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灼熱の大地


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暑い、とにかく暑いです。
温度計を買おうと思って店を探したのですが見つからず、
何度あるか分かりませんが、
三月から四月にかけて確実に気温は上昇し、
日本の真夏かそれを上回る暑さといった感じです。

南国の照りつける太陽は限りなく強烈で、
日中ホームの中をうろつく時は水の入ったペットボトルがかかせません。
インド人と日本人は根本的に暑さへの耐性が異なるようで、
子どもたちが平気な顔をしている横で、
一人大汗をかき、水をガバガバと飲んでいます。

子どもたちは誰がフレンドだとかベストフレンドだとか言うのが大好きで、
サカイブラザーもよくベストフレンドにしてもらうのですが、
サカイブラザーは誰がベストフレンドかと何度も聞かれるので、
サカイブラザーはタンニ(現地のタミル語で水の意味)がベストフレンドだと
答えるようにしています。
それぐらい激しく汗をかいて喉が渇きます。

そのお陰で数十年ぶりにあせもができました。
今いるトリチーでは、寝苦しい真夜中を含めて一日五回ぐらい水浴びをするのですが、
それでもあせもができるというのは、
いかに大量の汗をかくか、
子どもたちに手でベタベタと体中を触られまくるかということです。

また暑すぎて食欲もあまりありません。
いわゆる夏バテ状態です。
にも関わらず、子どもたちからしょっちゅうお菓子のお裾分けをしてもらい、
お菓子を持った右手を無理矢理口に突っ込まれ、
余計に普通の食事をとることができなくなります。

トリチーのホームでは、
先の日曜日は月に一度の親御さんとの面会日で、
たくさんの子どもたちがホームを訪れた親御さんたちと食事をとっていました。
そしてその際に袋いっぱいのおやつをもらったりしているのですが、
そのおやつも有り難いことにたくさんお裾分けしてくれて、
一部どうしても食べきれないものは断るものの、
普段日本では絶対口にすることがないような甘いお菓子を
たくさん食べさせ られ てもらい、
夕食がまったく食べられないほどでした。



日本では健康を考えて、
バランスの取れた食生活をと一応は考慮していますが、
灼熱の太陽の下、大自然の中で、
その自然と仲良くかつ明るく元気よく過ごす子どもたちとともに生活していると、
すべてを流れに任せるのが善であり自然である、
そんな考え方になってきて、
細かなことが気にならなくなってきます。

大自然や人間本来が持つ圧倒的パワーに身近に接していると、
健康に関する知識や情報などは、
まったく些細なことのように思われる、そんな感じです。

暑さで思考能力が低下しているということもあるのでしょうが、
自然の持つ鷹揚な包容力を大いに感じ、
自らも自然の一部と化した生活をしています。


自然とは生命の源であり生命そのものです。
その自然とともに暮らし、
自然の流れに則った生き方をしているインドの子どもたちは、
日本の子どもたちとは当然ながら考え方や感じ方、
喜怒哀楽の表現の仕方が大きく異なります。

年齢とともに身についていく行動規範や感情表現の変化といったものは、
国や文化によって異なり、
すべてが人間として当然と考えていたものが、
その国の社会性に大きく影響されているのだということを、
毎回インドに来るたびに強く感じさせられます。

ホームの子どもたちを見ていて、
日本とは比較にならないほどの厳しい条件の中、
文句ひとつ言わず、ただ黙々と己に課せられた役割を全うしている姿には、
たとえそれが小学校低学年ぐらいの子どもであったとしても、
深く感動を覚え、思わず手を合わせたくなることがあります。

けれど厳しいと感じるのはあくまでも比較の上であって、
日本でもつい数十年、百数十年前がそうであったように、
本当の意味での “自然に優しい” 暮らし、
“ただ足るを知る” 生き方をしているのだと感じます。

その感動を覚えることは、何も特別なことをしている時ではありません。
まだ夜も明けきらぬ真っ暗な午前5時過ぎから、
十歳に満たない子どもたちが一人一人慣れて動作で水浴びをしていたり、
日曜日、その水浴びをする水槽を、
そこらに落ちている石やレンガのカケラを使って懸命に水垢を落としていたり、
そんな日常の生活の姿に、
大げさに言うならば、人間の持つ尊い生命力、精神性といったものを見るのです。

