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3月2日 チェンナイ


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心地よい日曜日の朝、女の子たちが今日もきれいなドレスを着ています。
もうたくさん撮った写真データは写真屋さんに持っていってしまったので、
新しく撮ってもプリントすることはできません。
けれどきれいなドレスだから記念に撮っておきますね♪

この二人はいつもにこやかでおっとりとしていて、
とても心を和ませてくれました。
ありがとね〜♪



賢くてきれいなサティアはもうすぐハイスクール卒業です。
村に帰っても元気で、そして幸せでいてください。



ダッチャニのお姉さんで、サティアと同じ村出身のニティアも十年生でもうすぐ卒業です。
彼女は村から大学に通うと言ってました。
一度村を訪ねてみたいですね。



少しシビアな話ですが、
ニティアに出身の村の名前を尋ねたら、名前はないと答えました。
名前の村なんてあるんだろうかと思い、
スレッシュに再び同じことを聞いたところ、
きちんと村の名前を教えてくれました。

ホームに来る子どもたちの家庭はみな貧しく、
カーストも低いところの子どもたちばかりです。
インドではいまだにカースト制度により身分差別意識が根強く、
進学や就職の際に出す書類には、
必ず自分の属するカーストを記入する欄が存在するそうです。

ホームのある地元タミルナド州でも、
昨年カーストを超えた結婚をしたカップルが悲劇に見舞われました。
もちろん非公式ですが、インドでは同じカーストの者同士の結婚しか認められていません。
  <カーストを超えた結婚、悲劇の結末に…男性が遺体で発見 - NAVER まとめ>

ニティアの村でも、カーストの低い家と高い家とでは、
通りによって住む地域が歴然と区別されています。
ニティアの気持ちは分かりませんが、そんなこともあって、
出身の村の名前を言わなかったのかもしれません。


可愛い可愛い子どもたち、この子たちの幸せを願わずにはおられません。
これまで何度も同じことを書いていますね。
けどやはり心からそう思います。



二人とも写真を撮ると嬉しそう♪
大人でも、些細なことに、素直に喜びを表現できるっていいですね。 ^^☆



男の子たちはみんなでほうき作りです。
手に裸の両刃カミソリを持ち、椰子の葉を真ん中の茎だけにしていきます。
それを当たり前のように器用にこなすインドの子どもたちってやっぱりスゴイ!!



こうして子どもたちと時を過ごしていると、
町の教会に行っていたタンビが戻ってきて、
写真がプリントできたと言って持ってきてくれました。

全部で四百枚近くある写真を子どもたちと仕分けをし、
それをみんなに渡すと大喜びです。
その喜びの表情を ・・・ と言いたいところですが、
タンビから写真を受け取ると同時に、
またタンビがカメラを貸して欲しいと言って持っていってしまいました。 (T_T)


今日は日曜日で、タンビの友人たちがホームにたくさん集まり、
昨日のタンビの誕生日をお祝いしています。
その時の様子をタンビがフェイスブックに上げていましたので、
何枚かここに載せてみます。
たぶん貸してあげたニコンのカメラで撮ったものと思われます。

バースデーケーキをカットするタンビ。



こんな風に顔に塗りたくったりするんですね。



たくさん集まった友だちみんなでバレーボールをして楽しんでいました。
インドではバレーボールとクリケットをする人たちの姿をよく見ます。



インドの若者は逞しい体をしています。
インド人は男も女も、ある年齢を境に急激に横方向に成長するようです。
ホームにいる子どもたちもそうなるんでしょうね。


夜の礼拝の時間、数日前から右膝にでき物ができ、あぐらをかくことができないので、
一番後ろにある椅子に座らせてもらいました。
すぐ前にはイングリッシュミディアムの女の子たちが座っています。

彼女たちはチャック付きのケースに入った聖書を持っているのですが、
何人かの女の子たちの聖書のケースの中に、
今日あげたばかりの写真が入っているのが目に入りました。

彼女たちにとって自分が写っている写真は大切なもの、
だから聖書とともに収めているのでしょう。
それを見てとても嬉しくなりました。



インドの子どもたちからはたくさんの幸せをもらいました。
もらったというよりも、ただ今この瞬間、
そこに幸せが満ちているということに気づかせてもらったのだと思います。

