甘い物好きが多く、
行きの飛行機で出された袋入りの砂糖を彼に渡すと、
「この砂糖は美味い!」
と言いながらボリボリと全部たいらげてしまったのには驚きました。
そんな逞しくて笑いにあふれた彼も真摯な一面を持っていて、
日本から持ってきた文房具の中で、
使いかけのシャーペンやボールペンの束を渡し、
子どもたちに配ってくれと頼んだら、
その一本一本をきちんと調べ、
「これは○○がいる▲▲コテージに・・・」
と丁寧に振り分けてくれました。
![](img/04/12.jpg)
日本人にしてみれば中古の文房具など大した価値のあるものではありません。
それをあたかも貴重品のように、
子どもたちのことを考え扱ってくれる彼の姿に少しだけ感動してしまいました。
これまで日本でスピリチュアルなことを学んできて、
ここインドに来て、
「起こってきたことは必然である」
「起こってきた事をどう捉えるか、そこに価値が生まれる」
そんな言葉が何度も心の中に浮びました。
サラバナンという素晴らしい青年と出会うことができ、
より深いインドの味わい知り、
そして自分自身の心の中を見つめ直すキッカケを与えてもらいました。
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