禅の世界では、日常の生活を作務と呼び、
そのすべてを修行の一環として尊ぶと聞いたことがありますが、
以前も書いたことがあるように、
日常の中にこそ深い喜びがあり、
日常生活の中にこそ、人間の尊厳といったものが垣間見られるのではないか、
そなことをインドのホームの子どもたちを見ていて思います。

文明大国日本では、日常目に入るほとんどすべてのものが
知識、情報、ハイテク技術、・・・そういったもので埋め尽くされ、
自然との共生というものは文字として目に入ってくるだけで、
それを体で実感させられることはほとんどありません。

文明とは自然から乖離すること、
利便性、快適性とは、自然の流れを逸脱し、
その流れを自らコントロールすること、
それらの恩恵を浴する裏に潜む危険性を、
やはりインドに来るたび強く認識させられます。


そんな高い精神性を感じるインドのホームの子どもたちですが、
それとはまったく逆に中高生ぐらいの子どもでも、
一個のバルーン(風船)や一枚の折り紙を
まるで幼子のように必死になって欲しがり、
そのあまりにも大きなギャップにいつも戸惑ってしまいます。

バルーン(風船)、バブルス(シャボン玉)、折り紙、iPad、写真を撮って〜♪
その他手を持って体を振り回したり等体を使った遊びをいろいろと、・・・
本当にその求めてくるエネルギーがすさまじく、
迫り来る熱風と相まって、連日くたくたになってしまいます。

なんで身の周りのことをきちんとできる見目麗しい凜とした子どもたちが、
たかだかバルーン一個をそんなに欲しがるのか分かりません。
ホームには日本から数百個もバルーンを持ってきたのですが、
すぐに全部なくなてしまい、こちらで随時何十個も買って補充するのですが
またすぐになくなってしまいます。

インド製のバルーンは品質が悪く、
また外で振り回したりするのですぐに割れてしまいます。
また割れても、穴の空いていない部分でちっちやなバルーンを作ったりするのですが、
バールーンはあげてもあげてもまたみんな欲しがり、
その欲求は高まるばかりで、
もうほとほと疲れ果ててしまいました。

そこで昨日(4/10)午後からカメラもバッグも持ち歩かずに外に出ているのですが、
それはそれで特に問題なく子どもたちとコミュニケーションがとれるので、
モノというのは功罪両面あるなと感じます。


ホームではゲストである日本人は映画スター並の人気者で、
いつも自分たちのコテージに来てくれと、
両手にまとわりついたたくさんの子どもたちから
思いっきり両手を引っ張られるのが日常です。

そしてどこかに座らされると、
まわりにべったりと子どもたちが張り付いてきます。
ただでさえ暑いのにそこに子どもたちの熱気が加わって、
完全にサウナのような状態になってしまいます。



疲れ果てるというのはある面メリットがあります。
そんな極限状態では人間の本性がそのまま現れ、
豊かな自然環境と子どもたちの純粋さも相まって、
自分の心のあり方が本当によく見えます。

人間誰しも完璧ではありません。
自分も時と場合によって子どもたちとの接し方が変ったり、
いい言葉をかけたくなる可愛い子もいれば、
返事をめんどくさくなる子もいて、
それをあえて認めた上で、
その自分の心と態度をどう処するのか、それを今回は学ぼうと心がけています。

もうめんどくさくなるほどまとわりついてくる子どもでも、
子どもたちの本質はみんなとてもいい子です。
ある時食事の際に出てくるコーヒーをこぼし、
それを首に巻いていたタオルで拭いたところ、
そのタオルをすぐに水場に持って行き、
それこそ心を込めて丁寧に丁寧に洗濯してくれるのです。

毎日しなれている動作とはいえ、
少しの水をも無駄せず、
隅々まで何度も何度もこすってくれます。
まだ小学校低学年ぐらいの幼い、
わがままばっかり言って甘えてくる子どもなのに、・・・
もう本当にその姿に心打たれてしまうのです。

そして「もうすべて許してしまおう」とその時はそう心に思うのですが、
やっぱりまたうっとおしくまとわりついてくると、
ついついまためんどくさくなってきます。
そんな時は相田みつをの『人間だもの』を思い起こします。