可愛い天使であり偉大な教師でもあるインドの子どもたち、
この子たちに、こんなに喜んでもらうプレゼントができ、
これに勝る嬉しいことはありません。

写真をプリントするために使ったお金は約四千円、
けれど子どもたちみんなの喜びの総計は、
とても金額で表すことができないものです。

カニャクマリのホーム同様、
ここでもたくさんの子どもたちから満面の笑みで感謝の言葉をもらいました。

みんなの写真を撮り、それをプリントするのには少し手間がかかりますが、
四千円という金額は日本人にとって大したものではありません。
もしこの場にいて、
「四千円を出せば子どもたちみんなが大喜びし、あなたに感謝してくれるよ」
としたならば、ほとんどの人はすすんで財布のからお金を出すと思います。

子どもたちを喜ばすことのできる状況にいた、
自分にとってそのことがまず幸せです。


世界では今も十億人近い人々が飢餓で苦しんでいるといわれています。
その苦しみを生み出す最も大きな原因が富の不均衡です。
富める一部の者が有り余る資源や食料を独占している陰で、
多くの人が生きる糧に困窮し、死の恐怖と直面しています。

日本はその富める国の一部であり、
日々大量の食料が廃棄物として処理されています。
もし目の前に飢えで死に瀕している子どもがいたならば、
誰しも自分の食料の一部を分け与えるでしょうが、
残念ながらそういう状況にはなく、
飢えで苦しむ人たちの住む世界は、
“遙か遠くの自分には関係のない世界” として多くの人がとらえています。

分かち合えば余り、奪い合えば足りなくなる、
その世界の状況を頭の中では分かっていても、
それを身近な現実問題としてとらえることは極めて困難です。


日本の常識とはかけ離れたインドという土地にいて、
自分がいかに狭い世界をすべてだと感じ、
その限られた範囲内の常識を絶対視して生きてきたのかということを痛感させられます。

そうは言うものの、たぶん日本に戻って月日が経てば、
少しずつ “日本の常識” に染められていく自分がいるのだと思います。

すべての価値観を受け入れ、幅広い目で物事を見る、
それは簡単にできることではありません。
目の前にいるホームの子どもたちを大喜びさせるための四千円は出せても、
飢えで苦しむ人たちのため、
日本の街頭にある募金箱に百円玉を入れることができないのです。


インドは日本からは遠い遠い異国です。
そして飢えで苦しむ人たちがたくさんいるアフリカはさらに遠いところです。

人間は基本的にはみなエゴイストであり、
それを否定することはできません。
遠い世界のことよりも、まずは身近なところから、
そう考えるのは当然のことであり、それは決して悪いことではありません。

けれど環境問題、地域紛争、経済危機、異常気象、・・・
今世界が抱える様々な問題は、世界すべての国に影響を与えるものであり、
“自国さえよければ” という考えは、もう通用しなくなっています。

爛熟した文明の最先端を走り、
原発事故によってその大きな問題点を露呈した日本、
その日本には、「情けは人のためならず」という素晴らしい美徳が文化としてあります。

今こそこの美徳を発揮し、分かち合いの精神の元、
多くの国に愛を与え、世界に新しい時代の文明国家のあり方を示す必要が
日本にはあると考えます。

自分にとってそのことを感じさせてくれるのが、
最も身近に思えるインドとの関わりであり、
このインドとの関わりの中から日本を知り、
日本が今やらなければならない役割を感じています。


今のところ日本は平穏です。
様々な事件が起こり、社会問題も少なからずありますが、
今日、明日、食べるものに困るということはありません。

けれどこの状況はいつまで続くでしょう。
世界の多くの国は日本以上に大きな問題を抱えていて、
この時代の大転換期に於いて、それらの問題はますます大きくなり、
それが日本にも波及してくることは必定です。

日本人は、もっと世界の中での日本の立ち位置を知るべきです。
そしてその上で、これまでの常識を打破し、
新しい持続可能な価値観に基づいた文化、文明を
世界に示していくことが求められています。


インドに行く最も大きな目的、
それは自分を知り、日本を知ることです。



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