言葉はともかく今回撮った写真を見ていただきましょう。
このページを書くのにも、
途中で子どもたちとの時間が入って中断し、
またネットがつながらなくなったりして、何日もかかっています。
ですから時制が少しおかしいですが、そのままにしておきます。
その他いろんな感じたことは、帰国後にということにします。

これはいつもかぶっている帽子が汚れているからと洗ってくれている様子、
みんな争うようにして率先してサービスしてくれるのです。
有り難い限りです。



一番ちっちゃな女の子たちが洗濯しているところ、
こういう時の子どもたちの姿が一番可愛いです。



今日は水場を掃除しました。
洗濯、水浴び、食器洗い、いろんな事に使うので、水はすぐに汚れてしまいます。



子どもたち各自が持っている洗面洗濯道具、きれいな色で可愛いですね。



子どもたちの自然な姿を写真に収めるのは本当に難しいのです。
これは炊事担当の女性と、ホームにいる娘さん二人の記念写真を撮ったものですが、
写真を撮ろうとすると必ず周りに関係のない子どもたちが集まってくるのです。
右後ろのピローという女の子がぬいぐるみのピンキーを持って踊っています。
ピンキーはどこでも子どもたちに絶大な人気がありましたが、
特にこのピローがお気に入りだったので、最後は彼女にあげてしまいました。



とにかく激暑ですので、水、タオル、帽子、そして団扇や扇子はかかせません。
けれど団扇や扇子は子どもたちには珍しいようで、
すぐに取り上げられ、何本も行方不明になりました。



バルーンやバブルスで遊んでいる時の子どもたちはとても幸せそうです。
けれどこの幸せはほんのつかの間、
これらがなくなるとまた新しいものを求めてきます。



子どもたちの誕生日には大きなお菓子の箱をもらい、
それをみんなに配るのが習わしです。
そこで今回はHappy Birthdayと書かれたバルーン、ナプキン、紙皿を持って行き、
それを誕生日の子どもたちにひとつずつプレゼントしました。
それとともにきれいな文字飾りを入れて記念写真を撮りました。
これらはその一部です。







小学校(プライマリースクール)でもお陰さまで大人気、
ホームの子どもたち以外からも大歓声を浴びました。



結構大きな女の子でも手をつないでくれてハッピーです。
これは日曜日の教会からの帰り道ですが、
イイダブラザーもモテモテです。



インドでは右手で食べ物をつかんで食べますが、
いつもその手で直接食べ物をお裾分けしてもらいます。
可愛い女の子から食べかけのバナナを一口囓れと手渡されることもあり、
日本人としては、信頼とか愛情とか、
そんなものを深く感じてくれているようで嬉しくなってしまいます。
   (中には汚いと感じる人もいるでしょうが・・・)

ビスケットを二人の女の子が囓っています。
ちょっと逆光気味で、最高にいい感じで撮れたお気に入りの一枚です。



ホームはどこも緑豊かですが、
それは毎日の水やりを欠かさないからです。



大きな女の子たちがプリ(プーリーかな?)の実を取っています。
とにかくお手伝いできることは何でもするのです。



ホームにはきれいな花がたくさん咲いています。
きれいな花だから、兄弟だから、友だちだから、・・・
いろんな理由でたくさん写真を撮らされました。



インドではあまり猫は見かけないのですが、
トリチーのホームには生まれたばかりの可愛い赤ちゃん猫がいました。



子どもたちはとにかくなんでも喜ぶし欲しがります。
百円ショップで、ワンシートに百個ぐらいの星やハートマークのついたシールを
買っていったのですが、これもみんなで大騒ぎして欲しがりました。
この子たちはインド人らしく額に貼っています。



4月11日、この日はハイスクールの最終学年10年生が、
最終のテストを終えた日です。
お昼頃に学校から帰ってきたこの子たちは、ホームで昼食を食べ、
この日を最後にホームを後にします。



出会いがあれば別れがある、
もうこの子たちと二度と会うことはないと思うとすごく寂しく感じます。

子どもたちにとって幸せとは、喜びとは何なのか、
それに対して自分は何ができるのか、
毎回ホームを訪ねるたびにこのテーマを追い求めています。



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